第6話 初めてのカップルシート、初めての結魂
二人が夏野菜物語を打ち始めてから数分、祐介はメルに話し掛けた。
「メル、ハンドルの人差し指辺りにボタンがあるだろ?」
「あぁ、あるな。いつもアタシの人差し指に丁度当たるから鬱陶しいと思ってるんだけど、これがどうかしたか?」
「それはな、ストップボタンというものでパチンコ玉が出るのを止める役割があるんだ。先ずはその使い道から覚えていこう!」
「えぇ~そんなの覚える必要ある? アタシ、こう見えてメルちゃんだぜ?」
今一理解できない理論を振りかざすメルに祐介は首を振る。
「駄目だ、さっきから見ていたらメルは無駄玉を打ちすぎ! パチンコってのは大体の機種が4個までしか抽選結果を保留してくれないんだ。だからそれ以上ヘソに入れても完全に無駄になる! ほら、メルの台の保留が4個貯まったぞ、そこで人差し指のボタンを押す!」
メルは「ぶぅ……」と口を尖らせながらもボタンを押して玉を止めた。ピロッと外れの音がなって次の保留が消化される。すると保留の枠が一つ空く、パチンコ──中でも液晶を使ったデジパチという物は大体がこのシステムである。
「はい、保留が空いたらボタンを離して打ち出しを再開する! メルには三保止めとか捻りとかは口煩くしないから、これだけは守ってくれ。頼むよ」
「しゃーにゃーにゃぁ、分かったよぉ……おっとリーチだ、下から泡……じゃねぇな、これはシャボン玉だ!」
メルの台にリーチ掛かると画面下からシャボン玉がポワポワと現れた。海でいう泡予告なのだろう、二人でメルの台を見守る。
「んん!? んんんんんんん!? んんんんん!!? チッ、外れたか……だけどいきなり良い感触だぜこれは! ほらぁ、祐介も頑張れよぉ!」
「そうだな、とにかく当てないと勝てないからな……」
祐介は保留が3個になったら打ち出しを止めて、無駄玉を極力出さないように打っている。そして貸し出しを1回押す毎にヘソに何回入ったか数えて自分の台が1000円でどの程度抽選を受けれるのかを確認していた。
(これで投資が5000円だが、回転数は平均で25。夏野菜物語のボーダーが15前後なのを考えるとこれは日本でも滅多に見ないお宝調整の台だ、ならばこそ早いところ一回でも当てて持ち玉比率を上げたいところだが……)
祐介がそう思った瞬間に台から「リーチ!」と声が流れる。
「お? こ、これは……」
祐介の声にメルもつられて顔を向けると、祐介の台の画面では凄まじい数のししとうが右から左へと流れている所であった。
「し、ししとう群だ! もしかしてこの台は魚群の代わりに推し野菜が流れるのか!? なんて無駄なこだわりなんだ!」
「おいおいおい祐介ぇ! 何だか熱そうな展開じゃねーかぁ! 当たんのかそれ!? でもリーチしてるの茄子じゃん……なんか嫌だぁ……」
テンパイしている図柄は茄子の5、当たれば確率変動となりもう一度の当たりが確定する。祐介はハンドルから手を離し、頼む……当たってくれ……と胸が締め付けられるような気持ちで見守る。
「茄子でも良い……いやむしろ茄子で当たれば確変なのだから茄子が良いんだ! ししとう群を信じろ、そして何よりししとうを信じた俺を信じろぉ!」
二人が見守るなかでプイプイプイプイと音を鳴らしながらゆっくりと中図柄が滑って行く。2から3へ、続いて4……そして……5、ピタリッ! ジュワンッ!
ピタッと縦一直線に揃った茄子が喜ぶ様に激しく跳ねた、見事に大当たりである。するとそれを祝うように当たった図柄の茄子が画面の下からこれでもかと大量に溢れ出てきた。
「うわっ! 茄子が一杯出て……おえぇぇええぇーーーーっ! なんだそれ気持ち悪い! 別の図柄で当てろ、この馬鹿ぁっ!」
「俺にそんな無茶を言うな! とにかくこれで確変大当たりだ、最低でも3600発は出るから一安心だな」
祐介の顔には安堵の笑顔が浮かぶ。それを尻目にメルは「アタシは茄子なんかで喜んでたまるか!」と鼻息荒く貸し出しボタンを押そうとした。
「待てメル、一先ずもう貸し出しボタンは押さないでくれ。ほら、この玉を渡すからこれを使って」
祐介は大当たり一回分の出玉を箱に詰めてメルに渡した。
「え? アタシはまだお金が残ってるから大丈夫だよ」
「駄目だよ。この店は等価交換じゃないし、出玉の共有が認められているから持ち玉がある時はそこから使わなきゃ損になる。ここは33玉で100円になるってメルは言ったよな? だけど貸し出し料金は1玉4円だ。つまり借りる時は100円で25玉、でもこの店で玉を100円にするには33玉も必要なんだ。この8玉が所謂換金ギャップだ」
「お? お、おう。つまり8玉が……どゆこと?」
「簡単に説明すると1万円投資すると、3200円ぐらい損をするって事だな」
「はぁ!? なんだそれ! そんなの詐欺じゃねーか! ゆ……許せねぇぇーーっ!!」
メルがガタッと立ち上がって席を離れようとするのを祐介は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待てよメル! 何処へ行くつもりだ!?」
「決まってんだろ! このアタシから金を騙し取ろうなんてふざけた事をする奴は誰一人として許さねーってんだよぉ! この店ごと絵流婦流究極奥義臥竜袱紗堕雁墜で全員ぶち殺してやらぁーーっっ!!」
「臥竜、いや何だって!? 待て、待て! 落ち着けって! どのパチンコ屋も大体同じ様になっているんだよ! それに換金ギャップがあっても今は持ち玉があるし、この台の釘調整なら長く打てば打つほど勝つ確率が上がるから大丈夫だよ」
祐介の言葉を聞いたメルは立ち上がったまま顎に手を当ててじっと考えているようである。やがて祐介の方を見ると鋭い目付きのままで聞いた。
「……それはあれか? これを打ってりゃお金ガッポッポってやつか?」
「なんか言い方が賤しいけど、そうだよ」
「んんんんっ! それならまぁ……許してやる! さぁて、当てるぞぉ! ぐししし……っ!」
メルは椅子に座り直してまたハンドルを握り始めた、正に現金な奴である。
それから数時間は経ったであろうか、店のなかでは各々で明暗がはっきりとし始めて、中には肩を落として帰る者も現れ始めた。あれからカップルシートに座りっぱなしの祐介達の後ろには玉がぎっしりと詰まったドル箱が軽く見て10箱以上は置かれていた。
祐介の台は正に絶好調といった様子であり、嵌まらず当たり、抜ければ当たり、当たれば連チャンとパチンコを打つ者にとっては夢のような状況であるがその顔は満面の笑みとはいかず、浮かない顔であった。その原因は隣で延々と祐介の玉を台に飲ませ続けているメルである。
打ち初めのうちは祐介から玉を融通して貰いつつも悪態を吐く余裕もあったのだが一箱二箱と続けて飲まれるうちに軽口も少なくなり、ついにはそれも出なくなったのだ。そして今また祐介の手元から玉がぎっしり詰まった箱がメルの元へと移される。
「うぐっ、へぐっ、す、すまねぇ……ぐすん」
「ノリ打ちなんだから気にしなくても大丈夫だよ、俺の玉はメルの玉でもあるんだからさ。今は偶々俺の台の調子が良いだけで……あ、また当たった」
瞬く間に祐介の台から吐き出される玉をメルが恨めしそうに見詰める。
「選んだとうもろこしが駄目なのかぁ? 祐介みたいにししとうを選べばいいのかなぁ……でもししとうは偶に辛いしなぁ……お? きた、きたきたきたぞぉ! お待ちかねのとうもろこし群じゃい! へへ、おい祐介見てみろよ、ついに来たぜぇ!」
右から左へと流れるとうもろこしの大群にメルは大興奮で今にも台にかぶり付きそうである。メルの台では対角線上に5と6の図柄がテンパイしており、中図柄がゆっくりとスクロールしている。ちなみに5は茄子で6はししとうである。
「茄子かよぉ……いや、この際だ! 茄子でもししとうでもいいから当たれやぁぁーーーーっっ!」
プイプイプイプイとゆっくりと中図柄が滑って行くのを二人は見守る。4、からずるりと5「止まってぇ!」とメルの声も届かずに6「お願いだよぉ!」ぬるりと滑って7。残念ながら外れである。
「……どう? とうもろこし群が出たんだからやっぱり当たった?」
メルは目を閉じて結果を受け入れずに祐介に聞いてみる。メルの台ではとっくに次の回転が始まっているので祐介は「残念ながら……」と言っておいた。
「ふぐぅ! なじぇ当たらないんじゃぁ! 昨日は絶好調だったのにぃ!」
「そんな日もあるさ。玉はまだ沢山あるんだし、気にするなよ」
「嫌じゃ嫌じゃー! アタシが祐介の立場だったら出玉の無い祐介を煽り倒すのにアタシだけ当たらないなんてこんなの嫌じゃー!」
悪魔かお前は、と口から出るのを抑えて祐介は苦笑いした。
暫くはそんな調子でまた時間が経っていったが、そのうちにカップルシートの島に立ち見の客が増えて来たのに祐介は気付いた。立ち見の客は席に座るのでもなく、只通路に立っているだけである。その客達の殆どは一人者らしく、このカップルシートの島には凡そ似つかわしくない客層であった。
「……なんか島が騒がしくなってきたなぁ」
祐介が呟いたその瞬間に客の合間を縫って出てきたのは白いシャツを着た大柄の男性──昨日祐介が連れていかれた事務所の後ろに立って居た、斉藤と呼ばれた男性が手にマイクを持って立っていた。
「大変長らくお待たせ致しましたぁ! 当店のカップルシート名物ぅぅーーーーっっ!! カップルターイムッッ!! なんと本日は二組のお客様がカップルシートで御遊戯されておりまーす!」
ビシッと虚空に向かって人差し指を突き出して斉藤が叫ぶ。事務所では店長にも素っ気ない態度だったのに、彼のこの調子は一体どういう事なのだろう。それにカップルタイムとは……祐介は混乱した様子でメルを見た。
「あーもうそんな時間かぁ……祐介、準備はいいか!」
「え、何の準備? 一体今から何が始まるんだ!?」
気合いを入れるメルを見て益々混乱する祐介に斉藤が近付いて来た。
「さぁ、先ずは彼方のお客様方に仲睦まじい所を私達にお見せして頂きましょう! カップルターイム……スタートォッッ!」
言葉と共に斉藤が祐介達の奥に座っていた獣人のカップルを手で示すと店内の照明がフッと消えて、代わりに獣人達が座っているカップルシートだけがスポットライトで照らされた。祐介はその様子をじっと伺う。
スポットライトの中の二人が軽くハグをして抱き合ったと思ったら、続いてお互いの顔を近付けて──。それを見た通路の野次馬達がどっと沸き上がり「いいぞーやれやれー!」等と声をあげる。カップルは次第にお互いの肉を貪り食うような情熱的なキスを交わし初めた、これではまるで見世物である。状況から察するに次は自分達がやらされるのであろう。祐介はメルに「今のうちに逃げよう」と目配せをするが、メルは首を振って拒否を示した。
「バカ野郎! ここで逃げたら出玉没収だぞ!? 大体このカップルシートに座ろうって言ったのは祐介だろ? だったらこうなるのは最初から分かっていただろーが!」
「こんな事になるなんて分かるわけないだろ! 俺の国のカップルシートじゃこんなシステムは無かったんだよ!」
「だーかーら、アタシがここはイチャイチャちゅっちゅの島って言っただろーが!」
「そんな言い方で分かるか! ちゃんと説明しろぉ!」
「おーーーっとぉ! 此方のカップルも早速痴話喧嘩で盛り上がっております! 自分達の番が待ちきれないのかぁ!? ならば我々もその期待に応えたい! いいでしょう……照明カモーンッッ! えーんど、カップルターイム、スタートォ!!」
斉藤が叫ぶとパッと二人がスポットライトに照らされる。すると辺りにどよめきが拡がっているのが空気に伝わってくる。皆が口々に「エルフとヒューマニーだ」「こりゃ珍しいぜ」「中々可愛い顔をしてるな……あのヒューマニー」等と勝手に囃し立てる。祐介は助けを求めてメルを見るが、当のメルは「ぐしし……」と余裕の笑みである。
「よっしゃおらぁ! 祐介ぇ、お前がへたれて動けねーんなら天井の染みでも数えてろぉ! それじゃ早速アタシから行くぜぇぇーーーっっ!!」
祐介はぐいっと近付いて来るメルを両手で抑えようとするが、それをメルは片手で事も無げに払う。そこから更に空いた片手で祐介の顎をくいっと引きメルは己の唇を豪快に祐介の唇へと押し当てた!
「んんんんんーーーーーーーっっ!!?」
祐介の声にならぬ叫びと共に辺りに歓声が沸き上がる。彼等は「やられてんじゃねーぞヒューマニー!」だの「押し倒せ! 押し倒せ!」だのと勝手に宣うので祐介も多少頭にきたが、メルに抵抗しようにもいつの間にか祐介の両手首はメルの右手にぐいっと捕まれて上に持ち上げられていた。メルの細腕の何処にそんな力があるのか、どれだけ力を入れてもピクリとも動かない。
「へへへ……今日の祐介には大分世話になったからなぁ! アタシがこれでたっぷりお返ししてやるよぉ!」
メルはペロリと舌舐りした後、片手で祐介のシャツを下からぐいっと脱がせた。祐介の然程鍛えてないスラリとした裸体が露になると一部の客から嬌声が上がった。
「……ぐしし、およ? 祐介ぇ……結構綺麗な乳首してんじゃーん?」
「おっまえマジでふざけんなよ! さ、さっさと離せメルゥゥーーーッッ!!」
「あそぉーれ、てろてろてろてろぉ……っ!」
「あっちょ、おま、俺の乳首をさわさわするなぁ……っ!」
くねくねと身体を捩る祐介を抑える様にメルは祐介の身体に股がって乳首をさわさわと優しく触れる。周りの客からは「うぉーー俺の乳首も触ってくれぇ!」と野次が上がる、中には「俺にその乳首を舐めさせてくれぇ!」との声もあったが、何だか怖いので祐介は聞かない事にした。
……そしてそれから紆余曲折あり時間が経っていったが、それらは余り思い出したくはない。ただ唯一言える事は二度とカップルシートに座る事は無いという事だけだ。祐介は閉店間際の換金所で金を数えながらそう思っていた。
「いやー今日はしこたま打ったなぁー! そして勝った、それも大勝利だ! 昨日に引き続き今日もメルちゃん大勝利! なぁそうだろ、祐介?」
確かに今日の結果だけで言えば大勝も大勝であった。最初は燻っていたメルの台も打っていく内にポテンシャルを存分に発揮していったし、祐介の台は最初から最後まで良い調子であった。しかし上機嫌なメルの言葉に祐介は応えない。
「祐介、さっきからどうしたんだよぉ? んー?」
「五月蝿いぞレイプ魔。ほら、投資を差っ引いてきっかり半分……締めて一人頭76500円の浮きだ。大勝は大勝だが、俺は代わりに貞操を失った気がするよ……」
「レイプ魔とは失礼な! こーんな可愛いエルフのメルちゃんとイチャイチャちゅっちゅして貞操を失ったなんて酷い言いようじゃん?」
「イチャイチャちゅっちゅも何もメルが一方的に俺をなぶってただけだろうが! 公衆の面前で乳首はいじるわ、舐めるわ……いや、もう思い出したくもない!」
特に二回目のカップルタイムが酷かった。祐介もまさか二回目があるとは思わず、店員の斉藤が近付いた時点で席を立ってダッシュで逃げようとしたが、メルに「祐介ちゃん、待って♥️」と首根っこを捕まれてそのままソファーに押し込まれてまたなぶられる羽目になったのだ。抵抗しようにもメルの力は凄まじく強くて身を捩るのが精一杯であった。
「とにかくこれで今日のパチンコは終わりだ終わり。昼も食べずに打ってたからな、適当に何処かへご飯でも食べに行かないか?」
そのまま解散でもよかったのだが、メルにはノリ打ちなのに資金を援助して貰ったという恩がある。食事を奢る程度のお返しはするべきだろう。祐介の言葉にメルは指を口に当てて「んー?」と悩む素振りを見せる。
「俺が奢るからさ、行こうぜ?」
「食事も良いけどさぁ……その前に一つ質問していいか? 祐介、今日はどうだった?」
メルは祐介の真正面立って質問を投げ掛ける。祐介の顔色を窺うような、または見定めるような鋭い視線を向けている。
「……カップルタイムの事を言っているなら答えは簡単だ、これ以上無いほど最悪だった。だけどメルが聞きたいのはそうじゃないだろ」
そうだ、メルはそんな事を聞きたいのでは無いはずだ。メルは祐介から視線を外さずに黙っている。
「俺とメルは昨日初めて会った。しかもそれから酒を飲んでパチンコを打っただけの最低な関係だ。それだけとはいえこう言わせて貰うぜ。そんな質問はメルらしくない、ってな。さ、はっきり言えよメル」
メルは祐介の言葉に「ぐしし……」と含み笑いを一つ、もういつものメルの調子に戻ったようだ。
「祐介ったら言うじゃん、言ってくれるじゃーん! それじゃ単刀直入に言うぜ? 祐介、異世界から来たお前はこの世界のパチンコで勝てるか? 勝って勝って勝ちまくれるのか?」
今度は祐介が沈黙する番であった。様々な異種生物が闊歩しながらも現代日本のような異世界、その中で日本と同じ様なパチンコ屋。しかも何故か日本にある台と似たような台が多く、祐介の知識が通用する台も存在する。それを踏まえても不安要素は数え切れないくらいあるが──。
「勝つよ。勿論毎日常勝とはいかないだろうが、店の状況や客のレベル、置いてある台の種類的にも俺なら勝ち切れる。ここは俺みたいな奴にとっちゃ天国さ」
メルはその言葉を待っていたと言わんばかりにニンマリと笑うと祐介に一歩近付いた。祐介はカップルタイムの悪夢が脳裏に蘇って思わず後退りするが、メルはお構いなしに更に近付き、祐介の手を取った。
「祐介、アタシと結魂の契りを交わさないか?」
「け、けっこん!? けっこんって結婚の事か!?」
「あーいやいや、結婚じゃない。結ぶ魂で結魂って書くんだ。祐介の言う結婚は所詮紙切れ一枚の物だろ? でも結魂は違う、魂同士の契約だ。お互いが五分と五分、真に対等な関係になる」
「それじゃ結婚より重いじゃねーか! 駄目駄目、ちょっと怖いよ!」
「だけどアタシにとっては勿論、祐介にとっても悪い話じゃない筈だ。祐介もたった二日だけどこの世界でヒューマニーがどういう位置付けなのかは肌で感じただろ?」
祐介は言葉に詰まってしまう。思い出すのは単眼の店員に玩具みたいに持ち運ばれた事にレイゼにぶん投げられた事、そして何故か自身を舐めるような劣情を押し付けようとした野次馬が居た事。自身の体格が恵まれていないのもあるが、他の種族に対してヒューマニーの身体能力が劣っているのは明らかであった。
「……そういえばカップルタイムの時、なんで俺に興奮してる奴が多かったんだろう……」
祐介の口から零れた言葉にメルは微笑むと祐介の輪郭をなぞるように触れる。
「そういう奴が居ても仕方ない、祐介は可愛い顔をしてるからな。だけどアタシと結魂すればいざという時に助けてやれる! ……かもしれない」
「煮え切らない言葉だな。そこは助けてくれよ」
「ぐしし……まぁ聞けよ。結魂すればアタシ達は仲間だ、家族だ、夫婦ともいえるんだ! 優しい嘘や悲しい現実も未来にはあるかもしれない、だけどお互いに裏切りは絶対に無い! 結魂は絶対に裏切れない、お互いの魂を繋げる儀式だからだ! さぁ、祐介にその気があるなら指を出せ!」
優しい嘘や悲しい現実って何だよ、と祐介は気後れするが頼る筋も知識も無いこの世界でメルからの提案はとても魅力的に思える。それならば、と祐介は覚悟を決めた。しかしどの指を出すべきなのであろうか、やはり左手の薬指を出すべきか。祐介は迷いながらもおずおずと左手を差し出した。
「あん? 左手でも良いけど、アタシはどうせなら右手の小指が欲しいなっとぉ……っ!」
メルは差し出された左手では無く、祐介の右手の小指に自身の左手の小指を引っ掛けてくいっと引っ張る、祐介はその力に為す術も無く引き寄せられてメルの胸元にすぽっと収まる形で抱かれた。
「……こんな世界に来ちまって祐介も不安だらけかもしれないけど、今日からはアタシが側に居る。だから祐介は何の心配もいらねぇ、ただ……」
「ただ……?」
祐介とメルの視線が真っ直ぐに重なる。
「祐介も、同じ様にアタシの側に居てくれ……」
お互いの小指が繋がれたまま、抱擁は続く。
「……まるで俺が口説かれているみたいだ」
茶化す様な祐介の物言いにメルが悪戯っぽく「ぐしし……何を言ってんだか」と微笑んだ後に言葉を続ける。
「──もう、口説き終わったんだよ。そうだろ……?」
あぁ、そうだな……という返事はいらない。次第にお互いがどちらからともなく唇を重ね合う。カップルタイムの時とは違う、決して独り善がりではない相手を気遣った優しい口付け。その果てに結び合った小指が熱く鳴動しているのを祐介は感じていた。重ねた唇とお互いに結んだ小指を介してメルの存在が自身の精神に強烈な痕を刻み付けているのだ。その証が祐介の結んだ小指に現れる、無論メルにも同様に現れた。
「これは……指輪か?」
「いやー、アタシも結魂の契りなんて初めてだからなー。こうやって自分に現れた指輪を見てみると何だか不思議な気持ちがするなー」
お互いの小指に現れた指輪が深緑を映して鈍く光る。その指輪はまるで羽根のような軽さと着け心地をしていて、意識していないと着けている事すら忘れてしまいそうな程に手に馴染んでいた。祐介が引っ張ってみても決して取れず、動かすことすら出来なかった。
「ま、これでアタシと祐介は結魂の契りを交わした唯一無二のパートナーだ! そしてアタシの物は祐介の物! 逆もしかり、ここまではいいよな?」
メルは自身の指輪を見せ付けながら祐介に確認を取っている。
「……そうなる、んだろうな。何か面と向かって言うのも恥ずかしいが、これからよろしくな、メル!」
「おう、二人で頑張って行こうな! 二人でパチンコを頑張れば1000万円の借金なんて直ぐに返せるよな!? さーて流石にメルちゃんもお腹が空いたなー、センベロ屋にでも行って酒でも飲もうぜー!」
「……何だって?」
「へへへ、昨日のセンベロ屋だよ。祝勝会に結魂記念日だぜ? パーっとやろう、パーっと!」
「いや、今メルが変な事を言ったろ!?」
「え……メルちゃんもお腹が空いたなーって言っただけだよ? だよ?」
メルは明後日の方向を向きながら吹けない口笛でひゅーひゅー言わせて惚ける。
「いーや、言った! 1000万!? 1000万の借金って言っただろ! 初っぱなから超弩級の裏切りじゃねーか馬鹿! ふざけんなよ、俺にそんな借金は関係無いからな!」
「でもぉ……それは裏切りっていうか元々のアタシの負債なのでぇ、つまり裏切りとは言えないですしぃ、それでぇ祐介とアタシは結魂の契りを交わした間柄だしぃ……こうして二人には指輪もありますし? この世界だと結魂した指輪持ち同士の資産はノリ打ち? みたいな感じなんでぇ……ぐしし……」
「そ、そんなの悪質な保証人制度じゃねーか! こんな指輪無効だ無効! くそっ外してやる!」
祐介が指輪を何度引っ張っても外れるどころか動きもしない。
「うおぉぉぉーーーーっ!? は、外れねぇ! なんだこれ、おいメル!」
「結魂の証がそんな簡単に外れるわけないじゃん、お互いの魂の存在証明みたいなもんだぜ? 祐介の指輪はアタシが死にでもしない限り外れねーよ。つまりぃ、文字通り祐介の側にはいつもアタシが居る訳だ。ま、一緒に楽しくやっていこうじゃん?」
「ふっざけんなバカメルゥーーーーっっ!!」
祐介が怒りを顕にして伸ばした手を掴み、メルはお互いの指を絡ませる。そしてそのまま腕を組んで歩き出した。半ば引き摺る様な形だが、祐介もいい加減に諦めたのか次第に歩調を合わせ出す。
「……もう他に隠し事とかないだろうな?」
「そんなのないない、さぁー今日も飲んで騒いで寝るぜぇー!」
「迷惑になるから飲んでも騒ぐな。はぁ……それにしてもいきなり借金持ちかよ……明日から気を張らないとな……」
「おいおい、確かに借金は出来ちゃったけどこのメルちゃんも付いてるんだぜ? だからそんなに暗くならないでさ、気合いを入れて行こうぜ! 明日からもパチンコで勝つぞ、おー! ほらほら祐介も手を挙げろよぉ! おーっ!」
メルが繋いだ手を天に突き上げると二人の小指に嵌められた指輪が星に照らされてキラリと光った。その儚くも確かな輝きが、二人の行く末を明るく暗示しているかのようであった。
ここからセンベロ屋までの距離は遠くはない、しかし二人の歩調が心なしかゆっくりなのはお互いにこの時間を大切に思っているからであろうか。聞かずとも身体を寄せ合ったゆったりとした歩調がお互いの答えなのかもしれない。
──そして二人が去った後、路地裏の隅から一つの人影がゆっくりと出てくる。
「ふわぁ……結魂の契りなんて初めて見ちゃったぁ……いいなぁ、僕も結魂の契りを交わしてみたいなぁ。それにしても二人でパチンコをするだけで1000万円も借金を返せるのかなぁ……?」
その人物は祐介達が去っていった方向を見ながらぶつぶつと呟くと、栗色の癖毛をくりくりと触りながら人通りのある道路へと向かって行った。
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