第40話 秀真の策

 落ち着いた頃になって、花音はすべて打ち明ける事にした。


「気持ちいい話じゃないけど、聞いてください。とても重要な事なんです」


 まだ目を涙で潤ませた花音を見て、秀真は穏やかに尋ねる。


「またピアノを弾いた?」


「はい」

 しっかり頷いた花音の返事に、秀真は「分かった」と真剣な顔で応じてくれた。



 その日は花音が東京に来てデートをした、一日目の夜だと知り、まだ愛那と会う前だと分かって一安心した。


 花音は翌日の夕食時に愛那と遭い、そこから彼女の嫉妬心が暴走する事を話した。


 金田という男が愛那に唆され、顧客情報を流出し、秀真はその対応に追われる事、愛那と結婚するよう彼女の父からも圧力を受け、瀬ノ尾グループが風評被害を受ける流れ。


 その果てに秀真は過労で倒れ、花音と不和が生まれたあと、愛那と決着をつけるために彼女のマンションに向かい――殺害されてしまった事も包み隠さず話した。


 話し終わったあと、秀真は黙り込み、重い溜め息をつく。


「明日、出掛けなくてもいいです。このまま家でゆっくりしていましょう」


 花音の提案に、秀真は頷いた。


「分かった、そうしよう。……でも、せっかく来てくれたのにな?」


「いえ。私は過去に素敵なデートを経験させてもらいましたから、それより、レストランとか予約してくれていたのにすみません。キャンセル料は私が払います」

「いや、それはいいんだ。気にしないでくれ」


 秀真は花音を抱き締め、ベッドのヘッドボードにもたれ掛かる。


「明日の夕方に愛那さんに、私と一緒にいるところを見られなければ、まず何も起こらないと思います。……でも、彼女の秀真さんへの執着心は残ったままです」


「そうだな。……それについては、俺の方で考えて手段を講じたいと思っている。花音は心配しなくていい」


「でも……」


「花音はまだ、この世界では愛那さんと関わってない。だから、花音が関わるのは避けたほうがいいと思う」


「そう……ですね」


 もっともな事を言われ、頷くしかない。


「俺は花音の前では〝理想の彼氏〟でいたいと思っているけど、それ以外の場面では割と冷徹な部分があるんだ」


 言われて「想像できません」としか言えない。


「だから、必要なら人を騙し打ちする事も厭わない。そういう汚い部分はなるべく花音に見せたくないから、〝知らないうちに解決してた〟という体にしたい」


 あくまで自分を思いやってくれる秀真に、引っ込んだはずの涙がまたこみ上げてくる。


「……絶対に無理をしないでくださいね?」


「約束する。俺だってまだ死にたくないし」


 秀真は優しく笑い、花音の頬に音をたててキスをした。


 不安は残るが、話せる事はすべて話したので、もう花音にできる事はない。


 そのあとは秀真に「寝よう」と言われ、彼のぬくもりに包まれて目を閉じた。





 東京滞在の残る時間は、途中で予定変更した通り秀真の家でのんびり寛ぐ事にした。


 マンション付近の外出なら大丈夫だろうと、夕食は近くにある小洒落た洋食店に入り、アットホームな雰囲気のなか花音はとろとろのオムライス、秀真はハンバーグプレートを食べた。


 秀真の家にある映画コレクションの中から、花音が見ておらず、好みの作品を一緒に見て、予定通り午後の便に乗るために空港まで送ってもらった。


「秀真さん、本当に気を付けてね」


「分かってる。花音がつらい思いをしたのを、絶対に無駄にしない」


 保安検査場の前で、秀真は人目を憚らず抱き締めてきた。


「必ず、欠かさず花音に連絡する。心配かけたくないから、忙しい時でもスタンプぐらいは送る」


「ありがとうございます。でも、無理はしないで」


「ああ」


 最後にもう一度抱き締められて、花音は彼に別れを告げた。





 シルバーウィークが終わったあと、少しのあいだ秀真は花音から聞いた情報を整理していた。


 自社の総務部に金田勝という男が勤務しているのは、把握した。


 直属の上司の話だと、人とぶつかりかねない性格ではあるものの、勤務態度に難がある訳ではないらしい。


 恐らく、愛那に目を付けられ唆されなければ、金田はノーマークでも構わないのだろう。


 それでも一応保険として、彼の上司に気を付けるように言っておいた。


 加えて愛那についてだが、こちらから刺激を与えなければ今のところ問題ないと判断する。


 彼女と鉢合わせないように、演奏会を見に行く予定などはすべてキャンセルした。

また、愛那が出没しそうな場所にも行く事を控える。


 敵の実態を把握するために、秀真は彼女の育ちや人となりを徹底的に調べさせる事にした。


 人を雇い、愛那の子供の頃から学生時代、現在に至るまで関わりのある人物を調べ、彼らと偶然を装って何度か会話をし、愛那の事を探れるようになるまで時間を掛けた。


 花音には心配を掛けないように、必ず朝晩には連絡をするよう心がけた。


 彼女が言うには、十月の上旬には瀬ノ尾グループは金田が情報流出した対応に追われているとの事だったが、中旬になって自分が倒れるという時期になっても、日々平和なままだ。


 その間も、秀真の元には静かに、着実に愛那に関する情報が集まっていた。





 その後、秀真はあれだけ回避していた演奏会に足繁く通い、愛那との接点を持とうとした。


 案の定、海外の有名オーケストラが来日して公演した時、原宿にあるホールで愛那に声を掛けられた。


「秀真さん、お久しぶりです」


「愛那さん、久しぶりですね」


 演奏が終わったあと、ロビーでは着飾った観客たちが談笑していた。


 目的を終えてすぐ帰る者もいるが、〝知った顔〟を見て会話に花を咲かせる人たちは、大体見た事のある顔ぶれだ。


「もしこのあとお時間があるなら、お茶でもしませんか?」


 いつものように愛那に誘われ、秀真は快諾した。

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