第25話 当日3

「うそ、でしょ……」


 眼前の光景に、透華は言葉を失った。

 それは、突如として現れた『なーちゃん』と『しーちゃん』 に、だけではない。

 

 その背後――。二人が引き連れてきたであろう、総数五十を超える若者の一団が、一定の纏まりをもって、その場に留まっていたのだ。

 まるで、路上ライブの開始を待っているかのように――。


「――柊さん! 紹介遅くなっちゃったけど、じゃじゃーん‼️ 凄いでしょ!」


 『しーちゃん』への立腹から一転、むふーと胸を張って『なーちゃん』は続けた。


「クラスメイトの人たちに言ったらね! 皆、神音ちゃんのライブ聞きたいって言ってね! そこから各々、部員やら友達やらに宣伝したら、お客さんこんなに増えちゃって!」


 神音とどことなく似た『なーちゃん』の口調。

 透華の頭には、即座に、神音の顔が思い浮かんだ。


 あの子とクラスメイトが直ぐに打ち解けた理由……、分かった気がする。


「柊さん?」

「え、あ、うん……」


 『なーちゃん』に声をかけられた透華は、想像の世界から浮上する。

 だが、依然、現在も混乱の只中から抜け出せておらず、『なーちゃん』にどう返答すれば良いか分からなかった。


 神音のライブを聴きに来てくれた人たち。

 けれど、神音はここに来れない事実。

 そして、その原因を作った張本人である私。

 

 現実に引き戻されたところで、状況は好転しない。

 透華の頭は空恐ろしい未来の予想によって占拠されてしまった。


 瞳に驚きを浮かべたまま目線を僅かに落とし、何を言うべきかと一心に思案する。

 

 この人たちは、あの子のために来てくれた。

 あの子のライブを聞きに来てくれたんだ。

 でも……。当のあの子は高熱で、どうやったってここには来れない。

 私が、来れなくさせてしまった……。


 素直に言うべきかな……。

 あの子が来れなくなったことも、今日の路上ライブが中止になることも……。


 ――五十を超える、この人数相手に?


 いやいや。無謀すぎる。


 というかそもそも。同じ高校の生徒で、尚且つ、わざわざ足を運んでくれた人たち相手に中止宣言なんてすれば、あの子の面子や信念に泥を塗ることとなってしまう。


 それが原因で、一度でも信頼にヒビが入るようなことがあれば、遠くないうちに、あの子の持つ並外れた才能までも周囲から認められなくなってしまう。


 束の間、透華の全身を舐めるように、いつかの記憶がフラッシュバックした。


 謂れのない批判を受け続けた記憶。

 音楽性や才能の有無に至るまで全否定された記憶。

 およそ世にある言葉の限りを尽くして罵られた記憶。


 瞬く間に、全身の皮膚が粟立った。

 強烈に奥歯を噛みしめるも、体は本能に従って小刻みに震え続ける。

 

(震えなんて、どうして、いつもは数秒で収まるはずなのに――)


 しかし思考を必死に巡らせると、早急に、震えが止まらぬ原因へと辿り着いた。

 

(そう、か……。この震えは、私の過去からきたものじゃない。これは――)


 今しがたフラッシュバックした記憶の全ては透華自身のもの。

 にも拘わらず、記憶の中で体を縮ませ泣いていたのは神音――あの子だったのだ。


 神音の未来が、今の透華を震わせる。

 

 嫌な予知でなければいい。

 だが、予知が現実と成り得る可能性の根拠を持つ透華にとって、そのような浅はかで生ぬるい期待など、気休めにもならなかった。


 あの子が体調を崩した原因は私にある。

 路上ライブをお釈迦にしてしまった原因も私にある。

 その上で、あの子に、一生剥がれることのないレッテルという完治不可能な重症を負わせてしまえば、合わせる顔なんてもうどうやっても用意できない。


 ……私は黒子。あの子の夢を支える存在。

 舞台に立とうなどと、考えることすらおこがましい。


 でも、それでも。

 たとえ、過去の誓いを破ることになってしまっても――。


 あの子が大好きな皆に、あの子のことを否定させはしない。

 ――否定させてなるものか。


 あの子の努力も、熱意も、才能も――。

 全部、全部。私が守る。


 今日の予定を台無しにした、せめてもの償いとして。


 だから――、


「――今日限りの復活だ、ClearFlour」


 頬に一筋の汗を伝わせた透華は、体の震えを強引にねじ伏せ、マイクのスイッチを軽快に入れた。 


 緊張の圧力に押し潰されそうな内心とは逆しまに、口端が僅かに持ち上がる。


「……せいぜい恥をかいてやる」


 冴え冴えと顔を上げた途端、緩やかに風が吹き始めるや否や、持ち前のブロンドはその毛先を静かに靡かせ、透華の雰囲気を一変させた。


 突如として変容した透華の雰囲気に、『なーちゃん』たちは息を呑まされる。 


「っと」


 スタンドからマイクを外すと、鼓膜を突き破るような鋭いハウリングが辺り一帯に響き渡り、耳を塞いだ通行人らの針のような視線が一気に透華へ注がれる。


 だが、透華はそれら全てを一切無視し、困惑した様子で透華の言葉を待っている五十数名の瞳だけを見やった。

 

 雲の切れ間から陽光が差し込み、透華の体を斜めに切るようにして、透華の全身を白く照らす。


 体の内側では、アドレナリンの奔流が迸っていた。


「みんな。今日は来てくれてありがとう」


「でもごめん。今日、神音は歌いません」


「あの子には無理を聞いてもらったの。私に歌わせてって」


「だから、神音目当てで来た人たちには、ほんと、ごめんなさい」


 数秒間、透華は深々と丁寧に頭を下げ続けた。

 この場にいない神音にも届いてほしいと願い――。


 数秒の静寂を経て、透華は再び顔を上げる。

 顔を上げた勢いで、ブロンドは一瞬だけ浮き上がると、緩やかに落下した。


 そして。 

 透華は間髪入れずに周囲を見回し、『なーちゃん』や『しーちゃん』をはじめとする、未だ状況を飲み込めていない観客を正面から射竦め――、


「それと、帰るか悩んでる人たちに、一つだけ言っておく」


 曲の開始スイッチを密かに握り、胸が反り返るほど大きく息を吸い込んで――、


「私の歌は、神音以上だから‼」


 スピーカーから爆音で鳴らすと同時に、背中を丸めて敢然と言い放った。

 

 流れ始めたイントロが、主旋律を予告する。

 音楽会にて神音が披露した『Tell me your song』だった。


 『なーちゃん』や『しーちゃん』だけでなく、帰るか迷っていた生徒たちまでもが透華の迫力に気圧され、足を止める。


 全員が息を呑み、透華がブレスした刹那――


 ――騒音が、凪いだ。


 ショッピングモールへ向かう人も、ショッピングモールから出てくる人も。駅からやってくる人も、駅へ向かう人も。友達と会話を楽しむ人も、一人でイヤホンに耳を傾ける人も。


 歩道を通行していた全ての人間が、透華に意識を奪われた。

 

 派手な演出はない。

 そこには、マイクを片手に歌っている、一人の少女がただいるだけ。


 されど――、


 その、玉を転がすような歌声に。

 その、鬼気迫るような仕上がりに。

 その、内なる高揚を煽り続ける表情に。


 近くの路面店で商品を手に取っていた人はその商品を置き戻し、東宮寺千代子の歌をイヤホンで聞いていた人は着けていたイヤホンを取り外した。


 『なーちゃん』は両手で口を押えて目を見開き、『しーちゃん』も口を僅かに開けて、黙々と透華の歌唱を聞き続ける。


 先ほどまで緩やかに吹き続けていた風はその強さを増し、一陣の風を吹き荒らす。

 その風は、まるで透華の全身から吹き出すように――。


 その姿は正しく――風神。

 神音を超え、千代子にも迫るほどの圧倒的な力だった。


 気がつけば、透華の周囲は通行人で埋め尽くされており、透華を半円に囲む形で、層々と列が形成され始めている。


 人は更なる人を呼び――。


 最初からこの場にいた五十数名の生徒たちは、最前列にて肩を狭くして寄せ合い、背後で蠢き増大し続けるただならぬ熱量を感じながらも、目の前のパフォーマンスに聞き惚れていた。


(…………)


 透華の全身に、観客の視線と期待がのしかかる。

 が、それすらも、今の透華にとっては些事の一つに過ぎなかった。


(こんな気持ち、久しぶり……)


 汗を飛び散らせ、髪を振り、大地を吹き飛ばすような熱量で発声する。

 天から照り付ける白熱に抗うが如く、透華は上体を思いっきり反り上げた。

 

(眩しいし、熱っついし……、けど――)


 図らずも、凛々しく引き締まった透華の顔からは、かつてないほどの壮快な笑みが止まることなく零れ続ける。


 神音への罪悪感はある。その贖罪のためのライブだ。

 だからこそ、こんな気持ち、きっと抱くべきじゃない。抱いちゃいけない感情だ。

 そんなこと、私にだって分かってる。

 分かってるけど――。

 

(……楽しい。歌うの、やっぱり楽しい――‼)


 人前で歌ったのなんて、いつぶりだろう……。

 歌声が届くこの感触……、私は――、やっぱり私は――。


 差し掛かったラストのサビも孜々と歌い上げ、最後の一音一語まで全力を持って走り抜ける。


 そうして。

 アウトロが止み、ClearFlourが拳を天へ突きあげたと同時。


 一時の間も置かず、横浜駅一帯に、嵐のごとき歓声と熱狂が轟いた。

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