第9話 雷鳴

「今日に限って、ママってば……」


 病欠を続けて六日目。

 とうとう母親に仮病を知られ、透華はコテンパンに叱られてしまった。


 家から強引に追い出され、渋々ながらも登校する。

 朝日に照らされた透華の顔は、いつもに増して億劫な表情を浮かべていた。


「はぁ……」


 よりによって、今日は例の音楽会当日。

 あの子の話では、午後から体育館で行うらしい。

 

 昼休みに入ると、軽音楽部や吹奏楽部、箏曲そうきょく部の生徒までもが、慌ただしく楽器の搬入作業を始めていた。

 音楽会参加者は午後の授業を免除されているのだ。


 透華は買ったばかりの紙パックジュースをストローで飲みながら、行きずりの生徒の顔を伺う。


「……何やってんだろ、私」


 気づけば、無意識のうちに神音を探してしまっていた。


 ……違う。これは、話しかけるためじゃない……。ただ、あの子に見つかって誘われるのを防ぐために……。


 連日休んでいたにも拘らず、今日に限って登校してしまったこともあり、も言われぬ気まずさを透華は密かに抱えていた。

 

 だが、神音に話しかけられることはおろか、神音と遭遇することさえない。

 すれ違う生徒は、誰一人として透華を気に留めなかった。


 普段とは異なる状況に、言い知れぬ不穏さを感じる透華。

 しかし同時に、神音の存在が日常となっていた事実に気づき、嫌気が差す。


 透華は空になった紙パックを握りつぶし、ゴミ箱へ粗暴に投げ入れた。

 

                 *


 六時間目が始まって以降、透華の集中は常に搔き乱され続けた。


 ……うるさい。うるさい。

 体育館からの音が、うるさすぎる。


 あまりの騒音で授業どろこではなかった透華は、途中で席を立ち、トイレだと嘘をついて教室を出た。


 早歩きで廊下を蹴り、溜ったストレスを理不尽にぶつける。


 向かう先は体育館。――音楽会の会場だ。


「……むかつく。ほんと」


 今、足を進める理由など一つしかない。


(あの子の夢とやらが無様に散る様を、盛大に笑ってやる……)


 どうせあの子は失敗する。

 練習もろくにしてない素人に、奇跡を起こす資格はない。

 曲を選んだのだって、きっと最近だ。


 透華はブロンドを靡かせ、校舎と体育館を繋ぐ廊下を渡った。


 暗幕をくぐって中に入ると、ぱらぱらとした拍手に包まれている。

 都合、ざっと数えて二百人はいた。


 近くにいた生徒から演目表を奪い取り、神音の順番を確認する。

 今はちょうど箏曲そうきょく部の演奏が終了したところだったらしい。


「――って、え、これっ」


 ざっと目を通し終えた透華は、演目表の図りざりき項目に目を見開いた。

 しかし同時に、照明が落とされ、目の前が真っ暗になってしまう。


 注視しても何も読めなかったため、演目表を生徒に返した。


 透華の視線と観衆の注目が、自然とステージに集まる。


 今から始まるのは最後の演目にして、大トリによる演奏。


 それがよりにもよって――。


 刹那、ステージ上だけが煌びやかにライトップされた。


「――いぇーいっ! 盛り上がってるかいベイベー‼」


 マイク片手にサングラスをかけた神音が、壇上のスピーカーに足を乗せて登場し、会場のあちこちからは、神音の問いかけに答えるかのような指笛が吹かれている。

 

 だが、神音は観客の騒めきを無視して会場を見渡し、ある一点をビッと指さした。

 

「透華先輩も盛り上がってますかー‼」

「――⁈」


 不意打ちの名指しに、透華は口から心臓が飛び出そうになるも――、


「って、来てるわけないかー、あはは」

「…………」


 神音の自発的な諦めによって、臓器嘔吐によるショック死は回避できた。『

 ホッと胸を撫でおろした透華など露知らず、神音は壇上で照れくさそうに頭を掻き続ける。


 しかし、一転。

 透華が再び壇上を見上げた頃には、神音の顔は質実なものになっていた。


「……でも。でもさ、透華先輩。神音、校舎までこの歌届けるから――、神音の夢を二人の夢にしたいから――!」


 曲のイントロが流れ始める。

 サイドライトによって、神音の姿が赤、青、緑、黄色に染められた。

 

 神音は、かけていたサングラスをステージ投げ捨て、透華もよく知る『あの曲』を口にする。――屋上で歌っていた、『あの曲』を。


「――歌うよ。あの時の歌。Tell me your song!」


 歌い始めて、自分の予想が外れたことを痛感させられた。


 神音の歌声。

 自分よりも上手いと豪語していた歌声。


 雷鳴のように轟き、玲瓏とした歌唱が吹き荒れる。

 絶美的でカリスマ的な熱唱が、会場内を反響した。

 堂々たるその姿は、まさしく――天才。


 生徒も教師も来賓も関係なく、神音のパフォーマンスに息を呑む。

 

 これほどの才能に、透華は今の今まで出会ったことがなかった。

 無意識に口角が上がり、興奮で頬が紅潮する。


「……上手いじゃん。……私の次くらいに」


 アウトロの残響を聞き終え、神音がマイクを天高く掲げる。

 

 同時に、会場を割らんばかりの大喝采が尽きることなく鳴り響いた。

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