3 溶かさないでアイス

年末近いある晩、オセロで三連勝したから、ダッツ買ってきてよとわがままを言ったら、姉は「行ってきまあす」とにこにこ笑って出かけて行った。もう夜遅いからスーパーは閉まっているのにどうするつもりかしら。夜中もやってる最寄りのコンビニまでは、暗くて長い夜道を自転車で三十分かかる。往復一時間。そんな体力、姉は持っていないと思うのだけど。


わたしはちょっと悩んでから、追いかけないで先に眠ることにした。姉もすぐそこのスーパーが閉まっていることを知ったら、きっと今晩中にアイスは買えないと諦めて帰ってくる。


ちょっと意地悪だけど、わたしは姉に後悔してほしかった。妹なんかのために寒い夜に外出したけど徒労に終わったわ、とがっくりして、わたしのことを少しだけ嫌いになってほしかった。だって優しすぎるんだもの。わたしとの勝負にわざと負けたり、わたしの言うことを何でもはいはいと聞いてしまったり、そういう考えなしの甘やかした態度を反省してほしかった。


でも翌朝になって、後悔したのはわたしのほうだった。


姉が帰ってきていなかった。

姉は家のどこにもいなかった。姉の靴もコートも財布もなかった。

なのに、電源の切れたこたつの上には、ダッツじゃないバニラのカップアイスが一つ、ぽつんと置かれていた。

きっとコンビニまで行ってくれたのね。でもダッツが無くて、どうしようと頑張って考えて、それで何もかも嫌になってしまったのね。アイスを置き土産にして、どこかへ行ってしまったみたい。

日頃優しい人ほど、怒るとぷっつり切れてしまうとは聞いたことがあるけれど、こんなふうにすっと消えてしまうのだとは知らなかった。

わたしに愛想が尽きたなら仕方がないけれど、お別れくらい言ってちょうだいよ。


「ひどいわ姉さん」とわたしはこたつの前に泣き伏した。

そうしたら姉の声が「ごめんねえ、ダッツじゃなくて」と答えた。


さみしすぎてさっそく幻聴が始まったのね、と思いながら、わたしはこたつをつけて潜りこみ、夢心地で空想の姉に返事をした。


「姉さん、わたしのほうこそごめんなさい。こんな真冬にアイスが食べたいなんて言って。困らせたくてうそをついたの。あきれてほしかったの、けんかがしてみたかっただけなの」

「まあ!」と姉の声がどこか近くから響いた。「あなたのためにアイスになったのに、あなたはアイスが食べたくなかったの? 早とちりしちゃったわね」

「なんですって、姉さん、アイスになったの?」

「そうよ、今、あなたの前にいるじゃない」


わたしははっとして起き上がった。こたつの上のカップアイスが、じっとわたしを見つめてくる。これは姉だわ、という直感が走って、自分でもびっくりする。


「まさか姉さん、このアイスは姉さんなの?」

「そうよ。せっかくアイスになったんだから、もう食べたくなくても食べてちょうだい」

「なんでアイスなどになっているの?」

「スーパーにもコンビニもダッツがなくって、頑張ってかみさまにお願いしたのよ。でもかみさまはダッツをご存じなくてね、結局ふつうのバニラアイスになってしまったの」

「そんな。それって、わたしがアイスを食べたいって言ったせいよね」

「あなたが喜んでくれるならいいのよ」

「いいわけがないわ、たった一人の姉さんがアイスになっちゃうなんて。信じられない。わたしがかみさまに逆のお願いをしてくるわ」

「あら、本当? わたしを食べてくれないの?」

「姉さんを食べられるわけがないでしょう。人間に戻ってくれないと」


わたしは毅然と立ち上がって、ふと気になってカレンダーを確認した。今日は12月29日。わたしも姉もかみさまたちも、昨日が仕事納めで、今日からしばらく年末休暇なのだった。わたしはがっくりうなだれて、こたつの上の姉をつついた。


「姉さん、姉さんがお願いしたかみさまはいつお休みから戻って来られるの?」

「さあ、百年ぶりに休暇を取ると仰っていたから、もしかしたら長い長いお休みかもしれない。まあいいじゃないの。来年になったら問い合わせてみましょう。とりあえずいっしょに年末特番でも見ましょうよ……あら、溶けてきちゃった」


姉の声が、じんわりとやわらかく濁った。

こたつの上のアイスは溶けてしまう。

ひやっと恐ろしくなって、わたしは大慌てで姉を持ち上げて、冷凍庫に連れて行った。他のアイスの隙間に姉をそっと置いて、様子を見守る。姉はほうと息をついて元気を取り戻したようだった。


「あらありがとう。ここなら溶けずに過ごせそうね」

「でも姉さん、どうしましょう。冷やしておくには引き出しを閉めなきゃいけないけれど、そしたら姉さんをこんな狭くて暗いところに閉じ込めることになってしまうわ」

「かまわないで。役立たずの姉をこうして溶かさずにおいてくれるだけでじゅうぶんよ。さあ、閉めて。来年になってもあなたが姉のことを食べずに覚えていたら、また会いましょう」


それきり、姉は黙ってしまった。他のアイスたちに冷たく囲まれて、ぼんやりと眠っているような気配がする。

わたしは静かに引き出しを閉めた。


きっと姉にもこういう時間が必要なのね。誰にも気を遣わずに、まるでただの物になって眠る時間が。


一人ぼっちで年を越すのはさみしいけれど、姉のためになるなら、いいかな。

とりあえず、年が明けたら役所に行って神鬼局の申請書類を取り寄せて、それから、わたしのような不孝者の妹のために頑張らなくていいと、きちんと話をしよう。

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