第46話

 俺はいつもの河川敷で、ショコラをつないだリードをぐっと握った。風が強い。ちびは軽いから、飛ばされちまうんじゃねえか。何しろ、こいつは宙を飛んでるし。


「おうい、飛ぶのはやめて、歩いたらどうだ。」


俺が声をかけると、ショコラは地面に降りた。イヌのくせに、体毛が薄桃色だ。


 ん。ショコラって、こんな生き物だったか。待て待て。何か、混ざってないか。これは夢か。しかし、俺の手はジジイらしく染みとしわに覆われ、服装もいつものチノパンにポロシャツだ。不安定な気持ちになる洋服ではない。じゃあ、まあ、ショコラもこういうもんなんだろう。


 俺は薄桃色のショコラを連れて、家に帰った。途中で、変な格好の孫に会った。娘が買って与えるとは思えないフリルたっぷりのミニスカートを穿いて、えらい金かけてストレートパーマをかけた頭はクリクリの長髪になっている。しかも、ド派手な橙色だ。なんじゃ、こいつ。グレたのか。今どきの不良って、こんな感じなのか。


「ショコラ、へーん。」


 言うに事欠いて、変ときたか。ショコラはいつものように、くうんと鼻を鳴らすだけだ。変もクソもない。


 家の戸を開けると、玄関に女房が立っていた。


「おかりなさい。今日の晩御飯、何食べたい?」

「んー、コロッケかな。」

「あなたコロッケ好きねえ。」


5円玉握りしめておやつにコロッケを買った世代としては、コロッケは外せない。当り前じゃないか。女房は呆れたように笑うと、台所に引っ込もうとした。その途中で、立ち止まる。くるりと振り向いたときには、般若の様相になっていた。どっかに、こんなカラクリ人形があったな。


 俺はショコラを抱き上げると、へんちくりんな孫に預けた。何だか分からないが、そうした方が良い気がした。


「向こうに行って遊んできな。」

「…うん。」


孫は心配そうに俺を見つめる。どうやらグレたわけじゃないらしい。くうんというショコラの鼻声を微かに響かせながら、孫はその場を去った。


 ふと見ると、いつの間にか女房はいなくなっていた。俺は一人で家に上がって、茶を淹れて飲む。と、今度は娘が鬼の形相で入って来た。学校帰りなのか、高校の制服のままだ。


「お母さんが、大学の入学金も授業料も払えないから働けだって。もう試験なのに、今さらどういうこと?」


なんのこっちゃ。それくらい、ぼちぼち積み立ててきたぞ。私学の医学部に行くと言われたらお手上げだが、娘はそんな御大層なおつむじゃねえし。俺はちゃぶ台の上の通帳を開いた。積立も学資保険も知らん間にスッカラカンになっていた。


「俺にも訳が分からねえなあ。あいつはどこ行ったんだ?」


女房の姿は見えない。ここかな、と俺は見当をつけてクローゼットを開けた。その途端、クローゼットがはちけて、辺りが洋服だらけになる。靴の箱も山積みだ。ネックレスやらイヤリングやらはこんがらがって、だまになっている。山ほどの使いかけの化粧品が散乱して、女房のタバコの吸い殻と混ざり、異様な悪臭が鼻を突く。


 カオスだ。だが、俺はこのがらくた山をせっせと片付けたはずじゃなかったか。おかしいな。やむを得ないので、俺はまたゴミ袋に物を分別して詰めていく。


 女房と男Aの写真。燃えるごみ。


 女房と男Bの写真。燃えるごみ。


 以下、同様に続く。


「どうせ、私の本当の父親は、お父さんじゃないから。」


 娘が壁の染みに向かって吐き捨てた。だから何なんだ。関係ねえよ。娘は娘だ。だけど、どうか、孫にはまだ言わないでおいてやってくれないかな。


 俺はゴミ袋から顔を上げた。窓から外を見ると、遠くに奇天烈な衣装の孫が見える…と思ったら、ちょっと違う。孫は橙色だったが、薄水色の頭が蠢いている。また大枚はたいて毛染めでもし直したのか?ったく、昨今の中学生ときたら。頭の毛とスマホ以外にいじるものはねえのか。


 俺は目を凝らした。薄水色の頭は、妙に髪が薄い。ありゃ、孫じゃないな。色は変だが、脂っぽいおっさんの頭じゃねえか。えらく挙動不審な様子でうろうろしていやがる。誰だか知ってるような気もするが、俺はあんな変態に知り合いはいない。


 やれやれ、何もかもがこんがらがってるな。一昔前の電話が混線していた時のようだ。俺と奴さんが電話してるのに、どこか遠くから誰かの話し声が混ざってくる。その上、ゴミを詰めたいのに、腕も妙に重くて動かないぞ。


 こりゃ、きっと夢だ。ほれ、ちょいと小便にも行きたくなってきた。そうか、このゴミ袋にしちまえばいいか…いや、だめだめ。俺、起きろ。寝てるとマズいぞ。

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