第10話 余韻

 音楽会の撤収作業も済み、部活動の掛け声が校庭から聞こえてくる。

 校内では頻りに、吹奏楽部の練習音が響いていた。


「どうですか? 神音の歌声、先輩に届きましたか?」


 大舞台をやり切って間もないにも拘わらず、透華をうかがう神音の瞳は、元気と期待に満ち溢れている。 


 放課後となった教室には二人きり。

 着席していた透華は神音を無視し、窓向こうの夕景色を見続ける。

 教室に差し込む夕光が、艶やかなブロンドを更に輝かせた。


「…………行かなかったこと、謝るつもりないから」

「気にしててくれたんですね」

「――っ」

「神音、それだけで嬉しいです」


 「ふふっ」と清楚に笑った神音は、気恥ずかしそうに髪を掻き上げる。

 その裏表のない素直な反応は、神音の満幅の喜びを余すとこなく透華に伝わり、ただでさえバツの悪い透華をより一層、面映ゆくさせた。

 

 透華は朱色の頬を夕日に隠し、目を逸らしたまま神音に尋ねる。


「……『神音の夢を二人の夢にしたいから』ってあれ、どういう――」

「――えぇ⁈ やっぱり届いてたんですね⁈」

「もう、そういうのいいから。早く」

「はいです! 了解です! お答えします!」


 溌溂と敬礼した神音は、即座に敬礼を解いて中指をピンと立てた。


「あれは、神音と先輩、二人で日本一の歌い手になりたいということで――」

「それは分かってる。あなたの夢が、日本一の歌い手になることだって」

「なら話は早いです! 神音はもう一度、勇気を出します!」

「……え?」


 もう一度……? 

 ……もしかして。あの、何を言っているかよく聞き取れなかった時……?

 

 透華が記憶フォルダを漁っていると、机がドンと叩かれ、肩が僅かに跳ね上がる。

 神音が両手を置いた衝撃だった。


 透華は恐る恐る視線を正面に戻し、神音の顔を見上げる。

 神音は熱を帯びた気迫で透華を見下ろし、息を吸い込み――、

 

「どうか! 神音と一緒に歌ってください! 神音の相棒になって下さい‼」


 ――両手だけでなく自らの額まで、透華の机にくっつけた。


「……………」


 生まれて初めて、こんなに期待された。

 生まれて初めて、こんなに胸が躍った。


 私は、歌い手なんて嫌いだ。

 でも、音楽を嫌いになることは出来なかった。

 現に今でも毎月、CDショップへ足を運んでしまっている。

 

 透華は全身の緊張をほぐすため、一息吐き出す。

 懊悩するように一度視線を下げた後、神音の熱意を直視した。


「……ごめん。やっぱり、私は歌えない」

「そう、ですか……」

「でも――」


 緩慢に椅子を引いて立ち上がった透華は、見下みおろす形で神音と向き合い――、


「あなたの相棒にはなれる」


 凛乎とした顔つきで、神音に笑って見せた。


「裏方でよければ、あなたの夢、手伝わせてほしい」

「もも、もちろんです‼ ぐへへ……、この調子なら、一緒に歌う日もそう遠くないですね……」

「それは、期待しないで」


 よだれを拭う素振りで炯々と目を光らせる神音に、溜息交じりで鼻を鳴らす。


 照れくさい雰囲気もそこそこに、透華は『神音の夢』に関わる根底的なことを切り出した。


「ところで、機材とかは持ってるの?」

「……へ?」

「歌い手として活動するための機材」

「それは……、持ってないです」


 先ほどとは打って変わり、顔から蒸気を吹き出す神音。


 当然と言えば当然だ。

 夢を語った盛大さに反して、何の準備も計画も出来ていない実情に気づいてしまえば恥ずかしくもなる。


 パソコンやソフトをはじめとした、マイク、ヘッドフォン、オーディオインターフェイスなど。

 挙げればキリがない山々を準備するのには、透華も骨を折った経験がある。


 透華は神音の悶えを間違っても指摘することなく――、


「週末、暇?」


 と、一言。

 縮こまっていた神音を見つめ、穏やかに微笑んだ。

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