第6話 抵抗

「透華先輩っ♡ 音楽会に出ないと、勝手に作ったスペアキーで許可なく屋上へ入ったこと、学校に報告しちゃうぞっ♡」 

「…………」


 拳を作りたい気持ちを抑え、透華は真剣に頭を働かせる。

 神音が本当に学校に報告すれば、停学はまず避けられないからだ。


 クソっ、どうする……。

 このまま話が進むとまずい。


 脅しに屈しても歯向かっても面倒しかない……。

 なら。今はとにかく、別の話題を――。


 定期試験などとは比べ物にならないほど明敏に頭を回転させ、不図、透華はとある疑問にぶち当たった。


 当初より感じていた無意識の違和感。


 苦し紛れの時間稼ぎとして、神音にを尋ねようと口を開く。


「……そもそも。どうして音楽会なの?」

「といいますと?」


 透華の疑問に、神音は神妙な瞳で透華を見上げた。

 

 よしっ……。まだ挽回のチャンスはある……。 


 神音の興味を逸らせたことに内心ガッツポーズを決めるも、透華は表情を変えることなく言葉を続けた。


「あなたが屋上で盗み聞ぎしてたことは分かった。それで私を誘いに来たことも分かった。でも、誘う先が、なんで音楽会なの?」

「それは、神音と一緒に歌ってほし――」

「――あんなままごと、一人で出ればいいのに」


 だが刹那、神音の纏う空気が変わった。


 今までとは異質な、肝を凍てつかせるような空気。

 底の見えない暗さを宿した瞳で、透華を睨みつける。


「――訂正してください」

「なにを……」

「ままごとなんかじゃありません。少なくとも神音はそんな風に思ったこと、一度もありません」


 威圧に気圧されまいと、必死に言葉を搾り出した透華だったが、神音が纏い続ける赤黒いオーラに狼狽し、続く言葉は何一つ出てこなかった。


 息を呑まざるを得なかった透華は、湧き出る罪悪感と消去法的な思考結果に背中を押され、神音から僅かに視線を逸らす。


「……ごめん」

「分かればいいんです、分かれば。……でも、勘違いしないで欲しいんです。神音、はっきりいいますけど、透華先輩より凄いですから」

「…………何が?」

「そりゃもちろん、歌の上手さですよ。透華先輩も上手いですけど、それはあくまで神音のつ・ぎ・に! 歌が上手い人なんです!」


 つい先ほどの雰囲気とは打って変わって気の抜ける雰囲気を醸し出した神音は、やおら胸を張り、鼻高々に語り出す。


「神音の夢はですね、誰にも負けない人気歌い手になることです! そして日本中を神音のファンカラーに染め上げるんです!」

「え――」

 

 端無くも発されたその言葉に、透華は大きく目をむいた。

 『歌い手』という言葉が、痛みを帯びて、過去の記憶を想起させる。


『なれるかな……、私も。日本一の歌い手に――』


 打ち付けに呼び覚まされた忌まわしい思い出に、透華は髪を掻き上げるようにして頭を抑えた。

 

 神音の熱弁は、止まらない――。


「だか――そ、神音の相――先輩でな………メなんです! ……輩なら、神音と一緒に歌――んです! 先………いないんです!」


 あぁ、何を言っているのか、よく分からない。

 おかしいな……、この距離で聞こえないんなんて……。


 大手を広げて力説を終えた時、神音の息は上がっていた。

 がしかし、透華は、モヤがかかったように神音の声が聞こえなくなり、前後不覚な感覚に陥っていた。

 

 幾度か瞬きをし、脈を整えるために深呼吸する。


 今、脅されてピンチだってことは分かってる。

 断れば最悪、退学だってことも。


 でも。それでも私は――。


 先ほどの想起と同時によみがえった、吐き気を催すほどの暴力的な記憶に促され、透華は再び深呼吸したのち、神音を一直線に見据える。


「――残念だけど、私は音楽会に出られない」

「――もうこの世界とは関わらないって、誓ったから」

「――悪いけど、他を当たって」


 冷たく言い切り、透華は身を翻す。

 反論の余地すら、与えなかった。


 これでいい……。これでいいんだ。


 「そんなー」と頭を抱える神音を尻目に、透華はあっさりこの場を去った。


(ホームルームが始まる前には戻らないと……) 


 置き去りにした神音を努めて無視し、速足で教室へと歩を進める。


 日本一の歌い手になんて、なれるわけがない。

 日本中を自分のファンカラーで染め上げるなんて、夢のまた夢だ。


 世の中、上には上がいる。

 その事実を、私自身が一番、身をもって知っている。


 だからこそ――。


 歌うこと。それも人前でなんて……。

 私にはもう、出来るはずがない。


 透華は人知れず歯噛みし、唇を噛んだ。

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