第21話 後悔
「……ここまでくれば、大丈夫な筈です」
「は、はい」
アリスがグレンの言葉に返事して足を緩めた瞬間、視線の先のグレンがふらつく。グレンは木の幹に手をついて何とか倒れるのを免れたが、そのままそこにもたれかかるようにして体を預けた。
「グレンさん!?」
「……大丈夫です」
アリスは慌てて駆け寄ろうとするも、グレンは苦しげにそう言って、手の平をアリスに向ける。
そんなグレンの言葉とは逆に、グレンは胸の辺りを抑えており、俯いた顔には苦悶の表情が浮かんでいる。
先程までは、アリスがついていくので精一杯になる程の速さと軽やかさで走っていたと言うのにだ。
普段のアリスであれば、聖女だった頃のアリスであれば、その静止を無視してもグレンの介抱に向かっただろうが、そうはならなかった。
アリスが伸ばした手はゆっくり下りて、足も止まった。
その原因は明白だ。
グレンの言葉を無視して、独断専行で行動したこと。
その行動が恐らく間違っていただろうこと。
そして、その行動によってグレンが苦しむ結果になったことの三つだ。
距離が広がった気がした。
グレンが突き出した手がまるで大きな壁のように感じられた。
なによりも、自分が動くことによって、またグレンが苦しむことになるのではないかと言う恐れがアリスを縛り付けたのだ。
「お見苦しいところをお見せしました」
「ぁ……。そ、それは良かったです」
アリスが思い悩んでいるところで、いつの間にか体調が回復したグレンから声がかけられる。
しかし、アリスの返答は歯切れが悪い。
「これから、どうしますか?」
まだ少し具合が悪そうなグレンはアリスの様子に気が付かないまま、そう問いかける。
「どう……とは」
「……あぁ、そうか。ではご説明します」
アリスの問いかけに、グレンは勝手に納得して、しっかりとアリスの方を見る。
「まず、あれは魔獣ではなく、マカナウィトルという禁猟種に指定されている動物です」
「禁猟種……ですか?」
アリスはその言葉に動揺する。
「はい。個体数が多く無いので、アリス様が知らなくても仕方がないとは思います」
グレンはそんなアリスの動揺をフォローするようにそう付け加えた。
「話を進めますが、今回の一件、行商人と集落の長が嘘をついている可能性が高いです。……正確には、マカナウィトルが行商人を襲ったのではなく、マカナウィトルを狙った行商人が返り討ちにされたのだと思います」
「なぜ……」
アリスの心臓がギュッと締め付けられたように痛んだ。
――なぜ、そんなウソをついたのか。なぜ、無条件に彼らを信じてしまったのか。
後悔ばかりが募っていく。
そんなアリスの言葉を別の意味に捉えたグレンがその説明をする。
「シンプルな話です。襲われたなら、行商人がマカナウィトルから逃げられるはずがないこと。そもそも、マカナウィトルが積極的に人を攻撃しない動物であること。特に幼体がいる状態でそんな行動に出ることはないでしょうね。……攻撃された場合を除き」
「それじゃあ……私のやったことは」
アリスから絞り出したような震え声が漏れる。
そんなアリスの様子にグレンは言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「騙された……ということですね。後は……」
グレンは顰めっ面を浮かべて、言葉をそこで切った。
そして少し悩んだ後、口を開く。
「あの幼体が死んでしまった場合、マカナウィトルはその原因である行商人に復讐をするでしょう。その場合、集落を襲うことにもなるので……恐らく、あの集落自体も無事では済まないでしょう」
アリスは息を呑む。
グレンは慎重に言葉を選んだが、「無事では済まない」が意味することはアリスにも容易に察しが付く。
アリスは震える唇を何とか動かす。
「……止める方法は?」
「マカナウィトルは賢い動物です。幼体を治療できれば無闇に集落を攻撃することはないでしょうが……」
「ぁ……」
グレンが言い切る前に、アリスからか細い声が上がると同時に、その場にへたり込んだ。
聖女になれる程の少女だ、グレンが言うまでもなく、自分の行いで、たった一つの解決方法が潰えた事を理解したのだ。
「私のせいで……」
グレンはその姿を見て、僅かな間、ぎゅっと目を閉じて息を吐く。
グレンは確かに独断専行をしたアリスに多少の怒りは感じていた。
しかし、アリスに悪意があっての行動では無いことも分かっているし、それを深く後悔していることも分かる。
だから、ひどく落ち込んだ様子のアリスを責めることなど、到底できなかった。
何よりも、グレンは自分の行動を悔いていたし、責任を感じていた。
グレンがここまでの旅で、しっかりとアリスと話していれば、恐らくこの結果には繋がらなかった筈だからだ。
これは明確にグレンの責任だ。
――まだ間に合う。これで終わりでは無い。
グレンはもう一度大きな深呼吸をするとキツく拳を握りしめる。
「アリス様……」
グレンはアリスに歩み寄る。
アリスは地面に手をついまま、俯いた顔を上げない。
「もういいんです、グレンさん。私は結局誰も救えないし、何かするだけ誰かが不幸になるだけだから」
「アリス様、まだ手遅れじゃない」
グレンがアリスの肩に手を置くと、アリスがそれを振り払って、顔を上げた。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「いつも私のせいでみんな死んでいく!皆の為にと思っても、それで誰かが不幸になる!」
アリスは溢れる涙をそのままに叫ぶ。
そして、諦めの笑みを浮かべてグレンの方を向く。
「グレンさん……。無責任ですが、もう私のことは忘れて下さい。私はこれ以上……。これ以上、私のせいで人が死ぬのには耐えられないんです」
グレンはそんなアリスをまっすぐ見つめたまま視線を逸らさない。
そんな心が折れた様子のアリスを見ても、グレンの決意は揺らがない。
「まだ手はある。まだ、間に合います。アリス様」
グレンの言葉にアリスは反応を見せない。そんなアリスにお構いなく、グレンは言葉を続ける。
「マカナウィトルは賢い生き物だ。幼体さえ無事ならわざわざ集落を襲うリスクは取らない」
それが自信を責める言葉に聞こえたのか、その言葉にアリスはびくりと体を揺らす。
「ええ、知っています。さっきも聞きました。あの攻撃で私たちも敵と認定されたから、私が治療することができないんですよね」
自嘲じみた笑みをアリスは浮かべて、そうグレンに返した。
だが、グレンはそんなアリスを見て不敵に笑って見せた。
「穏便に済ませるのが無理なら、無理矢理治療してしまえばいい」
「無理矢理……?何を言っているのですか」
「簡単な作戦です。俺がマカナウィトルを引きつけている間に、アリス様が幼体を治療する。それだけです」
「そんな無茶な話……。良いんですよもう。私は――私のわがままで、グレンさんをそんな危険な目に合わせるつもりはありませんから」
「でも俺はいきますよ。この作戦はアリス様が協力してくれないと成り立たないから、無駄死になるだけですが」
「何を言って……。冗談でもそんな事を言わないでください」
「この顔が冗談に見えますか」
アリスはその言葉に顔をあげる。
その視線の先に映るグレンの真剣な眼差しはアリスの目を見つめ、決して目を逸らさない。
アリスはそれに狼狽えた様子を見せる。
「なんでそこまで……」
「まだ終わってない。まだ間に合う。俺も二度と後悔したくない。だから、アリス様。俺に手を貸してくれ」
「……」
アリスはそのグレンの言葉に恐る恐る口を開く。
「まだ、間に合うのですね?」
「はい」
「勝算はあるんですね?」
「はい」
「皆を……救えるんだよね?」
「二人なら」
アリスは目を閉じる。
そして、大きく深呼吸したかと思うと、両手で自分の頬を強く叩いた。
周囲に音が響くほど強さで叩いたアリスに、グレンは驚いたように目を見開く。
「分かりました。私もあなたと共に戦います」
「っ……ありがとうございます。アリス様、手を」
笑顔を浮かべたグレンが伸ばした手をアリスが掴み立ち上がる。
「それでは、グレンさん。作戦を聞かせて下さい」
「喜んで」
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