第33話

 だが、深谷は麦茶のコップを無駄にこねくり回してもじもじするばかりで、一向に本題に入らない。煮え切らねえ奴だ。喋りたくないなら、とっとと帰れ。俺の顔に気持ちが出たのか、深谷が一瞬怯えたように身を震わせる。


 それでも、深谷とて、それなりに決意を固めて来たのだろう。麦茶の水面に目を落としたまま、ぽそりと切り出した。


「私、退院したときに忘れ物をしてしまって、後日に取りに行ったんです。どこに聞けばいいか分からなくて、病棟とかうろうろしちゃって。その時、看護師さんとちょっと話し込んだんです。」

「おう。ほんで?」

「それで、田中結愛さんも入院していた患者さんだったことを知りました。」

「へえ、今どき、個人情報をよく聞き出せたもんだな。」

「はい…彼女のBL好きと、チャオズ推しを知っていたので、怪しまれなかったんです。」


 ビーエル。ああ、ボーイズラブか。俺は要らん知識を思い出した。今度、孫娘にも聞いてみるか。いやいや、ジジイの頭がボケたと思われるのが関の山だ。やめておこう。


「んで、田中はどうしたんだ。退院したのか?」

「いえ。その…亡くなったそうです。私たちが退院した日に。」


 俺は麦茶を一口飲み下した。言うべき言葉を思いつかなかったからだ。


「あの世界の出来事が、こちらの出来事とつながっているだなんて、短絡的過ぎるとは思います。でも、あの時、田中さん…ケレさんが無事だったら、まだ生きておられたんじゃないかと。」

「んなわけ、ねえだろ。」


 否定も肯定もできない。判断材料が無さ過ぎるし、確かめようもない。たとえもう一度あの世界に飛ばされたとしても、実験的に俺や深谷を殺すなんて、あり得ない話だ。だから、否定しておくより他にない。


「田中は、それまでピンシャンしていたのか?それが突然、ぽっくり逝ったのか?そうじゃねえんだろ。」

「それは、そうなんです。ずっと容体が悪かったらしく、言い方はアレですけど、いつ亡くなっても不思議ではなかったようです。」

「じゃあ、関係ねえさ。大体、あいつが消えたのは、敵を倒した後だしな。」

「そうかもしれませんけど…。」


 深谷はうじうじと畳の目に指を這わせている。こいつはおそらく、自分をかばって田中が刺されたことを気に病んでいるのだ。もしあの時、ああでなかったら。そんな仮定の話が頭の中から消えないのだろう。


「要は、お前がスッキリしないってだけだろ。俺に話したって、それは解決しねえぞ。お前が自分で飲み込まねえと。」

「分かっています…のつもりです。でも、田中さん、亡くなる直前におっしゃったらしいんです。」

「何を?」

「あー楽しかった、って。」


 俺はもう一口麦茶を飲む。田中がケレとして消える前、半分透明になりながらも、俺と深谷を密着させて大喜びだった。少なくとも、あの記憶は土産に持って帰れたわけだ。


「彼女が無事だったら、楽しかったからもっと治療を頑張れる、ってなったんじゃないかと、思うんです。致命傷を負ってしまったから、楽しかったから思い残すことは無い、になっちゃったんじゃないでしょうか。」

「知らねえよ。」


 俺はぶっきらぼうに答えた。そんな話をしても答えなんか出ない。田中に聞かなきゃ、いや、聞けたとしても本人にだって分かりゃしないだろう。誰だって、死にたいときに死にたい形で死ねるわけじゃない。いつ自分が死ぬかなんて分からない。


 ただ、思い返せば、あいつは自分の死期を悟っているような素振りもあった。そうとも受け取れる発言があったという程度で、確信はないが。だが、あいつはあいつなりに、あの世界を、自由に走り回れる体を、期間限定のものと理解した上で満喫していたんじゃなかろうか。


「だけどよ、あの時、お前さんがああいう体位を取ったから、田中を楽しませてやれたんだろ。」


 言い方が微かに下ネタがかってしまうが、どうしようもない。事実、あの時はそういう状況だった。深谷がクソ真面目な顔をしてなきゃ、俺は貞操を奪われると本気で勘違いしただろう。いずれにせよ、俺には分からなかった田中の最期の願いを理解し、即座に行動に移した深谷の機転が効いたのだ。


「田中のその言葉はさ、お前のおかげだろ。俺も死ぬときは、無心でそんなセリフ言ってみたいよ。」


まあ、俺は雑念が多すぎて、無理そうだが。


「だから、胸張れよ。お前のしたことは、何も間違ってない。」

「アウルムさん…。」

「ばっかやろう、その名前で呼ぶ奴があるか!」


 俺は深谷をしばいた。麦茶がこぼれて、畳が濡れる。チキショウ。なんてこった。ついてないぜ。

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