第9話 雷鳴

「今日に限ってママってば……」


 今朝、連日の休みを知った母親は、堪忍袋の緒が切れた。

 朝からコテンパンに叱られ、透華は渋々登校する。


 今日は例の音楽会当日。

 神音の話では、午後から体育館で行うらしい。

 

 昼休みになると、軽音楽部や吹奏楽部、箏曲部の生徒までもが、慌ただしく楽器の搬入作業を行っていた。

 音楽会参加者は午後の授業を免除されている。


 透華は買ったばかりの紙パックジュースをストローで飲み、行きずりの生徒の顔を伺う。


「何やってんだろ、私」


 気付けば無意識のうちに神音を探してしまっている。

 違う。これは話しかけるためじゃない。神音に見つからないようにするため。

 今日に限って登校してしまったこともあり、透華は気まずさを抱えていた。

 

 だが、神音に話しかけられることはおろか、遭遇することさえなかった。

 すれ違う生徒は誰一人として透華を気に留めない。


 普段とは異なる状況に言い知れぬ不気味さを感じると同時に、神音の存在が日常となっていた事実に嫌気が差す。


 空になった紙パックを握りつぶし、ゴミ箱に投げ入れた。

 

                 *


 六時間目の途中、透華はトイレだと嘘をついて教室を出た。

 向かう先は一つしかない。体育館だ。

 神音ならたとえ一人でも、宣言通りに出演するだろう。


 ――だが透華には、出演する気などさらさらない。


「むかつく。ほんと」


 授業中、体育館から聞こえてくる音によって、嫌でも集中力を乱された。

 ストレスまでかけられる以上、座り続けることの方が透華にとって苦痛になる。 


 今、足を進める理由はただ一つ。

 神音の夢が散る姿を見て、溜ったストレスを解消するためだった。


 どうせ神音は失敗する。

 練習もしていない。曲を選んだのだって、恐らく最近だ。


 透華はブロンドを靡かせ、校舎と体育館を繋ぐ廊下を渡った。


 暗幕をくぐって中に入ると、ぱらぱらとした拍手に包まれている。

 ざっと数えて二百人はいた。


 近くにいた生徒から演目表を奪い取り、神音の順番を確認する。

 今はちょうど箏曲部の演奏が終了したところだったらしい。


「――って、これ」


 気付いた刹那、照明が落とされ、目の前が真っ暗になった。

 何も読めず、演目表を生徒に返す。


 透華の視線も観衆の注目も、自然とステージに集まる。


 今から始まるのは最後の演目にして、大トリによる演奏。

 それがよりにもよって――、ステージ上だけが煌びやかにライトップされた。


「いぇーいっ! 盛り上がってるかいベイベー‼」


 マイク片手にサングラスをかけた神音が、壇上のスピーカーに足を乗せる。お客の騒めきを無視して会場を見渡し、ある一点を指さした。

 

「透華先輩も盛り上がってますかー‼」

「――⁈」

「って来てるわけないかー、あはは」

「…………」

「でも。透華先輩。神音、校舎までこの歌届けるから――、神音の夢を二人の夢にしたいから――」


 曲のイントロが流れ始める。

 サイドライトによって、神音の姿が赤、青、緑、黄色に染められた。

 

 かけていたサングラスをステージ投げ捨て、透華もよく知る、あの曲を口にする。

 屋上で歌っていた、あの曲を。


「――歌うよ。あの時の歌。Tell me your song!」


 歌い始めて、自分の予想が外れたことを痛感させられた。


 神音の歌声。

 自分よりも上手いと豪語していた歌声。


 雷鳴のように轟き、玲瓏とした歌唱が吹き荒れる。

 絶美的でカリスマ的な熱唱が、会場内を反響した。

 堂々たるその姿は、まさしく――天才。


 生徒も教師も来賓も関係なく、神音のパフォーマンスに息を呑む。

 

 これほどの才能に、透華は今の今まで出会ったことがなかった。

 無意識に口角が上がり、興奮で頬が紅潮する。


「……上手いじゃん。私の次くらいに」


 アウトロの残響を聞き終え、神音がマイクを天高く掲げる。

 

 同時に、会場を割らんばかりの大喝采が尽きることなく鳴り響いた。

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