第7話 忍び寄る栗色の影

 祐介とメルが結魂の契りを交わしてから幾度かの夜を越えた。あれから二人はメルの部屋で寝食を共にしている。朝が来ればパチンコを打ち、夜が来れば酒を飲んで寝るという生産性の欠片も無い生活だが、店の環境も相俟って収支結果は上々といった所であった。そして今日もまた朝日が昇り、祐介の一日が始まる。

 

「……ん、うーん……メル、そろそろ起きようぜ」

 

 祐介は隣で寝ているメルに声を掛けるが、この程度ではメルが起きないのは先刻承知である。

 

「ほら、起きろよ。起きろってば」

 

 メルの肩をぐらぐらと揺するとその内に「ううぅ……」と地を這うような唸り声をあげながらメルが薄く目を開ける。しかしこれではまだ半覚醒状態である、更に揺すると漸く眠気眼を擦りながらメルが起き上がる。二人で生活をする内にすっかりとこれが祐介の日課になってしまった。

 

「うゅ……祐介……おはよ」

「あぁ、おはよう。さ、メルもさっさと準備をしてマスターの所にでも行こう」

「今日は……今日は……うみゅ」

 

 うつらうつらとしながらメルが顔を洗いに立ち上がる。ずぼらで自堕落と言えどもメルも女性であるからして準備にはそれ相応の時間が掛かるのである。その間に祐介はある程度の家事を進めておく、特にゴミ出し等はきちんとしておかないと貯まっていく一方である。

 

「よっしゃー! 今日は野菜か魚かそれともお肉にするか!? 祐介、どれにするんだ!?」

 

 洗面所から勢いよく飛び出してきたメルの言葉はまるで食事のメニューを決めるかの物言いだが、その実態はどのパチンコを打つかというものだ。というのも二人が最近手を出したパチンコ台が夏野菜物語、ギンギラ海パラダイス、焼肉奉行トワイライト、とそれぞれ魚、野菜、肉を模した台だからである。

 

「そうだな……ま、朝ご飯でも食べながら決めよう。それじゃ行こうか」

「ぐしし……今日のご飯はなーにかなーっとぉ!」

 アパートを出て数歩進んだ所で祐介は一度振り返る。

「どした?」

「いや、そういえばレイゼが一向に帰って来ないけれどレイゼの実家ってそんなに遠いのか?」

 

 メルと出会った日の夜に散々迷惑を掛けた竜人の女性、レイゼは結局あの時以来見ていない。祐介はメルに聞いてみるが、メルは首に後ろ手を組んだまま答えた。

 

「さーてどうだろねー、レイゼちゃんの実家は遠いってより色々と面倒だから思ったより時間が掛かってるのかもな。ま、そのうち戻って来るっしょ!」

「そうなのか……何もなけりゃいいけど」

 

 レイゼが見せた別れ際の寂しげな顔が記憶にちらつく。あの時声を掛けるべきだったのだろうか、今の祐介に答えは出なかった。

 喫茶店の戸を開くとカランカランと戸に付けられた鐘から軽快な音が鳴り響いた。二人は中に入ってマスターに頭を下げて声を掛ける。

 

「アタシはいつものしゅわしゅわした奴ね! 祐介は?」

「俺は烏龍茶でお願いします」

 

 初老のマスターが切れの良いお辞儀を返しながら「畏まりました」と奥へ引っ込む。二人が適当なテーブル席に座ると、メルが「なぁ」と切り出した。

 

「それで今日は何を打つんだ? やっぱりまた店に行ってから決めるのか?」

「そうだな、結局それが一番良いと思うよ。意外とあの店は毎日マメに釘を弄ってるからずっと同じ台を打ち続ける事は出来ない。だからどうしても実際に見てから決めた方がいいんだ」

「釘、釘ってさぁ……そんなに違うもんかなぁ? 殆ど一緒じゃん」

 

 メルが溜め息混じりに言う。

 

「ところが全然違うんだ。いいかメル、パチンコってのは一台足りとも同じ釘の台なんて存在しない。店員に弄られたり毎日パチンコ玉で小突かれ続けたりするからな、しかしだからこそ勝てる台が存在するんだ」

「そんなもんかねー、ま、アタシには祐介がいるから関係ないか。今日も勝つぜぇー!」

 

 二人が喋っているとマスターが飲み物と食事を持ってやってくる。今朝のモーニングサービスはピザである。

 

「お、朝からギトギトでいいじゃんじゃーん。んー、そういえばマスターってパチンコ打つの?」

 

 配膳し終えたマスターが「私ですか?」と動きを止める。

 

「えぇ、少々嗜む程度ですが打たせて頂いておりますよ。といってもやはりこのお店の方が大事ですから、余り長い時間は打てません。ですから打つのは専らロケットばかりになりますね……」

「ロケット!?」

 

 メルが頭の上に手を置いて三角を作る。どうやらロケットそのものは知っているようである。祐介は考えた。拘束時間が短く、日本でロケットという名に近いパチンコ台と言えば……もしかしたら日本で1996年に設置されたミサイル7-7-6Dかもしれない。つまりマスターの言うロケットとは──。

 

「そのロケットってもしかして一発台ですか?」

 

「おぉ! そうですそうです、お二人がよく行ってらっしゃるパチンコ屋さんにも置いてあるでしょう? あれは昨今の台に比べて後に尾を引く事が無く、それでいてあの三つ穴クルーンにはデジパチには無い緊張感があります。出玉に上限があるので投資に見切りも付けやすいですから」

「三つ穴クルーン!?」

「メル……さっきからうるさい」

 

 指で穴を作って叫ぶメルを嗜めるとマスターは少し笑みを浮かべて「ではこれで……」とお辞儀をして奥に引っ込んでいった。

 

「なぁ祐介ぇ、その一発台ってのは玉がいっぱい出るのか? アタシは打ったこと無いからよくわかんねーんだけど」

「うーん、こればっかりは見てみないと分からないけど当たり穴に入れば玉が一杯出るよ。マスターの言うロケットも一発台で周知されてるぐらいだから4000発程度は保証されるんじゃないか?」

「一発入れば4000発!? そんなの家建つじゃん!」

「建たねーわ! 4000発ってあの店だと約12000円だぞ? それで建つ家ってどれだけ安普請なんだよ!」

「で、でも海とかならボコボコボコっていっぱい入るじゃん! あんな感じじゃないのか!?」

 

 メルは一般的なデジパチのアタッカーをイメージしているのだろう、しかし一発台の当たり穴にボコボコと玉が入ったらパンクである。

 

「一発台の殆どは4000発ぐらいで店から止められるからそれ以上は出ないと思うよ」

「ぶぅー……でも、一発台って中々面白そうじゃん?」

 

 メルが目を輝かせた、こうなっては次に出る言葉は決まっている。祐介はピザを頬張りながらマスターめ、要らぬ種を撒いてくれたなと心の中で毒突く。

 

「祐介ぇ、今日は一発台にしようぜぇ? メルちゃんもすっごく頑張るからぁ!」

「……言うと思った。ま、店で見てから決めよう」

 

 二人はそれから暫く寛いでから喫茶店を出ると強い日射しが目に入った。この異世界にも夏がくるのかもしれない、今日も暑そうである。

 祐介は喫茶店からいつものパチンコ屋へと向かう道すがらマスターが言っていたロケットの模倣元、つまりかつて日本に設置されていたミサイル7-7-6Dを思い出していた。

 ミサイルでは盤面上部の飛び込み口を抜けたパチンコ玉は最終的に円の縁をなぞっているスロープを勢いよく下り、三つ穴クルーンに向かって行く。運良く手前の穴に入れば盤面右にある三連チューリップが開き、夢の時間の始まりである。各連動チューリップには7、7、6と数字が振られておりそれが賞球限度数なのだが、限度数を超えてオーバー入賞すると閉じたチューリップがもう一度開き直す。これが所謂ダブルと呼ばれる現象である。ミサイルはこのダブルがどのチューリップで何回起こるかで獲得玉数が激変する。逆に限度数手前でオーバー入賞すると連動チューリップ一回分を損するので注意が必要だ。他にも──「きゃっ!」という悲鳴と衝撃が身体を襲う。誰かとぶつかったのだ、ハッとして祐介は倒れ掛かる目の前の女性を確りと抱き抱えた。

 

「す、すみません、俺もボーッとしてて……」

 祐介は胸元の女性を見た。栗色の癖毛に真ん丸眼鏡を掛けた華奢な女性である。

「いえ、僕も前を見ていなくてぇ……すみませぇん!」

 

 うるうると瞳を涙で潤ませながら女性は祐介を見上げて謝っている。特別な違和感を覚える特徴は身体に見当たらないので普通の女性なのであろうか。

 

「すみませぇん、しゅみましぇん!」

 

 女性が抱き抱えられたまま何度も細かく頭を下げると、女性特有の甘い香りが祐介の鼻腔を擽る。それにメルやレイゼとは違う、小動物的な可愛さがこの女性には見受けられた。

 

「いやボーッとしていた俺が悪いんだ。本当にすまない、ところでそろそろ手を離していいかな?」

「あ、ははははいぃ! ぼぼ僕ったら男性にしがみついて……しゅしゅみゅみゃしぇん!」

 

 ばっと離れると女性がまたペコペコと頭を下げるので祐介は「大丈夫ですからそんな気になさらず」と取り成す。

 

「ああ、あの! ではまた!」

 女性は突然くるりと踵を返すとピューンと走り去っていく。祐介とメルはそれを呆然と見送ると、お互いに顔を見合わせた。

「……何だったんだ? ではまたってどういう意味なんだ?」

「さぁ? ま、気にせずパチンコ屋に行こうぜ! 一発、一発、一発だーい! 入れば4000、一発だーい!」

 

 メルが能天気な歌を唄いながら歩き始めたので祐介もそれに着いていく。

 

(それにしても、小柄な上に華奢で可愛かったな。異種族とかでもなさそうだったし、また何処かで会いたいなぁ──っ!?)

 

 途端に祐介の脇腹に鋭い痛みが走る! いつの間にかメルが祐介の脇腹を指でつねっていたのだ。その顔は如何にもな仏頂面である。

 

「って、いってぇ! メル、脇腹を摘まむなよ!」

「鼻の下を伸ばして嬉しがってんじゃねぇ! 祐介、お前あんな弱そうな奴が好みなのか? チッ、しょうがねぇな……いいか、見てろよ?」

 

 メルは一呼吸して祐介の正面に立った。

 

「しゅ、しゅませーん、しゅみゅましぇん! ……どう?」

 

 先程の女性の物真似だろうか、メルはペコペコと頭を下げた。

 

「どうと言われても、メルだと頭突きしてきそうだなとしか……」

「なんだとぉ!? それならこれならどうよ……しゅみましぇん、1000万円も借金背負わせてしゅみましぇぇんっ!」

「それは謝って済む範疇を越えてるだろ!」

 

 祐介自身はメルを許しているのだが、一般的にいきなり1000万円の借金は頭を下げたぐらいで許される範疇ではないであろう。

 

「なんだとくのやろぉー! うりうりうりうりぃ!」

「わはははは……っ!? 脇腹を擽るな馬鹿メル、ちょ……やめ……っ!?」

 

 パチンコ屋に向かう二人の足取りは今日も軽いものであった。

 ──それをひっそりと物陰から覗く栗色の影がある。

 

「ふわぁ、失敗しちゃったぁ……でも、男の人の胸に抱き止められるってあんな感じなんですねぇ。はぁぁ……あんなに楽しそうにして……いいな、いいなぁ……」

 

 その影は祐介達から付かず離れずゆっくりと歩いていく。それはパチンコ屋に入っても同様であった。

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