第14話 満月夜、マオとの蜜月

 それは銭湯へ行った日の深夜の事である。正確な時刻は分からなかったが、祐介の感覚では深夜と感じていた。徐々に覚醒する意識に身体が今はまだ付いていかずにピクリピクリと指先を動かすだけに留まっている。

 

「ん、ん……?」

 

 まだ前日の酒が残っているのか惚けた意識とは対称的に喉の渇きだけがいやに鮮明に感じられて祐介は思わず喉へと手を伸ばす。しかしその手が喉の手前で何かに阻まれた。祐介は手の感覚だけを頼りにその正体を探っていく、それはしっとりとした柔らかい髪……確かに誰かの髪の毛であった。

 

「え、あ……誰だ?」

 

 それが誰かの頭と認識した瞬間に祐介の意識は急速に覚醒していった。身体の中心へと意識が引き戻されていく不思議な感覚の後にゆっくりと目を開けると、そこにはマオが祐介の身体の上に乗って此方を見ていた。電気の消えた部屋にカーテンの隙間から差し込む薄い月明かりだけを頼りに目を凝らして見ても、やはりそれはマオであった。下から覗き込む様な上目遣いで黄金の瞳が爛々と輝いて祐介を見ているのだ。

 

「マオ……? 俺の上に乗ってどうしたんだ?」

 

 祐介は寝ているメルに配慮した小さな声でマオに語り掛ける。もぞりとマオが身を捩ると祐介の鼻腔に甘い香りが溜まっていくので、祐介にはどうも居心地が悪く感じられる。

 

「不思議なものですねぇ……」

 

 マオは何処か遠くを見るような目で語る。

 

「寝る前は祐介さんの隣で寄り添うだけで満足だったんですぅ……でもね、寝ている祐介さんに指先が触れたらもっと嬉しくなりましたぁ……」

 

 マオが身を捩りながらゆっくりと祐介の身体をよじ登る。胸と胸が触れあい、頬に手を添えて、マオは尚も語り続ける。

 

「次に祐介さんの手を握ってみましたぁ、僕の手より大きくてすっごく安心できました……その手で僕のお腹を撫でてみたら、何だかお腹の奥がきゅんきゅんしたんですぅ……!」

 

 マオは段々と興奮しているようで息が荒くなっていく。それに呼応するように祐介の指輪が熱く脈動し始めた。

 

「僕はその後に祐介さんの指を舐めてみましたぁ……あまーくて美味しかったですぅ! 少し噛んでみたらピクッと指を動かして可愛かったですねぇ……祐介さんのお臍を舐めたり、耳を噛んでみたり、えへへ……キスもしちゃいましたよぉ? でも……」

 

 獣の様な黄金の瞳が祐介を捉える。

 

「でも、もう渇いているんです、祐介さんに触れた瞬間、舐めた瞬間噛んだ瞬間キスをした瞬間全てが一瞬で過ぎてしまって……僕は今もまたあなたを求めている……」

 

 マオは祐介の腹を膝立ちで跨ぐとその全身像が月明かりに照らされて明らかになる。淡く透けるネグリジェを身に纏ったマオの何気無い所作の端々までが何とも言えない艶めきを思わせた。

 

「我慢しなきゃって思っても、満月が僕の心を抉じ開けてしまうんです。だからお願いです……今日だけは、今夜だけは祐介さんに我儘をしてもいいですか……?」

 

 マオの懇願にも似た悲痛な声色に祐介もぐらりと心が色めき立つが、祐介は気を落ち着かせてからマオに話し掛ける。

 

「満月だから……?」

「えぇ、満月の日だけはどうしても気分が盛り上がってしまって……」

 

 古来より女性には流されるだけの、いや、流される為の理由が要るのである。マオが満月の責と言えば今宵は満月に全てを背負って貰わねばならない。それが世の常なのであるが、祐介はもう一度「満月……だから……なの?」とマオに聞いた。但し遠慮がちにマオの股間を指で差しながらである。ネグリジェを纏ったマオの股間に似つかわしくない陰影がそこにはっきりと浮かんでいるのだ。下品な話ではあるが、そこは本来まっ平らでなければならないし、またそうでなければ困るのである。

 

「満月は……盛り上がってしまうんですぅ……っ!」

 

 マオは恥ずかしそうに顔を手で隠すが文字通りに盛り上がってしまっている股間を隠そうとはしない。その場所が盛り上がってしまったのが満月の責ならば俺は満月を決して許しはしないだろう、祐介は強くそう思う。

 

「あの、つまりマオは……男だったのか……っ!?」

「ちちち、違いますよぉ! 僕はインキュバスの血がほんの少しだけ混じっているので満月の夜はその血が濃く出てしまうんですぅ! ですから普段はちゃんと女の子なんですぅ!」

 

 普段は女の子って言うのなら、今は男の子って事では!? 祐介は狼狽えて思わずマオの股間に目を向けてしまうと確かな膨らみがそこにはある。

 

「……そのインキュバスって何なの? 俺は異種族の事は全然知らないから、先ずはそこから説明して欲しいんだけど」

「夢魔ですぅ! 女性型の夢魔がサキュバスで男性型だとインキュバスになります。世間では淫魔とも呼ばれていますね!」

 

 つまりマオはインキュバスの異種族なのだろう、満月の夜はその血が抑えれなくなるのか。祐介は余りの展開に頭を抱えてしまう、そもそも満月の夜にマオの様な可愛い女の子がこうして迫ってくるのは男として嬉しいしそこからの事も吝かではない。しかし、それがマオという男の子であるなら話は別である。いや、待て待て、まだそのいきり立った物を使おうとしているかも分からないのだ、だが迂闊な物言いはマオを傷付けるかもしれない。祐介は慎重に言葉を選んで話し始めた。

 

「マオは……その、俺とそういう事がしたい……のか?」

「……はい、祐介さんとなら……いえ、祐介さんとしかしたくないんですぅ……っ!」

「そうか……マオみたいな可愛い子にそうまで言われたら俺も嬉しいよ」

 

 これは祐介の心からの本心である。

 

「でも……マオの股間にあるその棒的な物はちょっと、な……」

 

 これも祐介の偽らざる本心であった。

 

「ど、どうしてそんな悲しい事を言うんです!? これは祐介さんの股間にも付いている物じゃないですかぁ! 愛し合う二人に同じ物が付いてるってとっても素晴らしい事なんですよぉ!?」

「付いているから問題なんだよ! 二人とも付いていたら、こう、その……用途に困るというか、刀を鞘に納められないくない!? だって、今のマオには女の子の物が無いわけでしょ!?」

 

 祐介は動揺の余り口調が乱れたが、マオは意に介さずにっこりと微笑む。そして徐に自身の口の両端を両手の人差し指で引っ掛けてそのままくいっと拡げた。

 

「女の子の物は無くれも、穴ならここにもあるじゃないれふかぁ……」

 

 ぬちゃり、と今にも音が聞こえてきそうな程に濡れそぼった口内をマオは惜し気も無く拡げる。自身で穴と呼んだその場所は綺麗な歯並びの奥に生き物のような舌がぬたぬたと蠢いている。祐介は眼前の淫靡な光景に思わず息を飲んだ。

 

「祐介さんが望むのなら今すぐにこの穴を使って頂いてもいいですし……勿論他の穴も、いえ……僕の身体なら何時でも何処でも好きなように使ってもいいんですよぉ……?」

 

 マオは自身の顔から身体をゆっくりと撫でて祐介に見せ付ける。

 

「僕の身体はもう祐介さんの物ですから……祐介さんが望むのなら僕を痛め付けても構いません。殴って、引っ掻いて、絞めて壊しても笑えと言ってくれるのなら僕は笑いますし、それで悦べというのなら悦びますぅ……」

 

 マオは祐介の身体に重なる様に凭れ掛かった。お互いの吐息が交差する程の至近距離のまま、マオは祐介の頬を愛おしそうに撫でる。熱を孕んだマオの吐息は不思議と甘さを感じられて、祐介は喉を無意識に鳴らした。

 

「俺はマオにそんな酷い事はしないよ……」

 

 マオを相手に殴って壊して等とそんな酷い事は考える事すらしたくはない、そんな祐介の言葉にマオは首を振る。

 

「酷いだなんて……祐介さんが愛を持って与えてくれるのなら例え痛みであれ苦しみであれその全ては寵愛ですよ? その全てを享受できるのはなんて幸せなんだろうと……僕は思いますぅ……さぁ、祐介さんの望みを教えてください。あなたの望みは我が望み、夢現の微睡みに任せて身も心も一緒に溶け合いましょう……?」

 

 祐介の腹部へとペタンと座り、マオは祐介の言葉を待つ。祐介はマオに望まれるまま、また自身の望むまま「俺の望みは……」と願いを口にした。

 

「……先ずは水を一杯くれないか? さっきから喉が渇いてさ……」

「何ですかそれはっ! もう、折角良い雰囲気だったのにぃ! はぁ……分かりました、今僕が持ってきますから待っててくださいね……」

 

 大きな溜め息を残してマオは立ち上がって冷蔵庫へと歩いて行く。祐介は自身の腹部に触れてみるとそこはしっとりと濡れたままで、微かな甘い残り香と共に先程までの事は確かな現実だったことを示していた。

 マオに誘われるがままに己の劣情を彼女に叩き付けていれば今頃はどうなっていたであろうか、献身的……いや犠牲的とも言える彼女の奉仕に身を任せれば……そんな祐介を押し留めたのは、腹部に乗ったマオから自身と同じ様に怒張した愚息的な存在を感じられたからである。押し付けられた硬いそれは甘ったるい空気に酔いしれた祐介を正気に戻すには充分に衝撃的な物であった。

 祐介が台所に立つマオを見て気を揉んでいると隣からすかー、すかー、と気の抜けた寝息が聞こえてくるので目を向けるとメルが大口を開けて寝入っている。祐介達がそれなりの声で話していたのにも関わらず呑気なものである。もうすぐマオが水を持って戻って来るので祐介はメルがいっそ起きてくれればと願った。そうすれば今夜は何事も無く平穏に眠れるかもしれない。

 

「はぁーい、お待たせしました! お水ですぅ!」

「……あぁ、ありがとう」

 

 祐介は布団から身体を起こして水を受け取ろうと手を伸ばすがマオは水の入ったコップを手に止まったままである。マオを見上げて「どうかしたか?」と声を掛けると「祐介さん、ちょっと両手を拡げてください」と返される。何なんだろうと思いながらも祐介が両手を拡げると空いた胸元にお姫様抱っこの要領でマオがスポッと収まる。

 

「僕、重い……ですかぁ?」

「いや、全然重くはないんだけど。その手に持っている水はくれないのか?」

「えへへ……今から差し上げますぅ、んく……っ」

 

 マオはコップの水を口に含むとそのまま祐介の口へとゆっくり、ねっとりと流し込んだ。

 

「んんっ!?」

 

 渇いた喉を冷たい水が潤しながら滑り落ちていく。二回、三回と軽く喉を鳴らして口移す水が無くなってもマオは口を離さない。祐介の喉に指を当てて水が移ろう様を楽しんでいるようだ。

 

「んはぁ……どうですぅ? もう一度お水を飲みますかぁ?」

 

 やっと口を離したらマオはコップを片手にそう言った。どうやら普通には飲ませて貰えないらしい、口内に残った雫は不思議と甘味を持っているように思えた。それにしてもこんな所をメルに見られたら何を言われるか分からないと、眠っているメルの様子を伺おうとする祐介の顔をマオは手で無理矢理自身の方へ向けて「今夜は僕だけを見なくちゃ、めっ! ですよ?」と水を口に含む。そして直ぐにまた口付けが始まる。

 二度、三度と続く口移しの水は冷たいながらも徐々に二人の熱は上がっていく。もう水が無くともマオは口を離さないし、逆に祐介の口内を吸う様な激しい口付けへと変わっていく。

 その内に祐介の中に言い様もない劣情が沸き上がってくる。マオを押し倒したい、抱き締めたい、その小柄な身体に自身の下劣な欲望を吐き出してしまいたい! マオの所作の一つ一つが己に媚びているようで、どうにも我慢できそうにもない。視線が、吐息が、柔らかい手が、白い肌が、熱を孕んだ体温すらまでも淫靡な雰囲気を纏って己を誘っているのだ! 祐介はその衝動の寸前で自身を止めていた。

 

「さぁ祐介さぁん、邪魔な服は脱がしちゃいますねぇ……?」

 

 されるがままに祐介は服を脱がされていく。

 

「ま、待ってくれ……その前に一つだけ、一つだけ聞かせてくれ」

 

 どこか畏れを含んだ祐介のその言葉にマオは手を止めた。

 

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ? 僕は祐介さんの嫌がる事や傷付ける事は絶対にしませんからぁ!」

 

 その言葉を聞いた時に祐介はやっと安堵の息を吐くことが出来た。それを聞けただけで充分である、その言葉の通りならつまり──。

 

「それならマオはその股間に付いている棒を俺に……とかは無いってことだな? マオの口からそれを聞けて本当に良かった……安心したよ」

「えと、それはちょっと約束出来ませんけどぉ……」

「あれぇっ!? 何か言ってる事が違くない!? 俺に痛い事や嫌がる事はしないって今さっき言ったよね!?」

「だ、だってそんなのやってみないと分からないじゃないですかぁ! いきなりでも痛くなくて気持ち良いって事もあると思いますよ多分、きっと、おそらく!」

「なってたまるかぁ! 結魂の時から思ってたけど、マオはちょっと行き当たりばったり過ぎだぞ!」

「そんなぁ! 先っちょ、先っちょだけでいいですからぁ! お願いですから僕の童貞さんを貰ってくださいよぉ!」

「そう言って先っちょだけで済ませた奴はこの世にいないだろっ!? 駄目だ駄目だ、絶対に駄目! 俺はまだ処女でいたいんだよ! というか後ろの処女を失う予定なんてこれからもない! 頼むからマオも諦めてくれ!」

 

 祐介はマオをひょいっと降ろして距離を取った。そもそも祐介の後ろの処女を奪ったとしてもマオは童貞のままなのだと思うが、異世界では違うのだろうか。そして祐介はチラリと横目でメルを確認する、わざと大きめな声で反論したのでもしかすると起きてくれたかなと思ったが、メルは未だに大口を開けて寝入ったままだ。

 

「兎に角、俺にその棒でどうこうするのは駄目だ! 痛そうだし、嫌なものは嫌なんだ!」

 

 祐介の強弁にマオは「分かりましたぁ……」と肩を落とす。

 

「……でもそれなら痛くなくて嫌がらなければ良いって事ですよね!? えへへ、分かりましたぁ! 僕がたーーーっぷり祐介さんの心と身体の穴を解してあげますね……?」

「駄目だこれ話が通じてねーわ、いきなり処女喪失のピンチかよ! メル! おいメル! 起きてくれ、頼むよぉ! このままじゃ明日からお尻が痛くて椅子に座れなくなっちゃうよぉ!」

 

 こうなっては形振り構わずと祐介は必死にメルを揺さぶった。メルの首がグラングランと大きく揺れたが一向に起きる気配が無い。いくら酔い潰れていても少しぐらい反応しそうなものだが……祐介は祈りを込めてメルを揺すり続けた。

 

「そんなことをしても無駄ですよ?」

 

 マオはキッパリとそう言ったのだが祐介は「確かに酔い潰れてるけど、起きてくれなきゃ困るんだよ!」と反論する、しかしマオは首を振って答えた。

 

「メルさんは酔い潰れている訳ではありません、なので何をしても無駄ですよ? いくら揺すってもメルさんは起きません」

「どうしてそんなことが言えるんだ……?」

「この部屋に入る前に僕が催眠を掛けましたから、朝までぐっすりと眠るようにって。ですから、朝まで僕達の邪魔をする者は誰もいませんよ?」

「嘘だろ……? おい、起きてくれよ……メルゥ!」

「ぐにゅぅ……すぴぃー……くぴぃー……」

「鼻提灯が出るほど寝るんじゃねーよ! メル、起きろぉ!」

「さぁ、諦めてこっちに来てください……ね?」

 

 こっちに来てくださいと口では促しつつもマオは祐介の身体を掴んで無理矢理引き寄せた。そして祐介の身体を後ろからガバッと抱えるとその首から肩に掛けてねっとりと舌を這わして微笑む。小柄なマオの身体の何処にそんな力があるのか、祐介は身動き一つすら取れはしない。ただひたすら舌で肌をねぶられる感触に身を震わせるだけである。

 

「ううぅぅぅぅうぅぅ…………っ! こうなったら……メルゥ! さっさと起きて一緒にパチンコへ行こうぜぇぇーーーーっっ!!!」

「うみゃあぁぁーーーっ!?」

 

 苦し紛れの祐介の言葉にメルがパチリと目を開けた。

 

「嘘ぉ!? 僕の催眠を解くなんてあり得ない!」

「メル! よく起きてくれた! ちょっと助けてくれよ!」

「……うにぃ、うにゅゆ……? ちょとまってぇ、メルちゃんはトイレなのだ……」

 

 メルはゆっくりと立ち上がるとのそのそと歩き出した。半裸の祐介とそれに後ろから覆い被さっているマオには目もくれない。やがてメルがトイレに籠るとマオがハッとして祐介の耳を手で塞いだ。

 

「……ごめんなさい祐介さん、メルさんもトイレの音は聞かれたくないでしょうし」

「いつもみたいに流しながらすればいいのに……まだ寝惚けてるのか?」

「寝惚けてるというか、起きてるのが信じられませんよ! 僕の催眠は完璧だったはずなのに……どうして……?」

 

 マオは尚も信じられないといった表情である。やがてトイレから流水音が聞こえてくると戸を開けて「ふぃー!」とメルが出てきた。

 

「あれ? お前ら二人で何をやってんだよ!」

 

 メルの目に映ったのは半裸の祐介といつも使っていた寝間着ではなく雰囲気のあるネグリジェを身に纏ったマオ。祐介は兎に角助かったと、これ見よがしに己の状況を説明する。

 

「何かよく分かんないけど……マオに襲われそうだったんだよ! メルが起きてくれて助かった……本当に良かった……」

「お、襲ってませんよ! あくまで合意になるように雰囲気を作っていただけです! 大体結魂の契りを交わしているんですからこういうこともあって然るべきですよ!」

「先っちょを入れようとしただろ! こういう事がそう何回もあって堪るか!」

「えぇ……いいじゃないですかぁ……祐介さんも最初は興奮してましたしぃ……」

「そりゃ盛り上がっている物を見るまではな! 大体──」

「うるせーーっ! もういい、マオはちょっとこっちに来い! 祐介は向こうで布団でも被ってろ!」

 

 メルは言い合う二人の間に割って入るとマオの手を引いて部屋の端に移動した。祐介は布団を被ってごろんと寝転びメルの沙汰を待つ。

 

「……それでつまりマオは抜け駆けをしようとしたんだな? 怪しげな催眠まで掛けやがって……まだ頭がちょっと痛いぞ」

「そうなんですけど、それより僕の催眠を解く人なんて初めて見ましたよ……メルさんって本当にただのエルフなんですか?」

「アタシはただのエルフじゃねぇ、ハイパーキュートなメルちゃんなんだよ! いいか、抜け駆けとかこういう事は以後二度と禁止だ!」

「えぇ……そんなぁ、でもぉ……えい! 催眠の瞳ぃっ!」

 

 マオの金色の瞳が怪しげに光った瞬間にメルは「メルちゃん目潰し!」と素早く目潰しを仕掛けた。

 

「あっぶな! ちょっとメルさん、目潰しは危ないじゃないですか!」

 

 マオは突き出される指を寸前で避けながらそう非難する。

 

「それがいきなり催眠を掛ける奴の言う台詞かよぉ!」

「だって仕方無いじゃないですかぁ! 僕達は三人で暮らしていますし……祐介さんと二人っきりになる機会が全然無いんです! メルさんはいいですよね、僕が祐介さんと結魂する前は二人で暮らしてたんですもん!」

 

 メルはその言葉を聞いて「んー……むぅ……」と渋い顔をする。

 

「その顔は何なんですか!? え……まさか……?」

「なんだ、その……祐介とは、そういう事は……まだ、してない。乳首は舐めたけどな、はは……」

 

 歯切れの悪いメルの返事に今度はマオが「えぇー……?」と渋い顔をした。

 

「結魂の契りを交わして二人きりの初夜の時にお二人は何をなさってたんです? そこは生涯で一、二を争う程の盛り上がるシチュエーションじゃないですかぁ!」

「それはアタシも重々承知だけどさぁ。結魂の契りを交わしたのが思いの外嬉しくてな。なんか、盛り上がり過ぎて……舞い上がっちゃって……飲みすぎちゃって……気付いたら部屋で寝ゲロ吐いてた……祐介がアタシの寝ゲロを片付けながら『うわぁ、マジかぁ……』って顔をしてたぁ……」

 

 マオの表情も今正に『マジですかぁ……』と言わんばかりである。

 

「そもそもなんでいつもそんなに飲むんですか!? 毎回毎回へべれけになるまで飲んじゃうのは駄目な奴ですよ!」

「……だって誰かと飲むの楽しいじゃん!? ましてや結魂した相手だぞ、そこまで信頼出来る相手と飲んでたらそりゃ飲むよ! 潰れるよぉ!」

「勝手に潰れないでください! もういいです、とにかく今夜は邪魔をしないでください! 折角良い雰囲気を作ってたのに台無しじゃないですか!」

「駄目だ駄目だぁ! 祐介の最初の相手はこのメルちゃんって決まってんだよ! こればかりは誰が相手でも譲らねーぞ!」

「だったら直ぐに済ませてくださいよぉ! 僕だって祐介さんとそういう事をいっぱいしたいんですからぁ! んもー、それじゃ二時間ぐらい外で時間を潰せば済ませられますよね!? 僕は少し出掛けますから、その内にさっさと済ませてくださいよ!」

 

 踵を返して部屋を出ようとするマオをメルは慌てて止めた。

 

「……何ですかぁ?」

 

 如何にも不満たらたらというマオにメルは「だってぇ」と不安そうに声を掛けた。

 

「いきなりはちょっと心の準備が出来てないし……お酒も抜けてないから今のアタシはちょっとお酒臭いし、大体そんなパッとやるみたいな雰囲気でしたくないじゃん!? メルちゃんはもっとムード重視なんだよ!」

「それなら今夜は黙って僕に祐介さんを譲ってください!」

「それは嫌だもん! 最初は絶対絶対ぜーーったいメルちゃんがするんだもん!」

 

 地団駄を踏みながら喚くメルにマオは「ぐぬぬ……」と苛立ちを隠さない。

 

「……はぁ、分かりました。メルさんは僕のお姉さまですから、先ずはお姉さまの意見を聞きます。その意見次第では僕も譲歩します」

 

 マオが諦めた様に溜め息を吐いたのを見て、メルは「うーん、うーん」と頭を抱えてフラフラと揺れながら迷っていた。しかしやがて「よし!」とメルは覚悟を決めて言った。

 

「ぺ、ペロペロフェスティバルなら……我慢する。ペロペロまでならアタシも何も言わない……こ、これで、どうですかね……?」

 

 メルは胡麻を擂る様な手付きでマオに恐る恐る意見をした。どちらがペロペロするかは言及していないが、恐らく祐介がペロペロする事は無いであろう。マオがじとーっとメルを睨み「キスは?」と唸った様な声で聞くとメルが「な、無しよりの有りで」と返した。するとマオは満面の笑みでパッとメルの手を両手で掴み「ペロフェス採用ですぅ!」と頷く。その様子にメルはホッと安堵した。

 

「よし、決まった! 祐介ぇー! ちょっと出てきなさい、お話があります!」

「……もう、いい加減に寝かせてくれよ!」

「駄目ですぅ! さぁ立って立って!」

 

 布団を頭まで被り丸まっていたので祐介には二人の言葉は聞こえていなかったが、どうにも容易く寝かせてくれる展開にはならなさそうだったのだが祐介は嫌な予感を抑えつつ立ち上がった。

 

「はい、では話し合いの結果ですが……」

「ちょっと待って! その前にこのコップを片付けたいからそこを退いてくれ」

 

 祐介はメルの言葉を遮りながら二人を押し退けて手に持ったコップを台所の洗い場へと運ぶ。実に不自然極まりない行動だがこれには祐介なりの狙いがあった。

 

「あ、僕が持ってきたコップ……祐介さん、片付けさせてしまってすみません!」

「別にいいって、それに元々は俺が水を飲みたいと言ったからね。それで、話し合いの結果が何だって?」

「ぐしし……ではここに第一回ペロペロフェスティバルの開催を宣言しま──」

「さよならグッバイ! 今こそ風になれ、俺!」

 

 これが祐介の狙いであった。玄関が台所の横にあるので着の身着のままではあるものの最速で外へと逃げられるのである。どうせ二人の話し合いなど碌な結果を生まないのだ、今夜ぐらいは逃げても許されるはずだろう。如何に二人がヒューマニーより優れた種族でも祐介も足にはそれなりの自信があったので逃げ切れると確信していた。二人と祐介までの距離は約5歩、そして祐介は一歩を踏み出しながら玄関の戸を開ければ直ぐに出られる位置にある。

 祐介は初めの一歩踏み出しながら玄関のドアノブに手を掛けた、勝った! 今日こそは二人のいいようにはされないのである、祐介はほくそ笑むのを止めずにドアノブを捻った。

 カチャリ……と、ドアノブが乾いた音を響かせるがそれっきり何の音も出すことはなかった。何故ならドアノブを捻った祐介の手の上からメルの手が覆い被さるように抑えていたのである。

 

「……は? え、えぇーーーっ!!? どういうこと!? いくらなんでも速すぎだろ!」

「ねぇ祐介ちゃん、メルちゃんは悲しいよ……? 折角三人が幸せになれる話し合いをしたのに逃げようとするなんて……」

「そう言うんだったら俺も話し合いに参加させろ! あれ、あれ? 手が動かねぇ!」

「祐介さんを思っての話し合いなんですからぁ、祐介さんの意見は必要無いんですぅ!」

「いやいや、いるだろ! むしろ俺の意見が必要不可欠だろ!? 頼むからもう寝かせてくれよ!」

 

 尚も抵抗する祐介をメルとマオは二人掛かりで布団へと引き摺っていく。

 

「いい加減に俺を寝かせてくれよぉ! もう深夜なんだよぉ!」

 

 身を捩って抗議する祐介を抑えながらマオは微笑んで答えた。

 

「……ふぅ、分かりました! 祐介さんの意見も採用します、これで三人の話し合いということになりますよね?」

「え、ほんと? 俺はもう寝れるの?」

「はい! あなたの望みは我が望み、僕のこの言葉に偽りはありませんから!」

「そうか、そう言ってくれるか! マオは良い子だな……っ!」

 

 ぽいっと放られて祐介はゴロンと布団の上に寝転がった。やっと安寧の時が来たのだ、存分に惰眠を貪ろう、祐介は静かに瞼を閉じる。

 

「……おい、マオ。祐介を寝かせちゃっていいのか?」

 

 メルがマオに耳打ちすると、マオは頷いた。

 

「えぇ、祐介さんの望みは寝るだけでいいんですから……寝転んだ祐介さんに僕達がペロペロフェスティバルを開催しても何の問題はありません。祐介さんは布団で寝る、僕達はペロフェスをする。三人の意見を取り入れた良い案だと思いませんか?」

「……確かに! 一理……いや、三理あるぅー!」

「ねーわ! ないない、これ俺の意見が通ってないだろ!?」

「はい駄目でーす、もう話し合いは終わったのでペロペロフェスティバルを開催しまーす!」

 

 祐介の抵抗も虚しく着直していた服をまた剥ぎ取られてしまう。露になったその裸体にメルとマオは舌舐りをしてお互いに頷きあった。狂宴の始まりである。

 

「んんんんんーーーーーーっっ!!?」

「そーれそれ、れろれろれろぉ……っ!」

「ふわぁ! お母様が言っていた通りですぅ! ヒューマニーの雄はおっぱいが甘いって本当だったんですねぇ! とっても美味しいですぅーーっ!」

「くっそ、お前ら……んんんーーーーーーっ!!?」

 

 祐介のくぐもった嬌声は夜の露と消えていき、ぴちゃぴちゃと湿った音がアパートの一角にいつまでも響き渡る。それは空が朝焼けに染まるまで続いたのであった。

 

────────

 

 朝焼けの空は蒼天へと移り、朝と言うには遅すぎる時間に祐介は目が覚めた。

 

「……酷い目にあった」

 

 乱れた着衣は悉く湿り気を帯びており、それが昨夜の狂宴を思い出させる。

 

「はぁ……とりあえずトイレに行ってからシャワーでも浴びるか……」

 

 寝惚け眼を擦りながらトイレの扉を開けるとそこには見慣れた栗色の癖毛が目に入り──

 

「わっ!? きゃ、きゃーーーっ!!」

「マオ!? ごめんなさい!」

 

 思わぬ先客に祐介は慌てて扉を閉める。激しく脈打つ心臓を抑えながら気を落ち着かせていると、一瞬だけ見えた先程の光景が祐介の脳裏に甦る。

 

「……マオの恥丘は丸かった、な……」

 

 マオの股間に潜んでいた昨夜の剛直は見る影も無く消え失せていた、これでいいのである。

 

「もう! 祐介さんったら朝から何を言っているんですか! 鍵を掛けなかった僕も悪いんですけど、祐介さんも悪いんですからね!?」

「あ、はい。反省してます……」

 

 満月が過ぎればマオも普通の女の子なのである。地球は丸くなくては困るのだが、マオの恥丘は丸くても平面でも良いのだ、盛り上がってなければそれでいい。祐介は人知れず頷いてそう思った。願わくば二度と満月の日が来ないようにとも願ったのである。

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