第34話
俺は洗面所に行って雑巾を持ってきた。とんとんとん、と畳を叩いて水分を吸い出す。すぐそばで深谷が申し訳なさそうに謝っているが、そんなことをされても役には立たん。その上、ジジイとおっさんが騒いでいるのが落ち着かないのか、ショコラまで起きてうろうろし始めた。
「ショコラ、クソか?ちっと待ってろ、リード持ってくるから。」
ショコラは散歩のついでに外で用を足す。小便の方は家のイヌ用トイレも使うが、大の方は頑として譲らない外派だ。俺はリードをショコラの首輪につなぎ、古新聞とポリ袋を持って外に出た。勿論、深谷も追い出してある。何が悲しゅうて、こんな奇縁で知り合ったおっさんを自宅に置いておかにゃならんのだ。
「私も付いて行っていいですか?」
「お前さん、仕事の途中じゃねえのか。」
「この歳でも営業で外回りですから、もう良いんです。」
やんわりと断ったつもりが、届かなかった。チッ、と俺は内心で舌打ちする。俺としたことが、はっきり言わなんだから、深谷と並んでイヌの散歩をする嵌めになっちまった。
俺とショコラはいつものお決まりのコースをゆっくり歩く。途中、河川敷のいつもの場所でショコラが力み始めたので、俺はショコラの尻の下に新聞を敷いた。物が出尽くしたらポリ袋に入れて、完了。後は公園をぐるりと回って、水を少し飲ませてやって、家に帰るだけだ。年寄り同士の散歩だ、大した距離は歩かない。
「あー、おじいちゃん。」
公園の水飲み場でショコラを休ませていたら、孫娘が現れた。俺の家と娘一家の家はさほど離れていないので、こうして散歩の折に出くわすことはままある。
「おう。入院中のショコラの世話、ありがとな。」
てっきり娘がやるだろうと思っていたのだが、孫がちゃんとこなしたらしい。だから、俺はお礼の品として、娘の好物のカステラではなく、孫の好物の栗蒸し羊羹を買って渡しておいた。
孫は屈んでショコラの頭を撫でてから、不審そうな目つきで深谷と俺を見比べた。ジジイが見慣れぬおっさんと並んで歩いていたら、昨今では詐欺の一環だと勘違いされるだろう。俺は深谷の名誉のため、俺自身の身の保全のため、先に弁解しておくことにした。
「こちらは深谷さん。入院中、隣のベッドにいたんだ。さっき、そこでたまたま会ってな。深谷、こいつは俺の孫だ。」
「初めまして。」
深谷も心得たもので、にこりと笑って挨拶をする。そこで孫娘はようやくほっと胸をなでおろして、表情を緩めた。
「ああ、びっくりした。おじいちゃんに彼氏ができたのかと思っちゃった。」
「はあん?彼氏?何でそうなるんだ。」
俺は素っ頓狂な声を上げた。何を心配しているのだ、このたわけは。
「お前な、BLとかいう本の読み過ぎじゃないのか。あんなのは、現実には…」
「えっ、おじいちゃんもBL読んでるの?うっそ、まじやば!キモ!」
俺は顔をしかめた。この孫娘、というか、この世代は皆そうなのかもしれないが、ヤバいとキモいで全てを表現した気になりやがる。はっきり言やあ、ジジイ世代としては不快だ。
「俺は読んだわけじゃねえよ。ただ、病院で知り合った子が、そういうのが好きだと言ってたんだ。男同士でよろしくやるんだろ。」
「よろしくやるって、なーんか表現古いなあ。」
「ジジイなんだからしょうがねえだだろ。大体、お前こそ、何でそんなもんに首突っ込んだんだ。中学の教科書にでも載ってるのか。」
「そんなわけないじゃん。友達にマンガ貸してもらって、そこから徐々にヌマった感じ。」
ぬまった?俺が返事に詰まっていると、横から深谷が小声で口を挟んだ。
「ぬまるというのは、沼に嵌る、つまり、夢中になるという意味です。」
ああ、なるほど。要は、BLが大好きなんだな、この孫も。女子中学生の間で大流行中なんだろうか。
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