第19話 対立

 ……本当にこれでいいのだろうか。

 ――人助けなのだから間違っていないはずだ。


 アリスは何度目になるか分からない自問自答をする。


 グレンとのちょっとした口論に随分と心を乱され、眠れずにいたアリスは、気がつくと集落の長の家の前にいた。

 夜も更けた頃だと言うのに、家の明かりはまだついていて、それで尚更引くに引け無くなったアリスがそのドアをノックすると、疲れが顔に浮かんだ長がその扉を開けた。

 その表情を見た途端、口を衝いてでたのが「魔獣の撃退に出ましょうか」という言葉だった。聖女時代の名残というのか、そんな言葉を無意識に発してしまった自分に驚いたアリスだが、一度口に出してしまった言葉は飲み込めない。

 驚きと喜びが入り混じったような表情を浮かべ、アリスの手を取りながら感謝の言葉を何度も述べる集落の長の姿を見て、「やっぱり辞めた」とアリスが言えるわけもない。

 それに、長の手から読み取れる感情は焦り、不安、恐怖、後悔で占められており、それもアリスの使命感を後押しすることとなった。


 そうして、アリスは貰った情報を頼りに暗い森の中を進む事になったわけだが、気がつくとその足取りは重くなっていた。


「困っている人を救う」。

 それは聖女を辞めた今でも――いや、今だからこそ、アリスの行動指針の中心にあることだ。

 それでもなお、アリスに迷いがあるのは、グレンに反抗する形になった自分の決断と行動に自信を持てなかったからだ。

 今までアリスは、聖女としていくつもの仕事を行ってきた。

 単純に「聖女らしい仕事」だけではなく、血生臭い仕事もあった。その中には、当然魔獣の討伐もあった。

 しかし、そういった仕事のすべてが教会からの指示であり、自身の判断によって行ったものは無く、また、一人で仕事をすることもなかったのだ。

 だから、アリスは自信を持てずにいるし、たった一週間ちょっとの付き合いだ

 と言うのに、グレンがいないことが心細かったのだ。

 

「本当に何をしてるのかな。私は」


 アリスはそんな自己分析の結果にため息を吐いた。

 結局、聖女という立場が無くなれば、ただの無力な少女でしかないのだと痛感させられた。


「っ……」


 そんな、無力感に苛まれている中、突如アリスの感覚が別の生物の存在を捕え、アリスは息を呑む。

 アリスはそれと邂逅を果たしたのだ。

 黒に近い深緑の鱗が身体中を覆う、巨体を持った四足歩行の魔獣。

 鋭い棘のついた尾、逆だった鱗と鋭い牙は長からもらった情報と一致する。


 ……なるほど、目の前にいるは相当危険なようだ。


 今ならば、長がアリスに「魔獣に詳しいか」という問いかけ、念をおして、危険で凶暴で賢い相手だと伝えてきた意味も良く分かる。

 アリスは魔獣という存在を相手にしたことは何度もあるが、それの専門家というわけではない。相対する相手についてはよく調べていたが、それ以外に関してはからっきしだ。

 事前に情報をもらっていなければ、アリスはこの魔獣を相手にすることはなかっただろう。どう考えてもただの行商人が逃げ切れるような相手ではない。


 アリスは目を凝らし、その魔獣をよく観察する。

 随分興奮した様子の魔獣は周囲をしきりに警戒しており、下手な動きをしようものならすぐさま察知されるだろう。


「あれは……子供?」


 その足元、血を流して弱弱しく鳴いている魔獣の姿が目に留まる。

 危険な魔獣、とは言えども幼体がいないわけではない。

 それに幼体の頃から危険な魔獣はいくらでもいると聞いているし、アリスも実際に相手したことはある。

 そして、幼体が傷ついている所を見て、アリスは今回の一件の線と線が繋がった気がした。


 ……なるほど。幼体に襲われたから、行商人は逃げ切れたんだ。


 それならば納得がいく。

 それに長の様子も同様だ。

「賢い」魔獣であれば自身の子供を傷つけた人間を探して復讐くらいはするだろう。

 となれば、早く片を付けなければ、あの行商人だけでなく、集落の人間すべてに被害が出る可能性がある。


 まだアリスの状態は万全には程遠い。

 しかし、一撃目で可能な限りダメージを与えなければ、今後の戦いは厳しくなるだろう。可能であれば聖剣を召喚することは避けたい。


 アリスは魔法の負担を避けるため、指先に僅かな魔力を込めると宙に魔法陣を描いていく。

 アリスは迷いなく、そしてスムーズに魔法陣を描いていき、一分足らずで魔法陣は完成した。


「――地より生まれし礎よ、穿て。『黒……』」


「ま、まて!」


 アリスが魔法を放とうとした瞬間、この一週間でよく聞いた声が耳に入る。


「『……礫』!?」


 しかし、その静止の声も間に合わず、アリスの詠唱は完了し、魔法はマカナウィトルに向って放たれた。


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