ホットミルクはいかが?

 大通りを避け、混雑を避ける。この時間の交通量の少ない道は把握しているし、スマートコンタクトからの情報でルート選びは最適なものになっていた。

(この辺りまで来れば大丈夫だろう)

「で、どこで降ろせばいいんだ?」

 俺はバックミラー越しに映る女に声を掛けた。

「――」

 女は俯いたまま口を開かない。派手な金髪のショート。髪を耳にかけており、幾つもピアスがついている。黒を基調としたパーカーに、ダメージ加工の入った黒のスキニー。大きめの黒いブーツを履いていた。

「おい、聞こえてんだろ?」

「……とにかく遠くへ行ってください」

「遠くへったって……金はあんのか?」

「あまり……」

「ちっ」

 しゃあねえなと心で呟き、運転に集中する。少し戻ることになるが、あそこに行くか。ウィンカーをつけ、交差点を曲がり、目的地へと向かった。


 ボードゲームバー「ユートピア」と書かれた看板には灯りが灯っていた。『ガラン』とドアにつけられたベルが鳴る。カウンターには客が二人ほど……酒を嗜んでいるようだ。テーブル席には誰もいない。アンティークで洒落た雰囲気の店だった。内装はマスターの趣味で、国内外から取り寄せた落ち着いた雰囲気の椅子やテーブル。壁際の棚にはボードゲームやカードゲーム。紙の本が所狭しと並べられている。

「おう、綱吉か。女連れか?」

 カウンターの奥の店主が俺に声をかける。店主は「マスター」と呼ばれる。常連の俺でも本名は知らない。撫で付けられた黒髪に、整えられた髭。よく手入れされたバーコートを着ている。胸元には蝶ネクタイ。かなりガタイが良く、なんだか隙がない。

「まあな、奥のテーブルいいか?」

「ああ、好きなとこ座れ、お前はブラックコーヒーでいいな、お嬢さんは?」

「……」

「何か訳ありですか? じゃあホットミルクでも淹れましょう。砂糖を多めにしますね?」

 女はこくりと頷いた。


「ホットコーヒーとホットミルクでございます。お好みで蜂蜜をどうぞ」

 マスターは丁寧な所作で二つのカップとハチミツの入ったミニポッドを、俺と女の前に静かに置く。嗅ぎ慣れたコーヒーの香りが俺を落ち着かせる。ホットミルクにはシナモンパウダーが振り掛けられているようで、悪くない香りがする。マスターは余計なことを言わずにカウンターへと帰っていく。飲み物が運ばれて来るまでの間も、女は沈黙を続けたままだった。俺は一口コーヒーを啜ると、気乗りしないながらも口を開く。

「まあ、冷めないうちに飲めよ」

「……」

 女は相変わらずダンマリを決め込んだまま、カップに手をつける。

「……おいしい」

 女の表情が緩んだ気がした。

「で、何があったんだ?」

「……何日か前に……あの男が、ナンパして来て……それから少し飲んで……連絡先を交換した後……付き纏われて」

 女は歯切れ悪く言葉を紡ぐ。

「そりゃ災難だったな……」

 俺はタバコに火をつけ、煙を吐き出しながら呟く。

「あの……助けてくれませんか?」

「はあ?」

 俺は持っていたタバコをテーブルに落としてしまう。すぐに拾い上げたため、テーブルは灰が落ちただけで済んだ。焦がしたらマスターに何てどやされるかわからない。

「助けてくれって、警察に行きゃいいじゃねえか」

「警察はストーカー被害なんて相手にしてくれません。まだ実害もないし」

「他を当たれよ。俺はただのタクシードライバーだぜ?」

「本当にただのタクシードライバーですか? なんか手慣れてたような」

「この街であんなの日常茶飯事だからな」

「紫のつなぎを着た逃し屋の噂を聞いたことがあります。あなたのことじゃないんですか?」

「ただの付き纏いに逃し屋なんか必要ねえだろ? 何でも屋みたいなことをしてる奴がいるからそいつを紹介してやる」

 俺はマスターに声を掛ける。

「なあマスター、千葉は今日居ないのか?」

「恵吾は別の仕事だ。今日は帰ってこねえだろうな」

「ちっ」

 知り合いの何でも屋紛いの男は、普段はこの店で警備員として働いている。繁華街で酒が入る店ではトラブルが少なくない。この店で働く傍らマスターや客からの依頼をこなしている男だが、不在ならこの女を押し付けられない。

「いつも面倒事を押し付けられてばかりだから、押し付けてやろうと思ったのに」

「あなたしか頼れる人も居なくて……お礼は必ずするから! お願い!」

 俺はしばらく考える。大した報酬も貰えないだろうが、街から普通の女一人逃がすぐらいなら造作もないだろう。放っておきゃあいいのに、くそ!

「わかった。街から出してやる。但し報酬はきっちり払ってもらうからな。直ぐでなくてもいいが」

「ありがとう!」

 女の笑顔を初めて見た。中々整った顔をしている。

「身寄りは?」

「居ないです」

「家族や友人もか?」

「ええ」

「そうか。なら準備がいる」

「直ぐには無理ですか?」

「簡単に居場所を突き止められたくないんだろ?」

「ええ……」

「なら時間をくれ。隠れ家を貸してやる。目処が立ったら逃してやる」

 俺は女のデバイスに住所のデータを送る。

「そういや、名前は? 俺は綿奈部綱吉だ」

「アンナ」

「名字は……まあいいか。アンナ、まずは隠れ家に向かう。車を変えるぞ」

「はい」

「マスター! チェックで」

「あいよ」

 俺は会計を済ませ、女を隠れ家に送った。自宅へ帰り、早速仕事に取り掛かる。

「女が一人暮らしするのにいい物件は……中々空きがねえな……」

 目星をつけ、アンナを運ぶ算段をつける。あとは日取りと段取りを考えていく。

「しかし、ストーカーがナイフ取り出すなんて相当だな……」

 今日の出来事を思い返しているうちに、俺はいつのまにかソファーの上で眠ってしまった。

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