第38話 会いたい

 洋子にも両親にも何も言えないまま、朝がきた。


 早朝のニュースを流していると、女性キャスターが秀真の殺人事件を読む。


 秀真は婚約者の愛那の家に向かったあと、愛那が雇っていた堂島どうじまという男に呼び出しを受け、ナイフで刺されたらしい。


 堂島は愛那が住んでいるマンションの一階下に居を構えていて、用心棒的な役割を担っていたようだ。


 秀真は愛那名義の堂島の家に上がり、彼と口論になった結果刺されたらしい。


 愛那は上の階の自宅にいて、事件を知らなかったと供述しているようだ。


 堂島は秀真を刺し、完全に死を確認するまで室内に拘束したという。


 その後、人気のない時間に秀真を毛布でくるんで運び、近くのゴミ捨て場に捨てたのだとか。


(こんなの……嘘だ。絶対に愛那さんは現場にいたに決まっている。すぐ上の階なら、非常階段とかを使って移動する事だって可能なはず)


 花音はそう思うものの、堂島が自首して自分が殺したと言ったなら、警察はそう取るだろう。


「どうして……」


 ベッドの上に座り、布団を被ったまま、花音は力なく呟く。


 愛那も関係者として警察に事情を聞かれているそうだが、恐らく彼女が直接疑われる事はない気がする。


(秀真さんは、愛那さんが事件のショックで歩けなくなった事に、罪悪感を抱いていた。それを利用して彼女に呼び出された? それで交渉が上手くいかなくて……)


 考えるものの、すべて推測にすぎない。


 今すぐ警察に電話をして、「本当は違うんです」と話をしても、取り合ってくれない気がする。


 万が一きちんと話を聞いてくれても、物的証拠がない限り警察は動かないだろう。


 どれだけ疑う余地があっても、罪になったかどうか、証拠があるかないかハッキリしていないと、警察も動けない。


 その結果、誤認逮捕などあれば、警察が責任を取らなければいけないからだ。


(私にできる事は……)


 今すぐ東京に向かって、彼の死が本当なのか確かめたい。


 けれど正式に家族に紹介されていない自分が突然訪問しても、迷惑になるとしか思えない。


「……今なら……」


 脳裏に浮かんだのは、梨理のピアノだ。


「今しかない!」


 涙を零し、花音は声を震わせて決意した。


 キッと瞳に光を宿し、寝る準備をしていた服を普段着に着替え、必要最低限のものをバッグに詰め込んで家を出た。


 ――会いたい!


 ――秀真さんにまた会いたい!


 ――彼と幸せになりたい!


 ――だからお願い、今回だけでいいから、願いを叶えて!


 夜道を走り、花音は自宅の賃貸マンションから大きな通りまで向かった。


 車のヘッドライトが夜の道路を河のように流れているのを見据え、その中にタクシーがいないか目を凝らす。


「止まって!!」


 やがてタクシーの車体を認め、花音は大きな声を上げて手を振った。


 が、タクシーには『実車』という表示がある。


 諦めて花音は車が走ってくる方に走りながら、次のタクシーを捕まえようとする。


「お願いします!!」


 大きく手を振った花音の前に、緑色のランプに『空車』と表示された車体が停まった。


「ありがとうございます」


 車に乗り込み、花音は祖母の家の住所を告げる。


 静かに走り出した車内で、花音はスマホを取りだし祖母の家に電話を掛けた。


 しばしのコール音のあと、『はい、海江田でございます』と安野の声が聞こえる。


「安野さん? 遅い時間だけどこれからそっちに向かいますって、お祖母ちゃんに伝えてください」


『分かりました。お泊まりになりますか?』


 ピアノの力が働いたなら、恐らく花音の姿はそこから消えるだろう。


 けれどひとまず泊まるという事にしておく。


「そうします。あと、練習室Cのピアノを弾かせてほしいんです。遅い時間だけど、一曲だけ」


『防音になっていますから問題ありませんが……。急ですね?』


「どうしても必要なんです! お願いします!」


『分かりました。お待ちしていますね』


 そのあと、花音はギュッと自分を抱き締め、興奮を静めた。


 上手くいくかどうか分からない。


 けれど、今の自分と秀真を救ってくれるのは、あのピアノしかない。


(助けて……。梨理さん……)


 震える手でスマホを開き、花音は秀真とのトークルームを開いた。


 まだ彼が生きていた時の、甘く優しいひとときを思いだし、知らずと涙が溢れて止まらない。


(必ず……っ、助けますから!)


 秀真からの『好きだよ』という言葉を目にして、花音は嗚咽しながらスマホを抱き締めた。





 移動途中で祖母から『家に着いたらチャイムは押さず、勝手に入ってきてどうぞ』とメッセージが入っていた。


 鍵は所持しているので、タクシーで祖母宅に着いたあとは言葉に甘えて勝手に入らせてもらった。


 一階はレッスン室しかないので、静まりかえっている。


 時刻は二十一時台なので祖母はまだ起きているだろう。


(挨拶だけはしておこう)


 途中、玄関にある鏡に自分の姿が映った。


(……酷い顔色)


 花音の顔は青白く、数時間も経っていないうちに疲れ切っている。


(でも……)


 胸の奥はズキズキと痛み、精神的な疲労で花音の心は「もう嫌だ」と叫んでいた。


 ほんの少し気を緩めれば、滂沱の涙を流し生きるすべての気力を失っていただろう。


 けれど、僅かな希望があるのなら、それに縋ってから絶望しても遅くない。


(最後まで諦めない……!)


 鏡の中の自分を見て唇を引き結び、目に強い光を宿して花音は深呼吸した。


 階段を上がり、二階のリビングダイニングに続くドアを開ける。

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