第29話 不穏

 翌朝起きれば、秀真から連絡が入っている。


 そう信じて起きたのだが、花音が送ったメッセージに返事はなかった。


 それなのに、既読のマークはついている。


(どういう事?)


 花音は唇を噛み、直接電話してしまうおうか悩んだ。


 時刻はまだ七時台で、昨日接待で酒を飲んだのならまだ寝ているかもしれない。


(九時になったら、電話を掛けてみよう)


 落ち着かないので朝食をとったあと、花音は散歩に出てひたすら歩いた。


 十月下旬にもなると、札幌は寒い。


 スニーカーを履いた足を動かし、花音は一心不乱に歩く。


(大丈夫。絶対に大丈夫)


 家まで戻る頃には体は温まり、フゥフゥと呼吸を荒くして帰宅した。


 汗を掻いたのでシャワーを浴び、いざ……と時計を見ると九時半だ。


 気持ちを落ち着かせるために水を一杯飲み、スマホを手に取り、秀真の番号をタップする。


 コール音が鳴り、花音は知らずと緊張して応答を待つ。


 だがいつもなら数回で出る秀真なのに、いつまで経っても繋がらない。


(土曜日の朝九時半なのに、手を離せない用事があるの?)


 そう思った時、コール音が止んで電話が通じた。


「もしもし、秀真さん?」


 呼びかけたが、秀真から返事はない。


 電話の向こうは無言で、人が話す気配すらない。


 切れてしまったのかとスマホを確認したが、液晶には〝通話中〟が表示されている。


「秀真さん? 花音です」


 また呼びかけたが、やはり返事はない。


 けれど明らかに電話が繋がっていると分かったのは、遠くから車の走行音や近くで何か物を動かす音が聞こえたからだ。


「秀真さん!?」


 電話が通じたのに無視されていると気づき、花音は焦って声を出す。


「お願いします! 何か返事をしてください! 何か私が粗相をして、怒らせてしまったのならごめんなさい! だから何か言ってください!」


 必死に問いかけた時、――プツッと電話が切れた。


「秀真さん!」


 呆然としたあと、なりふり構わず花音はもう一度彼に電話を掛けた。


 だが今度はどれだけ経っても、秀真は電話に出てくれない。


 何度目かの電話を掛けた時、急に『お客様のお掛けになった電話番号は……』と音声ガイダンスが流れ始めた。


(……着信拒否された?)


 ざ……、と全身の血が引いた音が聞こえた気がした。


 知らずと、スマホを持った手がゆっくり膝の上に落ちる。


「……私、何かしたっけ……」


 呟いても、思い当たる事は何もない。


 秀真はとても温厚な人で、今まで怒られた事もないし、喧嘩もしていない。


 花音に対して嫌な事も言わないし、店の人など他者に対しても丁寧だ。


 彼が誰かに腹を立てる姿は、想像する事すらできなかった。


 心当たりがあるとすれば、彼に求められて元彼の話をしていた時に、ほんの少しだけ嫉妬した様子を見せた事だけだ。


 けれど大人の対応を見せ、「過去の事でもう会っていない人だし、今は俺が彼氏だから問題ない」と言ってくれたはずだった。


(その他に……、何かあったっけ……?)


 考えても、考えても分からない。


 電話が繋がらないのも、音声ガイダンスが流れたのも、何かの手違いでは、という可能性を考えた。


 きっと彼はいま移動中で、電波の届かない場所に行ってしまったのかもしれない。


(でも……)


 花音から電話が来ていると分かったなら、きちんと対応してくれるはずだ。


 しばらく呆けてから、花音はノロノロとスマホを開いた。


 電話帳から探し出したのは、秀真の祖母の春枝の名前だ。


 彼女とも、時々連絡している。


 春枝は直接洋子と連絡しているので、祖母について聞くために、花音と話をする必要はあまりない。


 けれど春枝には、秀真が嫁にしたいと言った相手として、常に気に掛けてもらっていた。


 秀真との連絡頻度が落ちた一方で、春枝からは安定して二週に一回ほど連絡がある。


 何気ないやり取りだが、お互い札幌と東京で、季節の移り変わりや体調を気遣う言葉を交わしていた。


『秀真との事で何か困ったら、いつでも連絡をちょうだい』


 いつだったか、春枝がメッセージをよこしてくれたのを思い出す。


(ご好意に甘える時なんだろうか……)


 もうどうしたらいいか分からず、花音は泣き出してしまいそうなのを必死に堪えている状態だった。


 それを「大人だから」と懸命に押しとどめている。


(秀真さんの言う通り、一人で悩んでいても何も解決しないもの。助言を借りるぐらい……)


 自分に言い訳をし、花音は春枝の番号をタップした。


 少しの間コール音が鳴り、そのあと『はい、花音さん?』と春枝の声が聞こえた。


 先ほどまで秀真に強烈な無視をされたからか、ドッと安堵が押し寄せて涙がこみ上げてしまった。


「…………っ、春枝、さん……っ」


 思わず声を詰まらせてしまったのを聞き、春枝は電話の向こうですぐに何かを察知したようだった。


『花音さん、落ち着いてからでいいから、順番にゆっくり話してごらんなさい』


 慈愛の籠もった声を聞き、花音は声を殺して嗚咽しながら、コクコクと頷く。


 少しのあいだ嗚咽を堪え、近くにあったティッシュで涙を拭いてから、花音は事の経緯を語り始めた。


『そう……。ひとまず、秀真が心配させてごめんなさい。私から謝るわ』


「いいえ……。私が一人で騒いでいるだけですので」


 今まで一人でモヤモヤとした気持ちを抱えていたからか、春枝にすべてを話すとスッキリし、幾分落ち着いてきた。


『結論から言うとね、十月の上旬ぐらいにあまり良くない話があったの』


 そう言われ、ドキッと胸が嫌な音を立てた。

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