第13話



 


 

 ヘンリエッタの問いかけに、ネヴァが一瞬、言葉に詰まった。

 

「……そんなの、王都中のお客様に決まってるじゃない」

「それなら、わたしたちの一座だって、わたしに依頼してくださった方だって、みんな同じでしょ?」

 

 納得させるように説明すれば、彼女は唇を噛み、眉間にしわを寄せる。

 この文言は、小説内からの引用だ。ネヴァはこの場面では絶対に、王都にいるはずの父に見せたい、とは言わない。彼女はまだヘンリエッタを信用していないので、自ら弱点になる部分をさらけ出すことを嫌うのだ。

 

 反論できず黙り込むネヴァに、ウィリアスが何か言おうとして、扉がノックされてゆっくりと開いた。

 

「……あれ、ソフィアは?」

「急に奥様に呼ばれてな」

 

 ヘンリエッタが愛用する筆記用具と、やや大きめの用紙を持って現れたのは、ノアだ。

 小説の場面より早くソフィアが部屋を出たことで、時間軸に狂いが生じたのだろう。西山から許可を得ているとはいえ、予想外の人物の登場に、ヘンリエッタは驚いた顔を隠せなかった。

 

 彼はなるべくウィリアスの顔を見ないように、深々と一礼すると、床に膝をついてテーブルに筆記用具を並べ始める。

 対するウィリアスは、ヘンリエッタの様子をちらりと見て、眼を細めて口を開いた。

 

「君はたしか……、この間の劇で、王の護衛役を演じていた役者、だろうか?」

「我ら一座の舞台をご高覧いただき、感謝の念に堪えません、でん……」

 

 最低限の礼儀だけ済ませようとしたノアが、わずかに顔を持ち上げ、ネヴァの顔を見て動きを止める。

 目を見張り言葉を失った彼に、二人は疑惑のまなざしで顔を見合わせた。

 異変に気づいたヘンリエッタが、何事かと声をかける前に、彼が小さく呟く。

 

「……ヴィー?」

 

 空気をかすかに揺らした愛称に、ネヴァが目を見開いた。

 そして耳まで赤くなって立ち上がると、口を開け閉めして言葉に詰まり、ヘンリエッタとウィリアスに深く頭を下げる。

 その慌てふためく仕草は、さっきまでの高慢な少女の面影を消し去り、実年齢より幼い彼女を見せた。

 

「お時間をいただき、また、ご協力いただきまして誠にありがとうございます。本日は、ご、ごきげんよう!」

「えっ、ネヴァ!?」

 

 ヘンリエッタが呼び止める前に、彼女は顔を下げたまま、逃げるように部屋から出て行った。

 ノアが足をもつれさせ、青ざめた顔で彼女を追いかけていく。

 残されたヘンリエッタとウィリアスは、呆然とした顔で開かれた扉を見つめた。

 

 (え、もしかしてノア、今ので気づいたの?)

 

 ソフィアに代わって、ノアが部屋に入ってきたことで、物語に変化が起きたのだろうか。

 

 原作小説の挿絵では、ネヴァと母ビビアンは、そんなに顔が似ている親子ではなかった。

 ビビアンが初めて登場した時、ネヴァは母の存在を隠していたので、二人とも他人のふりをする。そして後半のページで親子であることが判明し、ヘンリエッタはネヴァの目的を知るのだ。

 挿絵の情報に頼るなら、むしろ、ネヴァの顔はノアに似ているだろう。

 

 ヘンリエッタは呆然として扉を見つめ、しかし手で口を押さえて考え込んだ。

 

(……ノアが今のネヴァを見て、自分の幼なじみだと気づいたなら、……つまり、ビビアンの子どものころと、ネヴァがそっくりってこと……?)

 

 それはさすがに予想外だった。

 挿絵しか見たことがないヘンリエッタは、ビビアンの幼年期など、文章でしか読んだことがない。

 

 この展開は今後、どう影響してくるのだろう。親子で仲良く暮らしてほしいが、さすがにまだ早過ぎる。

 頭の中がぐるぐる回るヘンリエッタに、ウィリアスが冷えた紅茶を一口飲むと、ネヴァが座っていた隣を見た。

 

「……ジュリエ男爵令嬢。申し訳なかった。ネヴァ嬢があんなに……突然、執筆を要求してくるとは思わなかったんだ」

「い、いえ。顔を上げてください、殿下」

 

 共謀して行動しようとした手前、自分にも非があると悟ったのだろう。

 頭を垂れる彼を留めると、ウィリアスはヘンリエッタの瞳を捉え、すぐに視線を扉へとそらした。

 

「ノアという役者は、ネヴァ嬢と面識があるのだろうか? 君の守り役も務めているのだろう? なかなか、年相応の女性と親密な関係が多い男なのだな」

 

 (……なんだか、随分な言い方じゃない……?)

 

 西山の助言を受けて、初対面の対応を変更したので、原作のウィリアスとは若干性格に違いがあるだろう。恋に一途であるがゆえに、彼女が親しい異性に警戒心を抱くのも、同じく好きな相手がいる者として納得できる。

 だが、それを考慮してもだ。ウィリアスから愛情を口にされたことも、行為に表されたこともない。王族との繋がりが出来たとしても、束縛される理由はないはずである。

 

 無意識に不機嫌な顔になったヘンリエッタは、同じく冷え切った紅茶を一気に飲み干して、さりげなくカップをソーサーに置いた。

 

「……どうでしょう。それは殿下の方がご承知ではないですか?」

「え?」

「ネヴァと殿下は、血のつながりがあるのでしょう? そういう話なら、殿下の方が詳しいのでは?」

「あ、いや、……それは……」

 

 言葉に詰まったウィリアスの声を遮るように、再び廊下から足音が聞こえてくる。

 第一王子の護衛が相変わらず不審な顔で廊下を覗くと、それを退けるように、厳しい顔のノアが再び部屋に入ってきた。

 

「リタ。さっきあの子をネヴァって呼んでいたな? あの子が劇団ルビィの看板子役だっていうのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

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手紙と恋したヘンリエッタ 向野こはる @koharun910

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