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「…しかし、君から出向いてくれと頼まれるとは思わなかったよ」

 簡単な近況報告の交換の後、抱いていた疑問を投げかける。

 村を出た後。折を見て自ら村を訪れる事は何度かあったし、その際にも新羅君とは都度話す機会があった。だがそれはあくまで、私の事後処理の余暇においてという側面が強かった。新羅君自身が私を遠方から呼び付けるというのは、かつて一度もなかった。

「ご多忙な先生にわざわざ足を運んで頂くのには少し躊躇したのですが…どうしてもお話ししておきたいことがありまして」

 申し訳なさを滲ませる。その様に、疑問はしかし、ある種の確信に近い予感を帯びる。

 話したい事、と彼は言った。それだけが理由であるならば、本来彼の性格を考えるに私を呼び付ける事はせず、自身が私の元へ足を運んでいたはずだ。それをしなかったと言う事は、話す場がこの村である必要があったと言う事。そしてその理由に一つ、私には心当たりがあった。

「久世邸宅の蔵書についての話です」

 恐らく、彼は知ったのだ。久世の一族が保有し、連綿と秘匿されたまま今日に至った、数多の蔵書に纏わる、ある事実を。故にこそ私をこの村に呼び、最後の確認をしようとしていたのだ。

「…お嬢さんの文、かい」

 新羅君は頷き、肯定を示す。

「大部分は信じ難い夢想のような内容でしたし、今日に至って未だ無条件に鵜呑みに出来る話ではありませんでした。ただ、そういう世界があるのだろうと。自分なりに確かめた今は、そう思っています」

 言葉から。恐らく、秘匿された要項の全容を彼が把握しているであろう事を察する。話の腰を折る事を嫌い、口には出さなかったが。全てを知らされた上で、この言葉が出るあたりは本当に流石としか言いようがない。

「蔵書は読んだかい」

「邸宅にある物は、全て」

「そうか。…大変だったろう」

 ある事情から。持ち主を失った後も、邸宅と蔵書はそのままの状態が維持されていた。今でこそ停滞しているものの、お嬢さんが存命中には暦の単位で蔵書は増えるばかりだった。ほんの数年前まで文字を読むことが出来なかった少年が、それら全てを読み解く。言葉以上に、それがどれだけ大変だったかは想像に難くない。

「新羅君はどう感じた?あれらの書冊に描かれた事柄を」

問われ、新羅君は暫し沈黙する。脳裏に刻まれた言葉達の幾つかを回想する、緩い静寂。けれどそれも長くは続かず、パッと顔を上げて口を開く。

「神様はいるのかもしれない、と思いました」


「多くの物語の中に登場する、人ならざる人、物、或いはもっと大雑把にそうした一連の存在。時に人を欺き、仇為し、災厄をもたらす。かと思えばある他方では恵を与え、幸福を叶えるものもある。共通する事は人智を越えると言う一点の他はないけれど、それらは正しく超然の者共だということ。それらに纏わる、取り巻く…時として直接出会うこともないまま引き起こされる幾つかの事象と、その顛末。それらは殆ど伝承や神話の類であると感じました」

そして、と。一拍を置いて紡がれた言葉に

「彼女が…合歓が見ていたのは、ああした世界だったのか、と。理解されなかった事は仕方がなかったのか、と妙に納得もしました」

彼女が。託す相手を彼に選んだ事は、間違っていなかったのだと、私は確信を得た。


「少し、歩かないかい?」

 私の突然の申し出に、新羅君は僅か困惑の色を示す。

「勿論構いませんが、どちらに…?」



 本音を言えば。村についてからも、私はずっと迷っていた。

 本来的に久世の家とは全く無縁…どころか生きる世界の根幹すら違える青年に話し…あまつさえ、願い出る事は、間違っているのではないか。青年の人生に要らぬ負担を抱え込ませるばかりではないかと。

 だがそれは、不義理だ。誠実に実直に、私と彼女に向き合ってくれた青年に対しての行いとして、あまりに不適当だ。


 伝えた結果、彼がどんな生き方を選び取るか。それは、わからない。ただそれがどんな形であれ、私に彼を否定するつもりは一切ない。故にこそ、伝えなければならない。


「最期に。新羅君にを見せよう」


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