第19話 決闘! クレイジーコンドル!

 五人がホールへと足を運ぶとその雑多な喧騒にハムルが顔を強張らせた。

 

「喧しい場所だな、スロットとやらはここでなければ出来ぬのか?」

「そうだよ。さぁ俺達が決闘として勝負をする機種はこっちにあるから着いてきてくれ」

 

 六人は祐介を先頭にゾロゾロ連れ立って歩いていくと、それを見た周りの客は様々であった。口をあんぐりとさせて呆然としている者も居れば、そそくさと逃げ出す者も居る。中には叫び声を上げて玉の入った箱を落とす者まで現れた。竜人が三人も歩いているとはここまで群衆に影響を与えるものなのかと祐介は驚いていた。

 

「お、おい……おい……っ! 何だよこれ!? 祐介、ちょ、ちょっとこっちに来い!」

 

 そんな中、慌てた様子で祐介を呼び止めたのは顔見知りの店員である斉藤であった。斉藤は祐介の手を引っ張って通路脇まで引き摺っていき、興奮した様子で祐介に尋ねた。

 

「おま、あれ竜人じゃねーか!? しかもあの中の一人って七聖姫のレイゼなんちゃらだろ!? 駄目駄目、店長と俺の胃に穴が空いちまうよぉ!」

 

 レイゼの後ろに付いているなんちゃらとは何だろうとは思ったものの、ここでいきなり退店命令でも出されては敵わない。祐介は今の状況を斉藤に伝えることにした。

 

「すみません斉藤さん、実はあのハムルっていう竜人とスロットで勝負することになったんです。ですから閉店までの三時間だけ見逃して貰えないでしょうか? 負けられない勝負なんです、どうかお願いします!」

「竜人とスロットでぇっ!? それは前代未聞だろぉ……」

 

 尚も頭を下げ続ける祐介を見た斉藤は「うーん……」と低く唸ると祐介に声を掛ける。

 

「だけど祐介よぉ、竜人と賭け事ってのは大分無茶だぜ? 悔しいが神様っていうのは不公平でな、あいつらは恵まれてるんだ……運ですらあいつらに味方をしやがる。それでもやるのか?」

「はいっ! 竜人のハムルに俺が勝つにはスロットしか無いんです、だからどうかお願いします! 竜人が三人も居ることで店には迷惑がかかるかもしれませんが……どうかっ!」

 

 店内では今も色々な種族の客が好き好きに台を打っている。玉がぶつかり合う音に液晶を盛り上げる曲、更に店内ではアップテンポな曲が流されているのにも関わらず祐介は驚く程に周りが静かに感じられた。店内の一角で喧騒の中に緊張感がもたらす揺らぎの様な静寂がそこにはある、斉藤はやがてゆっくり顔を上げると「……もしかしてあれか、女か?」と祐介に尋ねた。

 頭を下げたままの祐介の身体がピクリと反応する、それを見た斉藤はニンマリと笑みを浮かべると肩に掛けてあるボタンを押して内線に声を掛ける。


「あー、あー、店長聞こえますか? 今から祐介が竜人と女を取り合って勝負する模様。台は……台は?」

 

 斉藤が顎をくいっと上げて祐介の答えを待つ、祐介は真っ直ぐに斉藤を見上げると声をあげた。

 

「台は……クレイジーコンドル! あの台で俺はハムルに勝つ!」

「だ、そうです。え、今クレイジーコンドルは他の客が打ってる? しかも今の時間に何故か満席? あー、それじゃ仕方がないっすね……」

 

 祐介はその言葉に落胆せずにはいられなかった、スロットという言葉すら初めて聞いたハムルを相手取るにはクレイジーコンドルという機種が最適だと考えていたのだ。この店に置いてあるコンドルの台は僅かに5台である、今回の勝負は同じ機種で隣同士という条件なので数人客が付いているだけで条件が破綻してしまう。祐介は突き付けられた現実に深く肩を落とす事になった。やがて斉藤は内線のスイッチを切ると祐介に声を掛ける。

 

「……それじゃ祐介、俺と店長は先にスロットの島に行って待ってるぜ」

「え? でも今は他の客が打っているんじゃ……?」

「んなもん退かせばいいじゃねーか! 俺はなぁ、客がちんたらスロットを打つよりお前がスロットで竜人の鼻を明かす方が見てぇーんだよ! 勿論店長もな! さーて、久々にマイクを握れるぜぇー!」

 

 斉藤がドタドタと巨体を揺らしながら走っていくのを祐介は呆然と見送りながらも二人に助けられたのだと気付いた、祐介は遠ざかる斉藤にもう一度深く頭を下げると四人の元へと歩いていく。決戦の場は整ったのだ。

 

「お、祐介ー、斉藤に何か言われたのか? まさか店から追い出されるとか言わないよな?」

「あぁ、大丈夫だよ。台の方も何とかしてくれるそうだ。ハムル、待たせて悪かったな」

「全くだ、戻ってきたのならさっさとスロットとやらに案内せい!」

 

 祐介が「へいへい」と悪態を付くと先程より人数が減っているのに気が付いた。マオとルーナが姿を消しているのだ、祐介は隣のメルに小さな声で耳打ちする。

 

「マオとルーナが居ないんだけど、何処へ行ったんだ?」

「ん? ルーナとかいうメイドがあのクソムカつくアホ竜人に命令されてどっか行ったからマオに後をつけさせてるんだよ、何かされたら面倒だからな」

 

 あのクソムカつくアホ竜人という口汚い言い方がまだ燻っているメルの怒りの程を思い知らせてくれるが、ルーナは何処へ行ったのだろうか。思い当たるとしたら情報収集の類いだろう。祐介が席を外した僅かな時間に少しでも情報を集めようとするとは案外抜け目の無い男である。

 祐介が三人を連れてクレイジーコンドルの島へと辿り着くと、そこには既に店長と斉藤が島の通路に立って待っていた。

 

「おう、祐介。今日は何やら楽しそうな事をやるらしいな?」

「……いや、そんな楽しい事ではないですよ」

「くぅー! つれねぇ態度をとっちゃってぇ! さてどれどれ、噂の女は……と」

 

 店長が祐介の後ろに視線を送ると慣れない場所だからか、レイゼが所在無さげに肩を竦めていた。

 

「本当に七聖姫のレイゼ様じゃねーか! いやー祐介もやるねぇー! そりゃメルみたいなガサツで下品な女じゃ太刀打ちできねーわ! わはははは……っ!」

「あ、店長! そんな事を言ったらマズイで──」

「ガサツな上に下品で悪かった……なっ!」

 

 ドムゥッ! と店長の腹部にメルの拳が深く沈み込むと店長は「ごっがはぁ!」と呻き声をあげて膝から崩れ落ちた。

 

「おい斉藤、おめーもメルちゃんの事を下品でガサツだと思ってんのか? お? 何とか言ってみろやこらぁ! いくぞ……はい、メルちゃんは!?」

「上品ですっ!」

 

 メルが勢いよくマイクを差し出す振りをすると、斉藤がビシッと直立不動で敬礼をしながら言葉を返していく。

 

「はい、メルちゃんは!?」

「淑やかですっ!」

「はい、メルちゃんは!?」

「最高ですっ!」

「でも、メルちゃんは!?」

「ちょっとバカ……え?」

「制っ裁ぃーーっ!!」

 

 ドムゥッ! と斉藤の腹部にメルの拳が突き刺さる。斉藤は呻き声をあげながら膝から崩れ落ちる際に「こんなの誘導尋問だろ……ぐふっ!」と漏らしたが、その通りだと祐介は思った。

 

「たくっ……どいつもこいつも……祐介はこいつらとは違うよなぁ? あん?」

「メ、メルちゃんは最高っす……嘘じゃないっす……!」

 

 睨み付けるメルを刺激しないように抑えて祐介はそう答えた。祐介が巨体の二人が膝から崩れ落ちる程の拳を受けたら大変危険なのでそう答えるしかなかった、しかしその言葉が全くの嘘であるとは言えないのだが。

 

「おぉ……いてぇ……斉藤、大丈夫か?」

「……うっす、上品で淑やかな拳を頂いたっす。それじゃちゃっと準備しましょうか……」

 

 よろよろと二人が立ち上がるとクレイジーコンドルの台を打っていた客をしっしっと手で払う様に追い出していく。中には不平不満を申し出ようと斉藤に詰め寄る客も居たが、逆に大柄な二人に睨み返されて追い払われていく。

 そうこうしている間にルーナとマオが四人の所へと戻ってきた。そして早速ルーナがハムルに何かを耳打ちしているので、祐介はマオを呼んで話を聞いてみる。

 

「なぁマオ、ルーナは何を調べていたんだ?」

「えーと、スロットの説明等を調べてましたね。お客さん達にも聞いてましたけど、ルーナさんは竜人ですから相手が萎縮してしまってどうも捗らなかったようでしたぁ」

「そうか、有り難う。それじゃ勝負を始める前にマオには頼んでおきたい事があるんだ。いいかな?」

「勿論ですぅ! 毒? 毒でも仕込みますか!? あの竜人をやっちゃうのなら僕も頑張って準備しますよぉ!」

「いや、そんな直接的な事じゃない、毒とか仕込んじゃ駄目だよ? 実はハムルのメダル枚数を完全に把握して欲しいんだ、一枚の狂いも無く数えて欲しい。俺の台は自分で数えられるけど、隣同士とはいえ相手の台まで把握するのは難しいからさ……お願い出来るかな?」

「任せてください! 祐介さんのお願いですから、完全完璧にこなしてみせますよぉ! 一枚足りとも見逃しません!」

 

 マオが指で円を作って目に当てた、気合いを入れているようである。

 

「頼りにしてるよ。そしてメルは……」

 

 祐介の言葉にメルが「お、メルちゃんか? メルちゃんにもお願いか? しゃーない、本当にしゃーない奴だな祐介は……」と上機嫌に寄って来る。

 

「メルは大人しくしててくれ、以上!」

「おーい! 何かメルちゃんにもお願いしてくれよぉ! あ、そうだ。合図とか決めてさぁ、それで祐介が合図をしたら……」

「合図をしたら?」

「……あいつらをぶっ殺す! メルちゃんの神速後ろ回し蹴りであのムカつく首を落としてやらぁっ!」

「駄目だろ! さてはお前まだ怒ってるな? 頼むから大人しくしてろって、な?」

 

 メルは頬を膨らませて「ぶー」と不満顔になる。やがて店内の昭明が落ちるとクレイジーコンドルの周辺だけがライトで照らされ、斉藤がマイクを持ってその中へと躍り込んだ。

 

「お待たせしましたぁ! 本日のゲリライベントォーーー! なんと、なんとなんとぉ! 当店では乳首が綺麗でお馴染みのあのヒューマニーが、七聖姫の一人を懸けて竜人と一対一のガチンコ勝負だぁーーーー!!」

「何が乳首が綺麗でお馴染みだよ、全く……っ!」

 

 マイクを握った斉藤のパフォーマンスに祐介は恥ずかしいやら情けないやらで顔が熱くなるのを感じた。

 

「さぁそれでは登場して頂きましょう! 先ずは──」

 

 斉藤が誰から出るんだと言いたげにチラッと此方に視線を向けるとハムルがゆっくりと光の中へと歩いていった。やがてその全身が光に照らされ、竜人たる証の角と尻尾が光の中で徐々に露になると同時に観衆が恐れ戦く様な低い歓声をあげた。

 

「……騒ぐな劣等種共っ!!」

 

 ハムルの一喝で辺りは静まり返り店内に掛かっている曲だけとなる、その中でハムルは威風堂々とした立ち居振る舞いで言葉を続ける。

 

「本来ならば貴様等劣等種が頭を垂れながら出迎えねばならぬこの俺をその両眼で拝する機会を与えてやったのだ! 先ずは大人しく俺の言葉を聞けいっ!」

 

 その不遜な言動は集まった客達の反感を買うには充分だったらしく、直ぐさまブーイングの嵐と共に「失せろアホ竜人っ!」や「引っ込めやカスゥッ!」等の口汚い野次まで飛び交った、のであるが野次の殆どはメルとマオのものである。ハムルにとってはその反感が予想外だったのか面食らった顔をした後、ワナワナと肩を震わせて「貴様らぁ……っ!」と怒りを露にする。

 しかし、そのブーイングの中を「まぁまぁ……」とルーナが割り込んでハムルと観客を手で抑えて話し始めた。

 

「ハムル様、それに皆様も落ち着いて下さいませ。僭越ながらここからはこの私、ルーナが説明をさせて頂きます」

 

 背筋がピンッと通った身体をくの字に折ってからルーナは続けた。

 

「本日はこの場、この遊戯台を用いて竜人族に於ける決闘の儀を執り行う事になりました。そこで先ずは始めに申しておきたいのはお相手様の乳首が綺麗でお馴染みという紹介ですが……ハムル様も負けず劣らず純真無垢な薄紅色の乳首に御座います」

「うおぉぉおぉーーーーーーっっ!!」

 

 その突然の報告に沸き上がる野太い歓声にハムルが思わず後退った。

 

「ルーナっ! 余計な事は言わなくてよいっ!」

「……ここは相手に対抗しておくべきかと思いまして、差し出がましい真似をして申し訳ありません」

「俺は乳首の色で決闘をする訳ではないのだぞっ!?」

「ですが……お聞きになって下さいませ」

 

 ルーナがまるで聞いてみろと言わんばかりに手を開いた。周りの観客の中からは野次に加えて「純真……」「薄紅色ぉ……ぐふふ……」「無垢無垢ムッキ……?」等とハムルも眉をひそめる言葉が増えていた。

 

「下らん戯れ言が増えただけであろう! それがどうした!?」

「何を仰います、流石は竜人族の名家に名を連ねるハムル様……乳首の色を晒すだけで敵地でありながらこんなにも味方が……」

「あれも敵だ!! 俺の乳首の色で喜ぶ奴等の何処が味方なのだ、馬鹿者ぉっ!」

「なんと、そうでしたか……私が思い違いをしておりました、申し訳ありません」

 

 ルーナは芝居掛かった口調で頭を下げるが、その一連の言葉に「待ったぁですぅ!」と意を唱える声があがる。

 

「祐介さんは……祐介さんの乳首はなぁ、綺麗なだけじゃなくて甘いんだぞぉーーっ! 薄紅色がなんだぁ! 祐介さんの乳首は……見て良し触って良し舐めて良しの三拍子揃った乳首なんだからなぁーーーっっ!!」

「おおぉぉぉおぉぉぉおぉーーーーーーっっ!!」

 

 マオの言葉に今日一番の歓声があがった。しかしその言葉に祐介は頭を抱えて「マオも余計な事は言わなくていいから……」と苦言を申すがマオは「そんなの駄目ですよ!」と反論をしてくるので祐介は頭を抱えたまま言葉を返した。

 

「何が駄目なのさ……?」

「だって、こんなの仕方無いですよぉ! 乳首に対抗されたらこっちも乳首で迎え撃たなきゃ駄目なんですぅ! あんな竜人の乳首に祐介さんの乳首が劣っている筈が無いんです! 祐介さんはもっと自分の乳首に自信を持ってください!」

「いやいや、さっきハムルも言ってただろ!? 俺達は乳首で争う訳じゃないんだぞ!」

「おい祐介、まぁそんなに怒るなよ。これは仕方無いだろ……アタシ達だって祐介の乳首を軽んじられたら黙ってられないんだよ。そうだよな、マオ!」

「はい! 仕方無いんですぅ!」

「仕方無いことあるかぁ! 只でさえこの店には変な奴等が潜んでいるのに、こんな話をしてたらまたどんな事を言われるか……」

 

 祐介が周りを見渡すと案の定「ほぅ、乳首は互角か……?」「くそっ、早く乳首鑑定士を呼んで来い!」と聞きたくもない言葉が耳に入ってくる。

 

「乳首鑑定士ってなんだよ……っ! 自分の物でも鑑定してろよ馬鹿馬鹿しいっ!」

 

 すると苛立ちを隠さないままの祐介の裾が不意にくいっくいっと引っ張られた。顔を向けるとレイゼが「……なぁ、祐介の乳首は本当に甘いのか?」と聞いてくるのだ。

 

「甘くない……と思うけど、いきなりどうした?」

 

 自身でその味を確かめる術が無いので祐介はどうにも確信の持てない物言いになる。

 

「それなら……た、確かめてやろうか? ほら、あの、知らないと不便だろ……? いきなり乳首鑑定士が襲ってきてさ、『てめーの乳首は何味だぁーっ!?』って来た時にすんなり言えないと危ないし……」

「そんな世紀末な状況が来て堪るか! 怖すぎるだろ!」

「いやー、その状況が来ないとは限らないだろ……だから、な? ほら、直ぐに終わるから……いいだろ? いいよな!?」

「やめ、ちょ……っ!」

 

 ぐいぐいと詰め寄るレイゼとの力の差に祐介は思わずたじろいでしまうが、その様子を見てメルとマオも近寄って来る。

 

「何々ー? レイゼちゃんばっかりズルいぞー! ぐしし……やっぱりこういう時にはメルちゃんもいないとね!」

「えへへ、勿論僕も居ますよぉ? 祐介さんの乳首は僕が守りますから安心してください! こう、パクッと口に含んで守ります! 更にそのままペロペロして潤いも保ってみせますよぉ!」

「こっちはそういう事から守って欲しいんだよ! それはもう攻撃だろ!? な、止めろぉ! あ、えぇ……っ!?」

 

 乳首だなんだのと騒々しさばかりが増していく中で、ハムルは「いい加減にしろっ! 話が進まぬであろうが!」と一喝した。思わず身体がすくむ程の重圧で辺りが一瞬の内に静まり返るとハムルは祐介を睨み付けた。

 

「そこの猿も何を遊んでおるのだ!」

 

 どちらかと言えば三人に遊ばれていたのだが、三人にいいようにされる自身が情けなくて祐介には返す言葉も無い。

 

「ふんっ! この決闘で貴様が負ければきっぱりとレイゼの事は諦めて貰う。とはいうものの本来ならば懸想したとて叶わぬ恋ゆえ、態々この俺が決闘をするまでも無いのだが……ともかく周りにいる愚かな群衆共が証人だっ! そしてそれは──」

 

 ハムルは一旦言葉を区切り、レイゼの方へと向き直った。

 

「レイゼ、お前にも言えることだ。七聖姫という責任ある立場でありながら里帰りに下らん猿の話を土産に持ってきおって……よいか、この決闘でそこの猿が負ければ金輪際そこの猿と……いや、それだけでは足らぬ。部屋を引き払って直ちに里へと戻り、七聖姫としての責務を果たせっ! よいなっ!?」

 

 時には手振り身振りを交えながらハムルが大袈裟に話すと観客達はレイゼに注目して返答を待つ。嫌とは言えない雰囲気が漂い始めるとレイゼは諦めたように「はぁ……」と溜め息を吐いた。

 

「分かったよ、祐介が負けたら私は里に戻って七聖姫としての責務を全うする。これでいいんだろ?」

 

 レイゼが答えたその瞬間に店内は爆発的な歓声で埋め尽くされる。

 

「なんとぉーーっ! 流石は七聖姫として竜の名を冠するお姫様だぁーー!! スロットのリールに己の運命の輪も乗せてしまったぁーーー!! その潔さ足るや見事としか言いようがありません! ささ、どうぞ此方へ……っ!」

 

 斎藤が用意した椅子は若干豪華な装飾が成されており、レイゼは促されるままその椅子へと腰掛けた。その際に観客が感嘆の息を吐いたのも仕方の無いことで、座ったレイゼの深紅に染まった長い髪と瞳の美しさに加えて得も言われぬ気品を観客の全員が感じとったのである。座ったレイゼが気だるそうに一息吐く仕草ですら何とも婀娜であり、また上品でもあった。

 

「……何か本当に大事になってきたんだけど、俺が負けた場合の七聖姫の責務って何なの?」

「そうだなぁ、レイゼちゃんは竜人族の七聖姫なんだから、そりゃ一族の繁栄になるための事じゃないかな。例えば──」

 

 メルは視線をハムルに向けて続ける。

 

「里の有力者と結魂とかな。ま、そこまであのクソアホゴミカス竜人の思い通りになるとは思わないけどね」

 

 眉間に皺を寄せて憎々しげにメルはそう吐き捨てた。

 

「そうか、ハムルの奴……妙に観客を煽っているなって思ったらこうやってレイゼに断われなくして自分の思い通りに事を進めてたんだな……」

「……何を弱気になってんだよ!」

 

 祐介の背中がバチンと叩かれる。

 

「祐介、お前が勝てば全部丸く収まるんだぞ!? 大体なぁ、祐介は勝算があるからここに来たんだろーが! それに思い通りに事を進めてるのはクソアホゴミカスボケ竜人だけじゃ……ないだろ?」

「そうだな……ってその言い方じゃ長すぎるだろ。メルが怒ってるのはわかったからもうちょっと縮めてやれよ……」

「うるせー! このメルちゃんを田舎者扱いしたのに悪口ぐらいで許してやってんだぞ? こっちは逆に感謝して欲しいぐらいなんだよぉ!」

「だ、だってぇ、土人扱いですもんね? ぷぷ、いくらなんでも酷すぎますよぉ!」

「……お? もしかしてマオちゃんはまーだ懲りてないのかな? あっちの物陰に行こうか、ん?」

「こっここ、こんな都会派なメルさんに向かって田舎者扱いをするなんて! あの竜人は本当に許せねーですよぉ! 今度メルさんが言われたら僕があの竜人にガツンと言ってやりまーす! だから許してくださぁい!」

 

 マオが頭を守るように抱えて「ひぃぃ……!」と恐縮する。一体先程メルに路地裏で何をやられたのであろうか、とは言え懲りないマオも中々の胆力である。

 

「それでは……そろそろ噂のヒューマニーにご登場願いましょう! 祐介ぇ! 準備はいいかぁ!」

 斎藤が向けるマイクに合わせてパッと祐介の立つ場所がライトに照らされた。斎藤は元より不敵に笑うハムルと隣に立っているルーナ、更に周りの観客達の視線が一斉に祐介へと向けられる、その中には当然ながらレイゼの視線も含まれていた。しかしレイゼの向ける視線は観客の奇異ともハムルの敵意とも言えない、縋る様な期待が込められている……気がしたのは祐介の勘違いではないだろう。

 

「祐介さん、頑張ってくださぁい!」

「ぐしし……あそこで馬鹿面晒してるあのアホ竜人に吠え面かかせてやれよぉ! よっしゃー、行ってこい!」

 

 マオの声援と同時に祐介の背中にメルが喝入れと言わんばかりに張り手をお見舞いするので祐介は「いってぇ!」と弾かれるようにハムルの前へと押し出された。

 

「……無様だな」

「うるせーやい、無様でも何でも最後に──」

 

 祐介はレイゼの元へと寄り、その手を掴んで上げる。

 

「──この手をエスコートして店を出るのは俺だ。ハムル、それを見届ける覚悟はしとけよ?」

 

 祐介がそう言い切った瞬間に観客から歓声が沸き上がると、レイゼは繋がれた手を見上げながら「祐介……!」と呟く。そしてその影に隠れてハムルが苦々しい顔で舌打ちをした。

 

「ふわぁ……あれ、羨ましいですぅ! 僕もあんな事を言われてみたいなぁ……! ねぇ、メルさんもそう思いませんかぁ?」

 

 マオがそう話し掛けるとメルはポリポリと鼻先を掻いて「まぁ……そうだな」と恥ずかしそうに笑った。

 

「ええい、いい加減にその手を離せ! 目障りだっ!」

 

 ハムルが無理矢理に祐介とレイゼが繋いだ手を剥がすとそのまま「ルーナ!」と呼び掛けた。

 

「猿の手でレイゼが汚れたわ! よく消毒しておけ!」

「……畏まりました」

 

 ルーナが手早くレイゼの手を消毒しようとするが、レイゼは「一々消毒なんてしなくていいよ」と断るのでルーナは「……そう言われましても」と続けた。

 

「ハムル様のお言い付けですから……レイゼ様も余り我が儘を言わないで貰えると私も助かります」

「我が儘放題しているのはどっちだよ! 態々こんな勝負に引き摺り出しやがって……いいか、私は例え里に戻ってもお前らの思い通りになんてならねーぞ!」

「ふふふ……それならそれで私は構いません。ですがその全てはハムル様と祐介様の決着次第……祐介様を見出だしたレイゼ様の御慧眼、ここで確かめさせて頂きます」

「けっ、相変わらず何を考えてるんだかわからねー野郎だ。だけど祐介はきっと勝つさ……私とそう約束をしたんだ。勝ってこの手を店の外までエスコートしてくれる。私はそう信じてる……!」

 

 祈る様な仕草を見せるレイゼにルーナは柔らかな微笑みを見せた。それはまるで敵側である筈のレイゼ達を見守るような、そんな優しさを含んだ微笑みであった。

 

「ところでレイゼ様……少しでよろしいので消毒させては頂けませんか? ハムル様は御自身の思い通りにならないとよくお拗ねになられるので……」

「はぁ……わかったよ、好きにしろ」

 

 こうしてレイゼの手は消毒されたのである。

 

「では今回の勝負を説明させて頂きまーす! 勝負はこれより閉店までの三時間、機種はクレイジーコンドル! 勝負をするのはこの二人ぃ……甘い乳首を持つヒューマニーの祐介とぉ……薄紅色の乳首を持つ竜人のハムルだぁーーーっっ!!」

 

 やかましいわ、あと甘くもねーわ……たぶん、と祐介が心の中で突っ込むと隣に立っていたハムルも似た表情をしていた。理由は多々あれど、沸き上がる歓声の中心に立つのは決して悪い気はしない、しかし観客の視線が若干胸の辺りに集中しているのは些か気分が悪いと祐介は思った。

 祐介は覚悟を決めて一歩を踏み出し、ハムルに言った。

 

「決闘の条件は前に言った通りで変更は無い。軍資金は3万円で機種と台は俺が選ぶ、更にハムルは俺の隣で打つ……いいな?」

「ふん、わかっている。さぁ、さっさと台を決めて座るがいい」

「……そうだな、そろそろ始めるか……っ!」

「一歩、また一歩と進む度に勝負の鐘が近付いて参ります! 握り締めた拳の中にはお互いに3万円、緊張した面持ちで台へと近付いていくぞぉーっ! そして動く度に服の中で乳首が擦れているかもしれなーい! 先ずは祐介がクレイジーコンドルの島へと足を踏み入れて行くぅーーーっ!!」

 

 擦れてない、斎藤さんもいい加減にしつこいぞ。祐介が通路側から5番目の台に座ると隣にハムルが座った。5台しか設置されていないこの台で祐介が端に座れば必然的にハムルは片側の隣へと座るしかなくなる。決闘の条件として隣同士を指定したのはこの狙いがあったのである。祐介自身が有利な台を一か八かで狙うより、ハムルを確実に不利な台に座らせる。スロットの多くは低設定であるので、この状況を狙う方がより簡単であった。

 

「お互いに最初の1万円を今……入れましたぁーー!!」

 

 ジャラジャラとメダルが下皿へと流れてくるとお互いにそれを数枚手に取り、台の投入口へと流し入れる。メダルが入る度にペロペロペロンと気の抜けた音が鳴り、3枚以上のメダルを投入すれば準備は万全である。

 

「そしてヒューマニー対竜人の異種間対決の火蓋が今……今、今ぁーっ!?」

 

 たった三時間後には二人の明暗がはっきりと決まるのである。祐介が豪華な椅子に座ったレイゼを伺い見ると、縋るような、祈るような悲痛な目付きが自身へと向けられていた。負ければレイゼは里へと戻され無理矢理にハムルと結魂させられるかもしれない、そう考えれば考える程に負けられない、負けたくないとの気持ちは大きくなっていく。祐介は歯を食い縛り台に向き直ると大きく深呼吸をしてクレイジーコンドルのスタートレバーを拳で勢いよく……叩いたっ!

 

「切って落とされたぁーーーー! 三時間一本勝負、開始ぃぃーーーーっ!!」

 

 店全体が震え上がる程の歓声の中で運命の輪を手繰り寄せようと必死に踠こうする祐介の姿がそこにはあった。しかし回るリールに思いを馳せるのは祐介一人だけではない、各人様々な思惑を乗せて三つのリールは激しく回っているのである。

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