彼方へ届く
1
物語は世界であると、彼女は言った。
紡がれた言葉の積み重ねで築かれた現世。自分達が日々を生きる景観の隣に、裏側に、頭上に広がる、映し出された風景。
広大無辺。それらは正に、数多の書き手が産み落とした空空漠々の詩篇の賜物であった。
けれど。それらはしかし、疑う余地も無く、閉ざされた世界だ。
物語とは、読み手無くして成立しない。
己が内に広がる宇宙を吐き出すばかりの行いも、無論あり得なくはない。けれど。言葉が伝達を目的として生み出された物である以上、産み落とされた創作と、それを受け取る第三者を分断する事こそ不自然だ。
閉じた世界は拡大する。それこそ読み手の数だけ。見上げた空が同じでも、見る者の所在で表情を変える綺羅星の様に。異なる解釈を以て受け入れられた各々の世界は、その時点で、地続きの別物。出発点を同じくする、極めて良く似た、異界。
一冊の書冊に。或いは一編の詩に。もしくは一行の文節に。ともすれば、たった一つの単語ですら。受け取った人のその数だけ、異なる意味を持ち得る。
読み解く事は、不完全を完成させる行為。描き出された未確定を固定する、末期の一片。
傲慢だろうか。自問する。
読み手を求めない言葉は確かに存在する。この世界に溢れる多くの書冊がその限りではないと、断ずる根拠はどこにもない。ならば読み手とは、鍵の掛からぬ扉を悪戯に開き物色するばかりの盗人ではないのか。
—そんな筈はない。自答する。
鍵は閉めわすれられたのではない。開け放たれていた。それはきっと、何者かの来訪を淡く願ってのことだった筈だ。
ならば、意味はある。永劫拡大し続ける不確定な世界に楔を打つ様に。自身が見出した世界の伝聞として。
「読み解かれ、命を有した言葉達が何処へ向かうのか。考えた事はあるかい」
村の外れ。人の姿はもはや皆目見当たらない、獣道。導かれるまま問いかけられ、しかし思い当たる事などある訳もなく、否定する。
「命を有した言葉は、この世界に還るんだ。還り、それはこの世界の真実として永劫を生きる事になる」
言葉は、理解し難いものだった。というより、理解する為の材料が極端に少ない。尚且つ、それでは結局、あれらの書冊に描かれた世界が紛い物であったと言うことになる。
それらの疑念は、先生からしても当然のものであったらしい。歩みはそのまま、一つずつゆっくりと言葉を続ける。
「久世の家に遺された蔵書。いくつかの歴史的文献やそれに纏わる資料を除いた、物語の数々。…あれらは全て実話だ。空想や妄想、あるいは何人かによる夢想の虚構ではなく、過去実存した事実の記録なんだ」
生半に信じられる話ではなかった。字を覚え、言葉を読み進め、書冊に描かれた世界を解きほぐせば解すだけ、その念は強くなるばかりだった。それほど、描き出された物語は浮世離れしていた。
物語の多くには、人ならざる者の存在が描かれていた。
天地を覆う巨躯の龍。大陸と見紛うばかりの獣。天候を自在に司る人型の異形。妖か幻、或いは神と呼称されて然るべき超然の存在。そうした者達が跋扈する異界の出来事とその顛末。物語は往々にして、そうした内容のものばかりだった。
子供じみた空想。そう評するのは酷く簡単だ。だが、それにしてはどうにも違和感を感じる部分が多かったのも確かだった。
不自然なまでに作り込まれた怪異の造形。引き起こされた事象に伴う被害の生々しさ。極め付けは、それらに対しての事細かな対処法。それらはあたかも、再び同一の存在が災禍をもたらさんとする時、取るべき対処法を記した指南書の様相だった。
仮に。紡がれていたものが御伽話ではなく、史実に基づく記録だとするなら。それはなんらおかしな話では無いのではないか。
「その様子だと、お嬢さんの文にこの事は書いてあったみたいだね」
沈黙を以て肯定とする。先生がそれを受け、尚言葉の先を口にする。
「我々が常日頃生きるこの世界には、我々の考えの遠く及ばない超越的な存在が確かにいる。そして、それらと対話し、時に争い、人という種を守ろうとしていた者達も同じ様に。あれらは本来人の身で対処など到底出来ない存在から辛くも生還した者たちの記録なのさ」
既に夜はとっぷりと暮れ。尚進むその先は深い闇。木々を揺らす何らかの生き物の気配ですら鮮明な、張り詰めた静寂。
「それら超然の存在が、各々種としてどの程度の個体数存在しているのかは誰にもわからない。故に人々は次を見越してその対処法を記録した。…遠い昔からの話だがね。ただ、その記録は不完全なものだった。記された物と寸分違わぬ特性を持つ超然の者どもはけれど、存在としての不確定さを多分に内包していた。その変容に、人々は対処出来ずにいた」
曰く。全くの同一と思われた存在の特性が、刻々と変わり続けるという事。
日が暮れ夜が来ない様に。
滴り落ちた水滴が上空に伸びる様に。
真実が確定されないまま、絵空事の様な現象にただ翻弄される。それは最早悪夢以外の何者でもない。だがそれはある意味至極当然の話でもあった。そもそも。顕現した超然たる者が、過去現れた共通項を有する物らと同種であると断定することすら、人々には出来ないのだから。
「そんな綱渡の様な時代が永く続いた頃。ある一つの怪異が現れた。人語を理解し、人の世に異端の理を説いた、最初の超然。
それは、仏の教えに準えて
人ならざる何者か。今や実存すら疑わしいそれは、仰々しくも苦悶から人等を救うと称されたという。
「救世は人の世に、人ならざる者の理と…それらに相対した時人が執るべき対応の幾つかを伝えた。だが、それらは救世が持つ異端としての性質から考えれば、おまけの様なもの。
救世の異質、それは…空想の具現化。そして転じて、虚構を真実に縫い付ける力だった」
久世の蔵書。その内でも最も古いものの一つに、救世と名付けられた異端の異業が記されていた。曰く、吐いた言葉は形を成して産み落とされる。病に伏した者どもを、健やかである、という妄言で救った、など。
救世が口にした虚構は現実となる。故に、彼は…もしくは彼女は、それまでに残されていた超然の記録を伝承した。未確定な存在を確定させ、同一なる者を全くの同一のものへと変質させた。
世の理の遥か外側を往来する異端。徒に現れるそれら超越の存在に翻弄され続けていた人々にとって、抗う術を確かな物として確約する救世の存在は正に仏の様な存在だったろう。
そして。超然たる者は、永く寄り添う内、共に過ごす人の子らに親愛の念を抱き。一つの虚構を現実のものとした。
「久世の一族とはつまり、人ならざるものが人へと変わり移ろった果ての果て。その末裔こそ、お嬢さんだったのさ」
超然は凡庸へ。異端は普遍へ。
異質な異界の住人は、自らの望みを以て、人へと成り果てた。それは果たして寄り添う姿か、神仏の堕落か。答えは、出ない。
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