第13話

 住宅街も緑地帯もすっかり消え去り、俺の身体の感覚もなくなった。そうしてどこということもない場所を漂っているうちに、声が遠くから聞こえてきた。


「おじいちゃん。おじいちゃーん。」


俺をおじいちゃんと呼ばわるのは、孫だけだ。娘は、孫が生まれてしばらくしたら俺をおじいちゃんと呼び始めたが、俺はてめえの祖父じゃねえと怒鳴りつけたら、お父さんに戻った。ってことは、俺が聞いているのは孫の声か?今はお年玉の季節だったかな。いや、カンカン照りの夏だったはずだが。何をねだりに来やがったのやら。金なら無いぞ。


「んあ…?」


 俺は薄眼を開けた。いつの間にか、眠っていたらしい。しかし、はっきり目を覚ますと、見覚えのない情景が広がっていた。真上の天井は見慣れた木目ではなくて白い板張りで、四方は白っぽい薄黄色の布に囲まれている。頭の下の枕も妙にふわふわと柔らかい。


「あー、良かった。気が付いた。死んじゃったかと思った。」


 孫が横手から俺の顔を覗き込んできた。


「ここはどこだ?」

「病院。おじいちゃん、散歩の途中に転んで頭打って、倒れてたらしいよ。おでこのとこ、結構深く切れてたんだって。…あ。おじいちゃん、お名前と生年月日と、今日の日付は分かりますか?」

「馬鹿にするな。認知症の検査か。」


と言いつつ、質問には答えておく。打ち所が悪くて脳みそがぶっ壊れたという可能性もある。この歳ともなれば、自分で自分を試しておかないと不安だ。


「大丈夫そうだね。でも、念のために今日は入院して、明日頭の検査をしておくんだってさ。お母さんがそう言ってた。」

「そうか。そうしてくれた方が俺も安心だな。」


 俺は額に手を伸ばした。傷口を処置した跡か、布のような手ごたえがある。触ると痛みがある。そうか、やはり俺は散歩の途中に躓いて転んで、受け身も取れず、顔から地面に突っ込んでしまったのだな。歳は取りたくないものだ。


「ショコラはどうした?一緒に散歩に出たはずだが。」

「怪我とかは無いんだけど、日向にいたからか暑くてダウンしてたんだって。今はおじいちゃんちでクーラーつけて休んでるよ。」

「そうか。無事で良かった。俺の入院中、ショコラの世話は頼むぞ。」

「はいはーい。」


 孫は口先だけは調子が良い。どうせ、散歩も餌もトイレの片付けも娘がやることになるのだろう。退院したら、娘の好物のカステラでも買ってやるか。


 やがて孫も帰り、俺は一人病室に取り残された。かち割れた額の他に、肩やら手やらも痛む。おそらく、胴体着陸時にここいらも強打したのだろう。やれやれだ。お父さんは自分が思っている以上に足が上がってないんだからね、と娘がしょっちゅう言うのを思い出す。俺がすり足で歩くのが気になるらしい。俺とて、踵までしっかり上げて歩いているつもりなのだが、気を抜くと地面と足の裏が仲良くなっている。それで、引っ掛かって、躓いたのだろう。本当に、やれやれだ。


 我が身が情けなくてため息を吐く。と、右の方から男の声が聞こえた。


「すみません。少し、お話してもよろしいですか?」


誰だか分からないが、4人部屋なので、同室のやつだろう。孫との会話がうるさかったか?それなら、言うタイミングが遅すぎる気がするが。

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