第45話
俺の家に着いてキャリーバッグを開けると、ショコラはせいせいした顔で出てきた。早速くうんと鼻を鳴らして、餌を催促する。病院帰りには、ご褒美にイヌのおやつを与えるようにしているのだ。まあ、そんな工夫を凝らしても、病院嫌いは全く治らないのだが。
「ショコラ、元気出たみたいだね。」
「病院が済んだらいつもこんなもんさ。お前だって、歯医者で大泣きするくせに、終われば飴玉しゃぶってけろりとするだろ。」
「いつの話だよ、もー。今は歯医者ぐらいで泣くわけないじゃん。」
孫がショコラと戯れている間に、俺は戸棚から菓子の袋を取り出した。孫の大好物、栗せんべいである。実は俺もこれが好きで、俺のために買ったのだが、今日の礼にやらざるを得まい。
「ほらよ、今日のお駄賃だ。」
「わ、栗せん!やったね。これがあるならいつでも呼んでよ。」
現金な奴だ。
おっと、それと、借りていたマンガも返さなければ。孫のマンガは、あまり家に長く置いておきたいものではない。どれもこれも、男同士でいちゃねちゃするばかりなので、最近では話の筋も登場人物も俺の頭の中ではごった煮状態である。
「おじいちゃんって、推しがいたりするの?」
俺が返したマンガをパラパラめくりながら、孫が尋ねた。
「推し?ああ、お気に入りのやつか。んなもん、いるわきゃねえだろ。」
「だよねー。」
「ただ、まあ…」
俺は1冊手に取って、適当にページを繰った。名前は忘れたのだが、プラに少し似たやつが出てきたのだ。もちろん、マンガの登場人物はあんなぴらぴらフリフリした服は着ていないし、下ネタの方はプラよりもかなりエグい。
「何となく、こいつには親しみが湧くかな。」
「へー、意外。おじいちゃんって、ショタなんだ。」
「しょたって、何だ。」
「幼い少年が好きってこと。」
「違う。断固、違う。」
俺は即座に否定したが、孫がどう捉えたか、定かではない。
マンガと栗せんべいを持った孫を見送り、俺はまたショコラとふたりの生活に戻った。あり合わせの食材で適当な飯をこさえ、偽ビールで胃に流し込む。ショコラはいつものお気に入りのドッグフードをがつがつ食べ、ちゃぷちゃぷと水を飲む。腹が膨れて、寝る場所があれば、それで十分。過去の過ちは、今更取り返しようがない。今とこれからを、共に穏やかに過ごせば良いのだ。
風呂から上がると、いつもの古座布団でショコラが眠っていた。こいつも歳をとって、寝てばかりいるようになった。俺はショコラの腹をそっと撫でた。まだらに毛が薄く、その毛も割と剛毛で、手触りは良くない。俺がガキの頃に飼っていたネコの方が、触り心地は良い。ああ、それと、あの薄桃色の宇宙生命体ショコラは、もっと良い毛皮だな。色を除けば、だが。
こいつにも苦労を掛けたんだな。俺は寝床に潜って、横目でショコラを眺めた。薄ら禿げを透かして、ところどころに古傷が顔をのぞかせている。
あの頃は、俺自身もしんどかった。気分屋で狭量で、気に食わねえことがあればすぐに人や物に当たり散らす。そんな母親に反目して尖りっぱなしの娘が結婚を機に家を出て、平和になるかと思いきや、全然だった。単に女房の標的が他に移っただけで、却って揉めごとが増えたのだ。皿やら家具やら、家の中の物もずいぶん壊された。そんな中に、ショコラが来た。俺は殺伐とした家から目を逸らしてショコラの世話をし、仕事の無い日もショコラの散歩を口実になるべく外に出た。当時の俺ははっきり認識していなかったが、俺はショコラに救われ、依存していたんだろう。
それなのに、辛い思いをさせちまっていたとはな。俺は情けない飼い主だ。俺が自分で対処しなけりゃならない荷物を、こいつにも負わせてしまった。あの頃は、この世に生まれて1年と経っていない仔イヌだったんだぞ。この世の春そのものの時期じゃねえか。それを、俺は。
俺はため息をついた。夜に陰気なことを考え始めると、古井戸の蓋がずれて、中に溜まっていた瘴気が漏れてくる。寝つきは悪くなるし、寝ても眠りが浅い。
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