第13話 決意

 週明けの月曜日。

 多くのクラスメイトが少ない体力を温存するため、物静かな朝を過ごす中、ただ一人だけ――クラスメイトでもない人物が、持ち前の銀髪ボブを揺らす勢いで声を張り上げていた。


「先輩! 透華先輩‼ 昨日の方は一体誰だったのでしょうか‼」

「……朝からうるさい」

「神音、絶対許しません‼ あの人、透華先輩を馬鹿にしてぇ‼」

「はぁ……」


 透華を大事に思っているからこその怒りにも拘わらず、当人からの注意なぞは上の空で、神音は一人、ネチネチと大声でわめく。


「神音、ちょー気になるんです‼ 教えてほしんです‼」


 食い入るようにして、透華の机に両手を突く。

 神音は、椅子に座る透華の様子を、見下ろす形でのぞき込んだ。

 

 昨日の今日なのに……、ほんっと、勘弁してほしい……。

 あの店、本当にお気に入りだったのに……。

 

 昨日。千代子の去り際。

 青筋を浮かばせた神音が、千代子の足を止めさせ、言い争いを勃発させたのだ。

 

 恐怖の象徴たる千代子に反論してくれたことには、透華も密かに喜びを感じていたが、ヒートアップする争いを止めないわけにもいかず、今にも殴り掛かりそうな神音を羽交い絞めにした。

 が、神音の咆哮は一切収まらず、透華の腕の中で暴れ続けた。

 

 千代子も千代子で一切引く様子を見せず、火に油を注ぎ続ける始末。

 

 騒ぎは瞬く間に広がり、店内にいた客たちから遠目で様子を窺われて。

 終いには、騒ぎを見かねた店長によって、三人とも出禁処分をくらう羽目になってしまった――。


 思い出すだけで、イライラしてきた……。

 透華は開けっ広げに息を吐き出し、かったるそうに口を開く。


「……本人が名乗ってたでしょ。東宮寺 千代子、それが名前」

「神音が聞きたいのはそんなことじゃないです‼」

「……じゃあなに」


「あの人は一体何者なんですか! ――はっ! もしや、先輩のアンチ⁈」

「…………さぁね。でも、あながち間違ってないのかもしれない……」

「むぅ……、はぐらかさないで下さい!」


 見上げると、神音は口尖らせ、涙目を浮かべていた。

 

 ……昨日の仕返しは、このくらいにしとくかな……。


 透華は机の上に腕を置き、左手を右手に重ねる。

 これ以上神音の表情を見ても良心の呵責に襲われそうだっため、窓向こうに視線をやり、神音が知りたがっている情報を訥々と、物憂げに語り始めた。


 東宮寺 千代子。

 彼女は生まれながらの天才だ。

 

 歌に関しても、作曲作詞に関しても。

 

 彼女に機材を与えれば、数日のうちに名曲が完成してしまう。

 私が見てきた中でも、屈指の実力者に他ならない。


(この子の歌声を持ってしても、恐らく彼女には勝てない……)


 それに。東宮寺千代子の名前を聞いたことがないなど信じられない。

 どれだけ歌い手というものに疎くとも、彼女の名前だけは聞いたことがあるという人が大半の世の中で、どうやったら彼女の名前を聞かずに過ごせるのだろうか。


 透華が神音に問い詰めるも、神音は嘖々と賞賛を浴びるスターのように頭を掻いてと照れ笑いを浮かべるだけだった。


「はぁ……。東宮寺千代子についてはこれで満足?」

「はい! なんか凄い人なんだなってことは分かりました!」

「絶対分かってないでしょ……」


 時間と体力を無駄にした後悔で、透華は肩を落とす。

 が、神音は様子を変えることなく、透華の眠気が一撃で吹き飛ぶほどの言葉を平然と口にした。


「では、東宮寺千代子に対決を申し込みましょう!」

「――は、はぁ?」

「神音、あの人を倒してみせます!」

「いや……、ほんとに話聞いてた?」


 恐る恐る尋ねた透華の問いをスルーして、神音は悲憤を訴えるように手の甲で空を叩いてみせる。


「盗作家とかワケわかんないこと言って、先輩を馬鹿にしたんですよ⁈ 神音は引き下がれません‼」

「そんなのいいって」

「いいえ‼ 良くないです‼ 神音は東宮寺千代子に勝たせて頂きます‼」


 窓の方へ向いた神音は、洋々とした天を鋭く指さし、両の瞳を閃光と灼熱で輝かせる。


 粛として物音一つ聞こえない教室では、多くのクラスメイトが二人の動向を緊張感のある様子で看視していた。


「透華先輩は悔しくないんですか!」

「――ッ」


 向き直った神音の言葉に、記憶と心を無慈悲に抉られた透華は必死に反論を試みるも、言葉として形成されなかった空気が口から出てくるだけで、結果としてただ奥歯を噛みしめることしかできなかった。


「神音は怒ってるんです‼ 先輩も悔しいと思ってる‼」

「それは……」

「――なので‼ あの人に勝つため、まずは路上ライブから始めたいと思います‼」

「え、――はぁ⁈」


 反射的に立ち上がった透華は勢いをつけすぎたあまり椅子を後ろへ倒してしまい、唐突な爆音でクラスメイト達の肝を跳ねさせる。


 されど透華は周囲を一切気にすることなく、焦燥を浮かべて熱く燃える神音を見続けていた。


 路上ライブやるって、意味分かってんの、この子。

 歌い手目指そうって人間がいきなり顔出しなんて、頭おかしいの?


 確かに私は、あいつ――東宮寺千代子に対して、途方もない悔しさと怒りを感じてる。やるせなさを感じてる。


 でも、だからって――。


 同時に、透華の理性は、立ち向かうことの愚かさを知っていた。


 吹き荒れる感情の暴風を、理性が必死に説き伏せようとするも――、


「先輩! 一緒に東宮寺千代子を倒しましょうね!」


 ――透華への絶対的な信頼を浮かべる神音の表情を前に、透華の理性は容易く瓦解してしまったのだ。


 微かに残っていた透華の本心も相俟って、気づけば神音の誘いを拒絶することを、透華は拒絶してしまっていた。

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