中
私が教室に通えなくなったのも、周りの目に怯えるようになったのも、今みたいな梅雨の時期だった。
一年前、クラスの学級委員長を務めていた私は、教室内のグループというものに疎かった。グループに関係なく誰とでも分け隔てなく接し、良好な関係を築けている。この日の調理実習は、クラスの中心である寺内さんに誘われて一緒に班を組んだ。
「クレープってお店で買うものだと思ってた」
向かいで苺を切りながら、
「屋台とかキッチンカーでも売ってるくらいだし、結構手軽に作れるんだね」
「
「私、どんな印象なの?」
「屋台のご飯なんて不衛生とか思ってそう」
言い当てられて、「うっ」と声が漏れる。私の表情を見て、寺内さんはクククと声を殺して笑った。
「で、寺内は誰とクレープ交換すんの?」
隣で洗い物をしていた寺内さんの友達が、ニヤニヤと笑いながら聞いた。質問口調ではあるが、答えは知っているようだった。
調理実習で作ったクレープは、自分で食べてもクラスメイトとお互い交換しても良いと言われている。友人はもちろん、好きな人と交換して距離を縮めようと考えている生徒もいるようだ。
友人の質問には答えず、寺内さんは私の後方を熱っぽい視線で見つめる。視線を追うと、陸上部の
クレープの生地を焼き、フライパンから皿へ移す。クレープを作るのは初めてだったが、きれいな真ん丸に焼き上げることができて満足感を得た。後は自由に盛り付けをすれば、出来上がりだ。
トッピングとして用意されたのは、生クリームと苺とバナナだった。学校側で準備されたそれらを、班のメンバーで分け合って使う。私は苺を入れた小さなボウルを寺内さんに差し出し、言った。
「良かったら、私の分の苺も使う?」
「ん、どうして?」
「緋村くんのこと好きなんでしょ? 確か、緋村くんって苺が好物だったよね」
私の言葉に、場の空気が重くなるのが分かった。和やかに会話していた雰囲気が消え去り、寺内さんと寺内さんの友達から表情が消える。
想い人について、我知り顔で話したように思われただろうか。いや、給食で苺ゼリーが出るたびに、緋村くんは教室で大はしゃぎしていた。彼が苺を好きなことは、クラスの誰もが知っているはずだ。
ふと、寺内さんの視線に違和感を覚えた。私ではなく、私よりも少し後ろを見ているような。嫌な予感がして振り返ると、すぐそばでバツが悪そうな表情をした緋村くんが立っていた。
「あー、班のやつが苺を落としちまって、分けてもらおうと思ったんだが……。邪魔したみたいだったな」
すまないと言い残して、緋村くんは去っていった。ぎこちない足取りで、彼は他の班の元へ向かう。あの動揺は、間違いなく私の話を聞いていた。背中に嫌な汗が溜まっていくのが分かる。
「ごめんなさい! まさか緋村くんがいるとは思ってなくて」
すぐに寺内さんに向き直り必死に謝ると、
「いいの、気にしないで」
と、寺内さんは笑った。まるで他人行儀に。私を拒絶するように。
話はそれで終わった。何事もなかったかのように調理実習を再開する。その間、寺内さんも寺内さんの友達も、一言も言葉を発することはなかった。完成したクレープは必要以上に甘ったるく、吐き出しそうなほどだった。
事の重大さに気づいたのは、翌日になってからだった。いつものように登校し、寺内さんに挨拶する。しかし、寺内さんからの挨拶は返ってこなかった。聞こえなかったかなと思い、二言三言話しかけたが、彼女はこちらを見ようともしない。寺内さんは明らかに私を無視していた。
クラスの中心人物である寺内さんが私を避けたことで、クラス内の暗黙の方針は固まった。昨日まで楽しく話していたはずのクラスメイトが、日を追うごとに一人、また一人と私を無視していく。結局のところ、私は友達と呼べる存在が一人もいなかったのだ。誰とでも仲良くしていた私は、誰とも深く関わっていなかった。私をかばってくれるような人は、一人もいない。クラスメイトにとって私とは、いつでも切り捨てることのできる存在だった。
後から知った話だが、寺内さんの好きな人は緋村くんではないらしい。寺内さんが見ていたのは緋村くんではなく、彼の隣にいた男の子だったのだ。けれどそんなことはもう、関係がない。あんな風に好意が明るみに出てしまえば、いくら寺内さんが否定しても照れ隠しだと思われてしまう。いや、たとえ誤解が解けたとしても、寺内さんに恥をかかせたという私の評価は変わらないだろう。
明確に嫌がらせされるわけでも、殴られるわけでもなく、ただ居ないものといて扱われる生活。陰で常に誰かに笑われているようで、私は生きた心地がしなかった。重圧に耐えきれなくなった私は、ある日担任の先生に体調不良を訴え、保健室へと逃げこんだ。その体調不良は、一年近く経った今日に至るまで治っていない。
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