第5話 説得

 神音の手を引く透華の顔は蒼白としていた。

 俄かに教室を飛び出した透華を、クラスメイトは茫然と眺めている。


 黙々と進む自らの上履きに視線を落とし、廊下を鳴らす。

 生肝が冷えた。

 どうして。いつから。職員室にいたはず。なんで屋上なんかに。

 まさかスペアキーのことまで――。いや、ありえない。

 扉を開ける前にちゃんと周りを確認したんだ。ありえない。

 そもそも風の音で声は遮られている。ありえない。


 人気のない場所へ行き、神音を壁際に押し込む。

 透華は未だ混乱の収まらない中、勢いよく壁を殴った。

 

「何が目的なの」

「ふぇ?」

「お金? それとも隷属?」

「先輩は何を言って――」

「見てたんでしょ。昨日の」


 語気を強めて問い詰めると、神音は改まって目をパチクリさせた。

 数秒の沈黙の後、神音の口角がにんまりと上がる。

 

「そりゃもう! だから誘いに来たんじゃないですか。歌姫先輩っ!」

「違うから。私の名前は透華。二度とその名前で呼ばないで」

「先輩が昨日無視したんじゃないですかー」

「…………」


 ぶー垂れる神音に何も言い返せない。

 とはいえ神音の言質を認めたくもなかったため、透華は無視を決め込んだ。

 だが神音はお構いなしに話を続ける。


「出てくれますよね? 音楽会」

「……なにそれ。脅しのつもり?」

「脅しですか? そんなわけないですよ」

「そう? 私には『音楽会に出ないと、勝手に作ったスペアキーで許可なく屋上へ入ったことを学校に報告するぞ』っていう風にしか聞こえないけど」

「ええ⁈ 透華先輩、いつのまにそんな悪行を⁈」

 

 しまったと、入らぬ汗が頬を伝う。

 神音が即答した時点で、全てバレてしまったのだと思い込んだことが運のツキだ。

 透華を見る視線が、親しみからワナワナとしたものに変わっている。


「透華先輩、………ヤンキーだったんですか?」

「あなたに言われたくない。自分の髪色、見たことないの」

「先輩だって金髪じゃないですか!」

「これは地毛。じゃなきゃもう退学してる」

「言われてみれば確かに………って話をすり替えようとしても無駄ですよ!」

「…………」


 ぷりぷり怒る神音のアホ毛はピンと立っていた。

 話を持ち出したのも話を逸らしたのも神音だが、突っ込むことすら億劫だ。


 しばらくあれこれ言っていた神音は、ある時、何かが走ったように大きく目を開眼させる。「はっ、そうだ……!」と呟いて、にぃっと嫌に笑った。

 平均的な高校二年生よりも様々な経験を積んでいた透華には分かる。

 この悪寒は、なべて嫌な予感だった。


「透華先輩っ♡ 音楽会に出ないと、勝手に作ったスペアキーで許可なく屋上へ入ったこと、学校に報告しちゃうぞっ♡」


 予感は見事に的中した。




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