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「…託す?あなたに私を?何を勝手なこと…」
言葉が脳内を駆け巡り、彼女は言葉の意味をようやく理解したが、まさか納得は出来ない。自分のいないところで何を勝手に決めてと、呆れに笑ってしまえば、不意に、クエドの姿が思い浮かんだ。
きっと、軽やかに笑ってそんな話をしていたんだろうと、そんな風に想像出来てしまい、彼女は額に手を当て俯いた。
甦るクエドの姿は、どれも笑っている顔ばかりだ。クエドは、見ているこちらが気が抜けてくるようなくしゃくしゃの笑顔で、時々彼女の頬を引っ張って、「表情筋がまた死んでるぞ」と声を上げて笑う。
いつかの話をいくつもしたけど、どれも夢みたいな話で、深刻になったこともない。本気で助けようとしてくれていたこと、言ってくれたら、一緒に逃げ出す道を探したのに。ただの夢物語で、ただの心の支えなんかで終わらせなかった、本気で叶えにいったのに。
「…勝手に、一人で決めて。勝手に先にいって。なんなの、あいつ」
堪えきれない思いがとうとう溢れてきそうで、彼女は唇を噛み締めた。
セナにもクエドとの思い出がある、彼もつられるように俯いたが、やがて顔を上げ、再び口を開いた。彼には、果たさなくてはならない約束が、思いがある。
幼い頃、既に厄介者となっていたセナを優しく受け入れてくれたのは、彼女とその家族、
それから、クエドが命を落とすまで、セナとクエドは定期的に連絡を取り、彼女の組織での役割も全て聞いていたという。
「そして今日、あなたを迎えに来たんです」
セナはそこで話を止め、彼女の様子を窺った。彼女はまだ俯いたままだったが、一つ息を吐いて顔を上げた。泣いているのかと思ったが、その顔に涙はない。セナは彼女の表情を見て、今度は素直にはほっと出来なかった。彼女の額に当てていた手は、微かに震えていた。
やっぱり、聞いていた通りだったな。セナは胸の内で、クエドにそっと声を掛けた。
「…どうして、今日なの?何か策でも思いついたとか?」
顔を上げた彼女はセナにそう尋ねた。まるで小馬鹿にしたような態度だったが、敢えてそうしているのは、セナにも分かっているのだろう。そうやって、彼女は涙を押し込めていること。セナは寂しそうに、そっと表情を緩めた。
「今日は、クエドの月命日でしょう?亡くなった事も、ついこの間知ったんです。ずっと連絡が取れなくて、嫌な予感がしてたんですが、裏の人間の生死は伝わってこない事の方が多い。情報屋に頼んで、ようやく見つけたんです…ようやく」
セナは両手を組み合わせ、その指に力を込めた。
「信じられませんでしたけど、信じるしかない。それなら、クエドに託された思いを遂げなくてはと思ったんです、あなたが消えてしまう前に」
そう悲しく微笑まれ、彼女は暫しセナを見つめ、それから困った様に肩を竦めて視線を俯けた。
「嫌な人だな、勝手に人を殺さないでよ」
「あんなに優秀なクエドが、こんなに早く命を落としたんです」
「あなた、クエドが優秀なんて知らないでしょ」
「私の腕を捻りあげましたから」
「それ、さっきの話の中のこと?あなたが軍人になる前の事でしょ?それなら私だって出来るよ」
「そんなクエドをあなたは慕っていたでしょう?」
繋がらない会話の流れ、でもそれすら気にならないほど、セナの優しい問いかけが、彼女の胸をいっぱいにする。
彼女が驚いた様子で目を瞪れば、セナは「私もクエドは友人として大好きでしたから」と笑うので、彼女は困って瞳を揺らした。
こんなに真っ直ぐと胸の内を言い当てられると、こんなにも動揺してしまうものだろうか。仮面を剥がした心は無防備過ぎて、自分でも扱いに窮してしまう。
誰かの仮面の下なら、こんなことにならないのに。そんな風に思いながら、ふとセナに視線を向けると、彼は妙にニコニコしていて、それが何だかとても居心地が悪い。彼女は無理に揺れる心を押し込め、自分の思いを誤魔化すように腕を組み、椅子にふんぞり返って座り直した。
何の意味もない行動だが、変装の名人も自分の事となると、上手い嘘の一つも言えないようだ。
「…そんな事より、組織を抜け出すなんて本当に出来ると思ってるの?それに、久遠寺の家が犯罪者を助けるだなんて思えないけど」
「そうですね…
ふわふわと当ても何もない話を軽やかに言ってのける彼に、彼女はさすがに頭を抱えたくなった。
その逃げる方法が知りたいのだが、彼だって、そんな簡単な話でないのは分かっている筈なのに。
溜め息の漏れ出た彼女を見て、セナは焦ったように身を乗り出した。
「僕は本気です!クエドが命を落としたと聞いた時から、僕はあなたが心配でなりませんでした。言ったでしょう、クエドだって、」
「あの時はそうするしかなかった。クエドは悪くない。それに、私のしてきた事が消える訳じゃない。私はどうしたって、結局は犯罪者だよ。だから、外の世界で生きる事は出来ない」
彼がどれだけ本気であっても、結局は自由になんてなれないのだろう。
何を夢みたいな事を思っていたんだろう、冷静になれば分かる話なのに。
彼女は組んでいた右腕に、意識的に指で触れた。そこには隠されたアザがあり、それに触れる指に力を込めた。
例え外の世界に出たところで、セナがいくら力になってくれても、唯一の心の拠り所であるクエドはもういない。そのクエドも組織に命を奪われたようなもの、結局、自分が誰か分かっても、この手には何も残らない、何もない。
セナはそんな彼女を見て、テーブルに置いた薬に目を向けた。そして、意を決したように口を開いた。
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