第5話
ん?今、俺の口から声が出なかったか?しかし、俺の声とは違う。妙に高くて、細くて、女の声のような。
…いや、そうじゃない。あの声には聞き覚えがある。
そうだ。あれは、声変わりする前の、俺の声だ。何十年ぶりかに耳にしたが、忘れるはずもない。10年ちょっとの間だが、毎日自ら発して、聞いていたのだ。しかし、何故俺の声が急に若返ったんだ?しかも、何だ、キュア・アウルムって。俺の声なんだから、俺が言ったんだよな。その前の口上も。
「俺、どうしちまったんだ?」
俺は呟いた。これは、さっきアニメ声と喋っていた時の思念とは違う。確かに、俺の喉と口を通って、俺から発せられている。だが、やはり、声変わり前のボーイソプラノだ。
「途中で変なセリフ挟まないでよ。ほら、続きちゃんとやって!」
横からアニメ声が聞こえた。ひそひそ話のつもりのようだが、何しろよく通る声質なので、多分俺以外にも聞こえているだろう。
「続きって何だ?」
「えっ、分かんないの?そこまで織り込み済みのはずでしょ。ほら、何も考えずに心に浮かぶことを叫んで。」
「そう言われても、何も思いつかん。」
「んもう、これだからお年寄りは。おつむの反応が鈍いんだよねえ。」
癪に障る物言いだ。
「もう、いいや。次回から、気を付けてよね。」
「う、うむ。」
と答えたものの、次回もあるのか、と不安になる。
それより、さっきからこのアニメ声はどこから聞こえてくるんだ。俺は辺りを見回した。さっきの三途の川は消え去って、目の前には住宅街が広がっている。とはいえ、俺が散歩していた場所とは違うようだ。どこか偽物めいている。マンションや建売住宅のチラシにイメージで描かれている家や庭、周りの風景がそのまま現実になったかのようだ。不自然に整然とし、現実よりはるかに緑色の空間が多くて、そして生きているものがいない。
「ここはどこだ…ん?」
きょろきょろと頭を振る度に、視界に何かが入り込む。先ほどの三途の川の真田紐のような、細長い、鮮やかな金色の、糸の束のようなもの。俺は手を伸ばしてそいつを掴んだ。ぎゅっと引っ張ると、頭の皮が突っ張った。
「いででで!」
どうやら、頭皮の感じから推測すると、この紐は俺の髪の毛らしい。もしくは、頭皮に強力な接着剤でくっつけられた付け毛か。俺の髪は既にスカスカな上に短く刈られているはずなので、後者かもしれない。
それにしても、この毛を掴む手はどうだ。少年のように華奢で、すべらかな肌をしている。俺の手は本来武骨で、染みも血管も浮き出て、しわしわとして張りがない。それに、何だこの、手首に巻き付いたフリフリは。こんなものを付けていたら、痒くなりそうなものだが、今の俺はそういった不快感を覚えない。ただ、自分の手が自分のものでないようで、不気味なだけだ。
「んもう、さっきから何やってるの。」
またアニメ声が響いた。俺は注意深くその位置を探った。右上だ。俺はぐっとその方向を見上げた。案の定、重力を無視して、謎の物体が浮かんでいた。ぱっと見は、ネコのような、ハムスターのような…いや、現実の生き物になぞらえるのは難しい。耳が2つ、目も2つ、口と鼻は1個、尾も1本、手足が2本ずつある。背中には飾りのような小さい翼。胴体は丸っこい。全体がふわっとした薄桃色の体毛に覆われている。そういう生物だ。一応翼をバタバタさせて飛んでいるようだが、あの翼のあの動かし方で揚力を得られるとはとても考えられない。
「お前は何なんだ。」
「ボクはショコラ。」
「何だって。お前、うちのイヌか。」
ショコラというのが、俺の老犬の名である。俺が付けたわけではない。孫娘の命名だ。俺が名づけるなら、タロウとか、ハチとか、ジジイが外で呼んでも恥ずかしくないものにする。
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