第33話 見舞い

 秀真はベッドから下りてスリッパに足を入れる。


「歩き回って大丈夫なんですか?」


「もうほぼ回復しているんだ。大丈夫」


 秀真と一緒に病室を出て、二人はスタッフステーションまで行った。


「すみません」


「あら、瀬ノ尾さん、どうかされましたか?」


 ベテラン看護師が顔を上げ、にこやかに応対する。


「お聞きしたいのですが、僕が病室に運ばれてすぐ、家族と秘書以外の人が来なかったでしょうか?」


 尋ねられ、看護師は「少しお待ちくださいね」と言ってステーション内にいるもう一人の看護師に話を聞く。


 と、彼女の声が直接聞こえた。


「若くて綺麗な女性がいらっしゃいましたよ? 婚約者だと仰っていたので、部屋を教えましたけど……」


〝若くて綺麗な女性〟と聞いて、二人が脳裏に浮かべたのは同じ人物だった。


「……もしかして……」


「……多分、そうだ。愛那さんだ」


 秀真は険しい表情になり、ひとまず看護師に「ありがとうございました」と告げて病室に戻る事にした。


「俺のスマホは、指紋認証のモデルを使っているんだ。だから寝ている間に、指でロックを外す事は可能だったかもしれない。そのあと、認証方法などを変えてしまえば向こうのものだ」


「でもそれって、犯罪でしょう? スマホは盗難された訳ですし……」


 花音の言葉に、秀真は頷く。


「秘書が来たら携帯会社に行って解約してもらい、警察に盗難届も出す」


 秀真がすぐ対応すると知り、ひとまず安堵する。


「……彼女が俺のスマホを持っていったなら、花音の電話に無言で対応したのも納得できる。多分、メッセージもすべて見られただろう」


 自分たちのプライベートな会話を見られたと分かって、花音は悪寒を覚えた。


「……愛那さんの親御さんに、結婚を迫られていたのでしょう?」


 春枝から聞いた話を口にすると、秀真は決まり悪そうに頷く。


「黙っていてすまない。俺は花音一筋だし、君の耳に入れるべきじゃないと思った。自分で片付けて、何事もなかったように花音と接しようと思っていたのが、すべての間違いだった」


「終わった事は仕方ありません。今も愛那さんや親御さんは、結婚を迫っているんですか?」


(いざとなれば、私が正面に立ってハッキリ言わないといけないかもしれない。秀真さんがこれだけ頑張ってくれていたなら、それぐらい私も受けて立たないと)


 胸に決意を宿して秀真に尋ねると、彼は固い表情で頷く。


「入院する前は、かなり頻繁に愛那さんや親御さんから連絡があった。食事の誘いなどを断っていたら、うちの会社の顧客情報が漏洩して、その対応に追われるようになった。疑いたくないが、あまりにタイミングが良すぎる」


「……春枝さんは、処分する人も決まったと仰っていました」


「……ああ。総務部にいる社員が、どうやら顧客情報を外に流したらしい。上司に聞いても、お調子者っぽい性格ではあったが、仕事に対する責任感はある人物だと言っていた。普通、何か問題を起こす者は、一貫性がある場合が多い。……それでも、ストレスが堪った挙げ句という事も考えるから、一概には言えないが……」


 秀真は難しい顔で言い、溜め息をつく。


 彼と一緒に考えたいと思うが、社内の事に花音が口出しする訳にいかない。


 だから自分のできる事を……と思った。


「もし、また愛那さんが訪れてくる事があれば、私を呼んでください。きちんと納得してもらえるまで、私が説明します」


 キッパリと言い放った花音を、秀真は驚いて見る。


 だが嬉しそうな、けれど苦しそうな、微妙な顔で首を横に振った。


「俺が断らなきゃいけない事だ。花音に迷惑を掛けられない」


「でも、心配はさせてください。秀真さんは私を選んで、結婚したいって思ってくれているんでしょう?」


 花音は前のめりになり、両手で彼の手を握った。


 自分でもこれほど積極的になれると思わなかったが、知らないところで秀真がズタボロになったのを、これ以上看過できないと思った。


 彼の事を愛しているからこそ、結婚して夫になる人だと思うから、自分も役立ててほしいと強く思ったのだ。


「守られるだけの存在じゃ嫌なんです。私の事を奥さんにしてくれるなら、一緒に戦わせてください」


 かつてピアノから逃げた花音とは思えない、強い意志がそこにあった。


 秀真の事だけはどうしても譲れない、諦められないと思うからこそ、花音は自分でも驚くほどの強さを見せた。


 彼女の言葉を聞き、一瞬言葉を詰まらせた秀真だったが、花音の瞳の奥に宿る凛とした光を見て微笑んだ。


「……ありがとう。必要になったら、応援を頼みたい。それでいい?」


「はい!」


 きちんと自分の事も頼りになる存在として数えてくれると言い、花音は満足して頷いた。






 そのあと、十六時近くまでたわいのない話をして過ごした。


 花音は二十時台の便で帰る予定なので、早めの夕食を食べたら空港に向かうつもりだった。


「一緒に夕飯食べようか」


「そうですね、病院内の食堂なら……」


 言いかけたが、秀真が病衣を脱ぎ始めて「えっ?」と声が漏れる。


「元気になってからは主治医からある程度なら……って外出許可が出ているから、たまにその辺の散歩やコンビニにも行っているんだ」


 病室内にはクローゼットもあり、秀真はそこから適当に服を出す。


 着替えを見てはいけないと思い、花音はとっさに後ろを向いた。


「でも、夕方には病院食が出るんでしょう? 怒られません?」


「大丈夫」


 そのうち「もういいよ」と声がしたので振り向くと、ジーパンを穿き長袖Tシャツを着た彼が立っている。


「秘書さんは? 夕方に来るんでしょう? スマホの事とか伝えないと」


「部屋で待っていてもらうように、書き置きをしておく。そんなに何時間も待たせる訳じゃないから、大丈夫」


 そう言って秀真はメモにサラサラと秘書へのメッセージを書き、「行こうか」と病室を出た。


 スタッフステーション前で、彼は「少し出て来ます」と看護師に告げる。


「あまり遅くなってはいけませんよ」


「はい」


 先ほどのベテラン看護師に言われ、秀真は素直な返事をしたあとにエレベーターのボタンを押した。


 やがて二人はゴンドラに乗り込み、一階まで下りると病院から出る。


「花音、何が食べたい?」


 秀真が聞いてきた時、花音は前方からやってくる人影を見て「あ」と声を漏らした。


 ――愛那だ。

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