005-家出の理由

 ロベルトとアリア、メリアの姉妹は、セルリ支部事務所の会議スペースで座って向かい合っていた。

 話そうと誘ったのはロベルトだが、なかなか口を開こうとしない。

 アリアとメリアは、ロベルトが話すのをじっと待っていた。

 二人の姉妹は緊張していた。自分たちの家がバレ、しかも自分たちを庇う者たちには街の軍が戦争を仕掛けると宣言した。

 もはや半端な覚悟で人を巻き込めない。

 ロベルトにかかる迷惑だけを考えるのなら、すぐに立ち去るべきなのかもしれない。

 しかし、姉妹にはロベルトの他に頼れる人間はいない。

 せめて、旅に出る準備が整うまでは、ロベルトに助けてもらう必要があった。

 席について十分ほど経って、ようやくロベルトが言葉を発した。


「お前たちは、どうして家出したんだ? ……貴族の家に生まれ、きっと恵まれた環境で育ってきたはずだ。お前たちの魔法だって、おそらくは貴族だから学ぶ事が出来たものだろう。それでも家を出た、その理由を教えてくれ」


 そう問うロベルトは二人の姉妹を交互に真っ直ぐ見つめた。

 ロベルトに応えるように、アリアも真っ直ぐロベルトを見つめ、問いに答えた。


「あたしが家出を決断した理由は三つあるわ。一つめは、自分の家が大っ嫌いだから」

「なんでだ?」

「バルツの街の軍隊は、街の主であるハイスバルツ家が指揮権を持っているわ。ハイスバルツ家はその軍の力を、恣意的に、自分勝手に使っているの。例えば、反乱分子を見つけたら、始末して見せしめにしたりね」

「……噂は聞いていたが、事実なのか」

「残念なことにね。あの街ではハイスバルツ家当主の決める事が法になるから、ハイスバルツ家を罰するものは何もないの」

「独裁者ってわけだな。そんな家で育ったのなら、独裁の恩恵しか受けてないと思うが、どうして家に嫌気が差したんだ?」

「それは……二つめの理由と繋がってるわ。あたしには、どうしても会いたい人がいるの。あの家にいたままでは、もう永遠に会えない人が」


 アリアは一度天を仰いでから、続きを話した。


「八年くらい前かしら。あたしとメルには、家庭教師の先生がいたの。ジェーン・トレアって女性なんだけど、知ってる?」

「いいや、知らないな。この辺りの人なのか?」

「いえ、今どこにいるかは分からないわ。……先生は、あたしとメルに学術全般を教えてくれたの。文学、算術、地理、歴史……。先生はたくさんの事を教えてくれた。でも、その中に、あたしの家にとって都合の悪い情報があった。過去存在した独裁制の国、独裁制の国の滅亡、その原因、独裁制以外の政治体制。……っ」


 そこでアリアは声を詰まらせた。彼女の瞳からは、涙が溢れそうになっていた。

 ロベルトは咄嗟にハンカチを差し出し、アリアはそれを受け取った。


「ありがとう……。大丈夫よ。……あたしが悪いのよ。あたしが先生から学んだことを、家の人間の前で……、ひけらかしたせいでっ……。何も考えずっ、浅ましい承認欲求に駆られたせいで、先生はっ……」

「姉さんは悪くないよ。……悪いのは、あの家だから」


 嗚咽するアリアを、横に座るメリアが支える。

 アリアが落ち着くまで待ってから、ロベルトが質問した。


「会いたいって事は、その先生は生きてるんだな?」

「多分ね。……家の人間が授業内容を知ってすぐ、先生は解雇された。そして、先生は……『何者か』に襲われて、自力で歩けなくなるほどの火傷を負ったの。バルツの兵士は、何故かこの事件をロクに捜査しなかったわ。その後、先生はバルツの街を去ったわ。……ここまで話せば、あたしが自分の家を嫌いになった理由は分かったわよね」

「ああ。……辛いこと話させて悪いな」

「いいのよ。だってあたしたち、あなたをその辛いことに巻き込もうとしてるんだもの」


 目を腫らしたまま、アリアは笑いながらそう言った。

 笑ったまま、アリアは視線を逸らした。


「……その、三つめの理由。やっぱり言わなくてもいい? ……なんだか恥ずかしくなってきたというか……」

「言いたくないなら構わないぞ」

「いえ、やっぱり言うわ。あなたに誠意を見せなくちゃ。……あたし、世界を旅したいの。広い世界を、自分の目で見て肌で感じて知っていきたい」

「それのどこが恥ずかしいんだ?」

「……父親の後を立派に継ごうとしてるあなたの前で、あたしは後継者の立場を投げ出して好き勝手に旅したいだなんて、その……あたしが子供みたいじゃない」


 アリアは顔を薄っすら赤くして俯いた。

 その様子を見てロベルトは軽く笑った。

 

「お前はまだ子供だろ、だってまだ成人してないじゃないか。今朝言ってたよな。十六の誕生日まで、まだ数日あるんだろ?」

「! ……っ、あはは、それもそうね。でも、あたしの事は子供扱いしないで。それに、数日したら本当に、成人してるのに子供みたいな事言ってるヤツになっちゃうじゃない」

「それを自覚できているなら十分だよ。……ああでも、ひとつだけ誤解があるから、訂正させてくれ」


 ロベルトは一度咳払いをしてから、姿勢を正して二人に告げた。


「俺は『立派に父親の後を継ぐ』わけじゃない。親父を超えて、親父から会長の座を奪い取るんだ」

「……それ、何か違うんですか?」

「全然違う」


 メリアの疑問をロベルトは食い気味に否定する。


「俺は親父が嫌いだ。親父の思い通りになんかなりたくない。だが、俺のやりたい事は、親父と同じように商売だ。普通、後継者だっていうなら、前任から教えを受け、学び、その意志を継承するだろう。俺は親父の助けは借りず、親父を超える功績を残して、親父を会長の座から引き摺り下ろす。フランブルク商会を、俺色に染め上げるんだ。そこに親父の意志は介在しない」


 ロベルトのその言葉に、姉妹は目を丸くしていた。

 特にメリアは、無意識のうちに握る拳に力が入っていた。


「まあそういうわけで、俺は功績を上げなくちゃならない。お前たちも従業員になったんだから、協力してもらうぞ? よ」

「えっ、それじゃあ……私たち、ここにいていいんですか?」


 ロベルトの言葉を聞いて、メリアが立ち上がった。


「当然だ。ここみたいに発達した街でもな、読み書きと算術が十分に出来る人材ってのは貴重なんだ。外部から雇い入れるにしても、割高な報酬が要求される。その点お前らはこっちの出す労働条件を大人しく飲んでくれるだろうからな」

「そ、それはまあ、はい」

「それに労働条件に文句があろうと、衣食住を保証してやればお前らもそう簡単には離れられないだろう? なんせお前らは文無しだ。宿に泊まる金もメシを食う金もない。ここを離れれば路頭に迷う。だがここで働いているうちは少なくとも飢え死ぬ事はない。商会の宿舎にも泊まれるから、宿を探す必要もない。そうなればお前らは、生半可な覚悟じゃこの生活を捨てられなくなる。つまり、俺は希少な読み書きができる人材を、格安に雇い入れられるってわけだ」

「あの、ロベルトさん」

「なんだ?」

「心から、感謝申し上げます。いつか大変なご迷惑をおかけするかもしれないのに、迎え入れてくださるなんて。私たち、お役に立てるよう頑張ります」


 メリアが深々と頭を下げる。


「ちょ、ちょっと待てよ! 言ってるだろ? 俺の打算的な理由だって! だからそんな、頭を下げるなんて事……」


 慌てるロベルトを見て、アリアはくすくすと笑う。


「そうよメル。こいつの狙いは明らかよ。バルツの捜索隊が来たら、あたしたちを差し出して褒美をねだるんでしょう?」


 アリアが揶揄うように言った言葉に、ロベルトは微笑みながら答えた。

 

「お前たちが良い子にしてなければな」

「ふふっ、そしたらまたあたしの魔法で逃げてやるわよ」


 三人の笑い声が聞こえるその部屋に、先ほどまでの重苦しさはもうどこにもなかった。

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