第23話 当日

 日曜日の横浜駅は、透華の想像を遥かに超えていた。


 各地より押し寄せる人混みは、秩序を無視して列を成す。

 歩道は隙なく埋めつくされ、人波に呑まれまいと奮闘する子供たちは、都度背伸びをして前方の様子を伺っていた。


 過剰な人混みの為、歩道を歩く全員が酷く緩やかな歩速を強いられ、透華も当初の到着予定時刻から大幅に遅れてしまった。


 しかし幸い、機材レンタル業者の到着直前には間に合い、事前に決めていた通りの配置で、機材の設置をお願いする。


「っと、こんなもんでどうでしょう。音響など確認していただければ」

「……アー、アー、テステス」

「大丈夫そうですか?」

「はい。多分、問題なさそうです」

「そうですか、それは良かったです。では柊様。返却時間前の17時頃に、またお伺いするという形でよろしいですか?」

「はい。それで」

 

 「よろしくお願いします」と頭を下げた透華に対し、レンタル業者は帽子を目深に被ると軽く一礼だけをし、早々とワンボックスカーに乗り込んだ。


 きっと次の仕事があるのだろう。


 クラクションで別れの挨拶を済まし、レンタル業者はこの場から去っていく。

 晴朗とした空模様の下、煉瓦造りのショッピングモールを背にして、透華と機材だけが取り残された。


 初夏の日差しが照り付ける中、透華は無造作にスマホを一瞥する。


「もう四十五分……。あの子、まさか、寝坊したんじゃ……」


 開始時刻の十三時まで、気がつけば残り十五分を切っていた。

 焦りは刻々と変化し、更に強い焦りへ進化する。

 気も漫ろになった透華は、絶えることなく流れ続ける人波に目を向け、神音らしき人物を片っ端から探し始めた。


 だがしかし。

 背後のショッピングモールに出入りする人たちだけでなく、周辺店舗や通路を行き交う人々を全て捉えて探し出すなど、到底出来るわけもなかった。


 透華の額から嫌な汗が頬を伝い、歩道の雑踏音が透華の聴覚を占領する。

 他の歩行者と肩をぶつけるまで、透華は自身が神音探しに没頭しすぎていたのだと気づきもしなかった。


 ぶつかってしまった人には軽く頭を下げ、透華は再びスマホを一瞥する。


(まだなの……? もう、あと十分もないのに……) 


 メッセージが更新されないトーク画面を数秒見つめた後、大きな溜め息を吐き出し、スマホをポケットへしまった。


 万が一。

 神音がすれ違いで到着している万が一の可能性を信じ、透華は機材や荷物を置いた場所へ一度撤退しようとし――


「――っ」

 

 瞬間、スマホが振動した。

 

 神音からの電話だと確信するまでに要した時間はコンマ一秒もなく――、透華は流れるように再々度スマホを取り出し、相手の名前すら確認せずに電話に応じた。


「ちょっと、あんた今どこに――」

「ゴホっゴホっ……。透華、先輩……」


 しかし透華の気勢とは対蹠的に、電話から聞こえてくる神音の声は、かつてない程に繊弱なものだった。


 スマホ向こうの空気もやけに重い。


 この数秒のやり取りだけで、透華の溜め込んでいた不満や文句は一切合切全て吹き飛んでしまった。


(何か……あった……? いや、違う……。何があったの……?)


 予想だにしていなかった繊弱な神音の声に、何と聞けば良いのか逡巡していると、おもむろに神音の方から口を開いた。


 そして――告げる。


 最も非現実的で、けれど最も恐れていた最悪を。

 透華を地獄の底まで突き落とすような、絶望的な一言を。


「すみ、ません……。神音……、今日、行けなくなっちゃいました……」

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