2 人怖じしなくなった妹【人怖】

妹は愚鈍で臆病で引っ込み思案で小さい頃からいつでも俺の背中に隠れていた。人前では困ったようにはにかむばかりで何も話さなかった。代わりに俺が何でも引き受けた。人と話すのも親を手伝うのも二人でバスに乗る時運賃を払うのも俺。妹は俺が教えてやらないと何もできなかったし俺が手伝ってやってようやく半人前だった。怖がりで無力でかわいそうな妹だから俺は兄として優しく接してやった。


その妹が俺に相談もなく突然髪を染めた。茶髪どころじゃない、明るい金髪。春休みが明ければ高校生になるからだろうが、高校生が派手である必要はない。テレビで見る高校生をバカみたいに真面目に真似したのだろう。必要ない、似合ってない、と俺は笑いながら教えてやった。妹は「私は金髪にしたい」「もう高校生だから自分のことは自分で決める」と緊張した面持ちで言った。自分で決めるなんて妹には難しすぎる。俺は丁寧に諭してやろうと思ったが、どうせすぐに無理だと気付いて自分から助けを求めてくるはずだ。高校が始まれば教室で明るい髪は悪目立ちするだろうし、新生活は勉強も部活もわからないことだらけだろう。妹が泣きついてきたら、ほら、やっぱりお前には無理なんだ、と一度冷たくしてから、優しく助けてやろう。妹はますます俺を尊敬してありがたがることになる。そう思ってほうっておいた。


しかしそういえば妹の高校は、俺の通うような進学校とは違い、地元の頭の悪い人間がとりあえず集まるような、ランクの低い高校だった。だから髪を染める奴も大勢いるし、勉強よりバイトだのカラオケだのボーリングだのにうつつを抜かすバカも多かった。そういう学校では、妹の頭の悪さと金髪はむしろクラスに上手く馴染むのに役立ったらしい。友達ができてはしゃいだ妹は「もっと高校生らしくなる」などと言ってメイクや洋服に金を使うようになった。親からの小遣いでは足りないと一度相談されたが、学生なら勉強しろと突っぱねたら二度と俺には頼らず、勝手に親の許可を得てバイトを始めた。帰りが遅いことを俺が咎めると、「もう子供じゃないし」と妹は強気で言いのけた。あまりの無遠慮さに驚いて俺は何も言い返せなかった。


妹の格好はどんどん派手になった。昔は俺と同じ黒髪をまっすぐに下ろして俯き加減に人の顔色をうかがう子供だったのに、今じゃ軽薄な金髪をくるくる巻いて俺に見向きもせず大勢の友達と遊びまわっている。成績は悪い。もとからバカだったが、バカの高校の中でもさらにバカとなると、行ける大学はないのではないか。勉強しろ、このままじゃ進学できないぞ、としつこく心配してやったら、「高校出たら独り立ちして働く」などと言う。


「私は勉強したって大学に行ける頭じゃないし、高校出たら家を出て、自分で勝手にやるから。お兄ちゃんは心配しないでいいよ。今までありがとう。もう、いいから」


俺を突き放すようなことを言いながら、妹は感謝だけを示すように笑っていた。明るくはきはきとして、まるで何も怖いことはないような振る舞いだった。小さい頃の、恐る恐るおやつを食べていいか俺に許可をもらおうとする愚かなかわいげは失われた。もはや俺が大事にかわいがっていた妹の面影はどこにもなかった。


こんな子ではなかったのに。かわいい妹はもうどこにもいない。見た目が変わって、中身も変わってしまったのだ。妹は別人になってしまったのだ。すっかり別物になってしまって、気味が悪い。怖い。気持ちが悪い。


こんな妹はいらない。

早く家を出てほしいと、思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る