第15話 ラジオを聴きながら

 ──ジジジ……はい、今日もおはようございまーす! DJ覇王のゴキゲンラジオ……無双陰札ぅーー!! 今日もね、リスナーの皆様の意識の外からお届けしていきたいですねー! さて、先ずリスナーの皆に届けたいのはこの曲……『緑保留以下はいらない』! ミュージック、カモン!

 

 ラジオから聞き慣れない歌が流れはじめる。軽快なオープニングトークから始まる朝のラジオ番組にもすっかり馴れてしまって、今ではDJ覇王の声を聞かないと一日が始まらないといっても過言ではない。祐介はゆっくりと布団から起き上がって周りを見ると台所ではマオがラジオを聴きながら朝食の準備をしてくれている。

 

「マオ、おはよう」

「あ、祐介さん! おはようございますぅ! 直ぐに朝食にしますね!」

 

 くるっと振り返って微笑むマオには恐竜がプリントされたエプロンが妙に似合っていた。三人で暮らしはじめてからマオは家事の殆どを受け持ってくれている。特に料理は彼女に頼りっぱなしといってもいい、祐介はいつもマオには頭が下がる思いであった。

 テレビもラジオも無かったこの部屋にラジオが流れる様になったのはマオの影響であった。マオがこの部屋に転がり込んで来たときの荷物の一つにゲルマニウムラジオが入っておりそれを大切そうに扱っていたのだが、どうもこの部屋の水道管等では伝導率が悪く、よく聞こえないらしかったのでどうせならと大きめのラジオを買ってあげたのだ。それ以来マオはラジオを流しながら家事をする事が多くなり、必然的に一緒に過ごす祐介達もラジオを聞く機会が増えたのである。

 

「メルさーん、起きてくださいよぉ! 朝御飯が出来ましたよー!」

「…………ふがっ!? ふみゅ」

 

 メルが眠そうにゆっくり起き上がる。

 

「……今日の朝御飯は?」

「ド目玉焼きとパンですぅ!」

「ぐしし……はいはーい。メルちゃんは卵三個ね三個! ねぇ頼むよマオちゃーん!」

 

 くねくねと身体を揺らしながらメルはおねだりをする。

 

「もう、仕方無いですねぇ……分かりました、三個焼きますぅ!」

 

 何の種類の卵なのかは知らないがこの異世界ではやたらと大きい卵が売っていて、朝はそれを目玉焼きにして食べる事が多かった。例え朝食がピザでもペロリと食べてしまう強靭な胃袋を持つメルは朝からガッツリと食べるタイプである。

 

「祐介さんは卵をいくつにしますか?」

「一つで頼むよ、いつも悪いな」

「僕が好きでやっている事ですから、気にしないでください!」

 

 やがて朝食が出来上がると布団を畳んで隅に重ねて卓袱台を三人で囲む、そして「いただきます」と手を合わせて朝食が始まるのである。ラジオではDJ覇王が眉毛の太い知り合いと取っ組み合いの喧嘩になったことを面白おかしく伝えていた。

 

「……そういえば、いつも思っていた事なんですけど」

 

 食事も終わり、三人でだらけているとマオがそう切り出した。

 

「ここのアパートって何で僕達の他に誰も住んでいないんですかね? 周りの利便性も悪くなさそうなのに……」

「んー? 昔は色々な奴が住んでたけどなー、隣に竜人が引っ越してきてから一斉に皆出ていったよ」

「竜人!? 隣の部屋って竜人が住んでいるんですか!? でも僕はまだ一回も見ていませんけど……?」

 

 メルは寝転びながら「実家に帰ってるからなー、でもその内に帰ってくると思う」と返事をした。

 

「そんなの超事故物件じゃないですか! だから誰も越してこないんですね……あの、僕達も引っ越しませんか? 隣が竜人だなんて絶対後々面倒な事に巻き込まれますよ!」

 

 隣の竜人とはレイゼの事だろう、彼女と最後に会ったのはもう随分前になる。その頃はまだメルとも結魂の契りもしていなかった。思い返すとそれから色々な事があったものである。

 

「ぐしし……そんなに心配しなくても大丈夫だって! 隣に竜人が引っ越して来てもこのメルちゃんは元気に暮らしてたんだからさ! ま、下らない事を心配してないでマオは先にその平らな胸でも心配してろよなー」

「だから僕の胸はちゃんと膨らんでるって言ってるでしょ! んもう、明日からメルさんの卵は一日一個の更に半分までですからね!」

「それじゃ黄身が真っ二つに割れてるじゃん!? メルちゃんから黄身を割る楽しみを奪うなよぉー。ほら、擽ってやるからさぁ! うりうりうりぃ……っ!」

「あは、あははははは……っ! またそうやって、きゃはははは、駄目、駄目ぇ! ゆ、祐介さーん、助けてぇ!」

 

 二人のじゃれ合いと共に今日も平和な一日が始まる、しかし祐介の胸の隅に引っ掛かっている様な不思議な重さは何を暗示しているのであろうか。言い様のない不安を抱えながら祐介は窓の外を見詰めていた。

 

 ──それで僕も怒っちゃってぇ、その眉毛野郎……あ、眉毛野郎は胸に七つも傷痕が付いているんですけどね。それでぇ、もうね、八つ目の傷痕を付けてやろうかと思ってね、あ! もう時間!? ありゃー、まぁ、はい! 長々とお送りして来ましたDJ覇王の無双陰札! 本日、竜の曜日も無事にお送りできました! またねー!

 

 番組の終わりと同時にラジオの電源を切る、これもすっかりと習慣化した日常の一つであった。番組の終わる時間から支度をすると三人が懇意にしているパチンコ屋の開店時間に丁度間に合うのである。朝からそれなりに盛況なパチンコ屋なのだが、祐介は開店前に並ぶ等はしないようにしていた。何故なら並ぶ程のメリットを未だに見付けられていないからである。パチンコなら前日の釘が開いているへこみ台を狙うのが定石となるが、それならば他に三人並びで打てるプラス調整の台を探した方があのお店では遥かに簡単であり、更にメルとマオが離れて打ちたがらないのも要因の一つであった。

 

「竜の曜日か……何だか今日は嫌な予感がするなぁ」

 

 祐介の言葉にマオが「ほらぁ!」と反応した。

 

「メルさん今の言葉を聞きましたか!? 早速竜人で一悶着ですよ! あいつら本当に面倒なんですから!」

「いや、竜人の事を言った訳ではないんだけど……」

「あん? 竜の曜日の竜ってのはそのまま竜人を表しているからあながち間違いではないぜ? 一悶着ってのは疑問だけどな」

「そうなのか? いや、竜の曜日云々じゃなくてさ、何だか今日は店に行くのが億劫なんだよなぁ、嫌な予感が拭えないというか……」

 

 祐介らしからぬ言葉に二人は心配そうに様子を伺う。

 

「大丈夫か? 祐介の体調が悪いなら今日は打たずに部屋で大人しくしとくか?」

「あ、そうだ! 休むなら僕が膝枕してあげますぅ! ささ、どうぞどうぞ!」

「ほほう、そこまで言うならメルちゃんがしてもらおうかにゃー!」

「メルさんには言ってないですぅ! ちょっと、僕の膝から退いてくださいよぉ!」

 

 ゴロンとマオの膝枕にメルは頭を乗せた。

 

「んー、マオの膝枕はなんか寝心地が悪いにゃー。よし、祐介には特別にこのメルちゃんが膝枕をしてやろう、ほれ……こっちに来い」

 

 メルが正座をしてポンポンと自身の膝元を叩いて祐介を誘う。

 

「もー、またそうやって横取りをしようとする! 祐介さん、僕の膝枕なら耳掃除もお付けしますよ!」

 

 メルの隣でマオも正座をした。その手には耳掃除用の棒が握られている。するとメルが「そんなもんメルちゃんにも出来るっつーの!」と言ってマオと同様に耳掃除用の棒を手に持った。

 

「さぁ祐介さん、どちらにしますか!? 僕の方が絶対に上手く出来ますよ! それに祐介さんが望むなら……お・さ・わ・り、おっけーですぅ!」

「マオのその貧相な身体付きの何処を触れっていうんだよぉ! その点、メルちゃんなら見て良し、触って良し、嗅いで良し、舐めて良しと揃ってるんだぞ? 祐介がどっちを選ぶかなんてもう言うまでも無いよな?」

「何で嗅いで舐める必要があるんですかぁ! あーもう、祐介さん、ちょっと待っててくださいね!」

 

 マオは立ち上がると洗面所へ入っていく。それから暫くして出て来たマオは先程と同様に恐竜のエプロンを着けてはいるものの、どこか所作の一つ一つがもどかしい。心なしか祐介の目に映る肌色が先程より若干多いような、と思っているとメルが「よっ!」とエプロンをピラリと捲った。

 

「わぁぁーーーっ! メルさん、今はそんな事しちゃ駄目ですぅ! 見えちゃうじゃないですか!」

 

 マオは慌ててエプロンの裾を掴んで抑える。裾から見える白い肌が祐介には眩しく感じられた。それもその筈である、エプロンの奥でマオの肌を隠している筈の服やスカートが一切見当たらないからだ。つまりマオは裸エプロンの状態にあった。

 

「……裸エプロンだとぉ? ペッタンコザウルスが味な真似をしてくれるじゃねーか……よし、二人ともちょっと待ってろ!」

 

 そう言うと今度はメルが洗面所へと向かって行った。マオは頬を膨らませて「また真似をするぅ……っ!」と怒っている。まさかメルもまた裸エプロンで出てくるのであろうか、祐介は陰鬱な気分はそのままにその瞬間を期待せずにはいられなかった。

 

「待たせたなっ!」

 

 勢いよく扉を開けて出てきたメルはフリルの付いた可愛らしい下着とそれに合わせたガーターベルトといった装いであった。豊満な身体付きを隠そうともせず堂々とモデルの様な歩き方で進もうとするメルに堪らずマオが待ったを掛けた。

 

「流石にこれは駄目ですよ! こんなので膝枕って……ち、痴女じゃないですかぁ!」

「裸エプロンのマオがそれを言うのかよぉ! アタシのこの格好はその、あれだ……これがエルフの正装なんだよ!」

「何処の森にガーターベルトの下着姿で彷徨うエルフがいるっていうんですか!?」

「いますけどぉ!? 野生のエルフは皆この姿で森を徘徊してんだよ! メルちゃんが言うんだから間違いないの! 大体マオの裸エプロンこそ痴女そのものじゃねーか!」

 

 ガーターベルトの野生のエルフって何だよ、と祐介は口には出さずに思った。

 

「もう、メルさんはそうやって嘘ばっかり言う! それに僕のは正面から見たら殆ど見えないからいいんですぅ! 変態痴女エルフのメルさんと一緒にしないでください!」

「誰が変態痴女エルフだ! ちっ、まぁいい! おい祐介、それでお前はこのメルちゃんのどの場所を枕にしたい? このメルちゃんの身体は何処でも柔らかいぞぉ……?」

 

 メルは自身の身体を見せ付けるように撫でる。張りのある豊満な身体は祐介の視線を引くには充分な魅力があった。マオがそれを止めようと身体をメルの方へ向けると、これまた小柄ながらも女の子らしい身体付きがエプロンの脇から覗いて見えて祐介の視線を存分に引いた。

 

「お、おいマオ! それ以上後ろを向くとお尻が見えちゃう!」

「えっ!? あ、きゃんっ! ちょ、直接見るのは禁止ですぅ!」

 

 マオはさっと正面を向いてエプロンで身体を隠すように自身で肩を抱いた。

 

「けっ! 祐介に見られるのが嫌なら服でも着てりゃいいじゃねーか! まぁメルちゃんはそこのペッタンコザウルスみたいに隠すような身体じゃないですしぃ? 祐介、ほれほれ……このメルちゃんの身体を何なら触っても……いいのよ?」

 

 流し目で祐介を誘うメルの隣で憤慨したマオが大きく深呼吸をする。そしてエプロンの裾を手で持つと「上等ですよぉ……っ!」とメルを睨んだ。

 

「僕のドッ根性を見せてやりますよ! 祐介さん、僕の身体を存分に見てくださいっ! 触ってください! 舐め回してくださぁーいっ!」

「待て! 分かったから二人とも待て!」

 

 目の前で裸エプロンと下着姿の女性がいがみ合うという珍奇な光景に祐介は待ったを掛けた。メルとマオどちらも魅力的な女性だが、どちらを選んでも尾を引く結果になるのは火を見るより明らかであった。

 

「よし決めた! さぁ二人とも着替えてくれ! 今日打つのは……スロットだ!」

 

 胸に若干の不安を抱えながら祐介は立ち上がった。今日は遂にスロットを打つことに決めていたのである。店に行って打ち始めればこの胸の不安も直ぐに紛れるに違いない、祐介は二人を「さぁさぁ早く早く!」と捲し立てて自身も準備を始めた。

 

「僕はスロットなんて初めて打ちますねぇ……大丈夫でしょうか?」

「スロット……ま、祐介が言うんなら大丈夫だろ! それにしてもガーターベルトを脱ぐの面倒だな……このままでいっか」

「メルさんはいつもスラックスなのにガーターベルトの意味が無いでしょ!」

「なんて言ったってこれがエルフの正装だからな! これを付けると気合いが入るんだよ気合いがよ!」

「……その嘘をまだそうやって言い張ります?」

「ふんっ! 言っておくけどな、メルちゃんは嘘と尻餅は一度もついた事がねーんだよ! さーて、今日も勝つぜぇ!」

「はいはい、今日の所はそういうことにしておきますぅ!」

 

 二人の会話を背に祐介は一人で外に出た。眩しい日差しのカラッとした晴天とは裏腹に曇天のような胸の内に思わず顔が歪んだが、それも一瞬の事である。今日もまた何事も無く平穏であればいい、それに加えて少しでも勝てれば何も言うことは無いのだ。祐介はいずれ元気に飛び出してくるであろう二人を壁に寄りかかりながら静かに待つのであった。

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