第28話 連絡のつかない彼

 花音が札幌に帰ったあとも、特に大きく何かが変わったでもなく、彼女と秀真は遠距離恋愛を続けていた。


 そして年末に、花音はまた東京に行く計画を立てていた。


 二十七日からの仕事納めを利用し、金曜日のクリスマスイブから東京に行けば、週末から年末年始を秀真と過ごせる。


 彼も「温泉旅行に行こうか」と誘ってくれ、今から楽しみにしていた。


 シルバーウィークが終わって十月に入っても、秀真とはこまやかに連絡を交わし続ける。


 十月頭にも彼が札幌に来てくれ、二人の交際は順調に思えていた。


 が、花音が異変を感じたのは、十月の下旬頃になってからだった。


(そう言えば、最近秀真さんからの連絡が少ない気がする……?)


 改めて感じたのは、自宅で風呂に入ったあとストレッチしていた時だ。


 以前ならこの時間帯に、秀真と電話で何気ない会話をしていた。


 それが最近、少なくなったのでは……と、急に思ったのだ。


 秀真は忙しい人なのは分かっている。彼から連絡があると嬉しいが、なくて不安になりせっつくのは絶対にやめておこうと思っていた。


 恋をして相手からの連絡が待ち遠しくなる気持ちは、痛いほど分かる。


 通勤時間や会社の昼休みになると、ついつい秀真から連絡が入っていないかスマホを気にしてしまう。


 友達が「彼氏に既読スルーされた」と悲しんでいる気持ちは分かるし、花音だって送ったメッセージに既読がついていないのを見ると、多少ガッカリする。


 だが付き合うに至って、最初から「お互い無理のない範囲で連絡する」と決めたのは、今でもしっかり覚えている。


 だから意識的に、秀真から連絡がないとか、遅いとかは考えないようにしていた。


 ただ現状、そんな花音でさえ連絡が少ないと思ってしまうほど、秀真からの電話やメッセージが減っている。


「どうしたのかな……」


 メッセージアプリを立ち上げ、前回の連絡を見てみる。


 その日は十月二十二日だったが、最後に返事があったのは、日曜日の十七日だ。


 それ以降は、花音が送る朝晩の挨拶や「今日こんな事がありました」という報告、定例になっている食事の報告に既読がついただけだ。


 以前なら特に用事のない日や、電話のない日があっても、「おはよう」と「おやすみ」の連絡は毎日欠かさずあった。


(朝と夜の挨拶がなかったからって、わざわざその事を話題にしたくない。きっと仕事が忙しいんだろうし……)


 それでも秀真は、繁忙期や海外出張になると、「仕事が忙しいから、少し連絡が滞るかも」と一言くれた。


 そのあと「やっと仕事が片付いた」とか、「海外出張から戻ったよ」と連絡をくれるのだ。


 だから花音も、今まで安心していられた。


(こんな事でいちいち連絡していたら、『しつこい』とか思われるのかな。負担はかけたくない。でも……)


 いつの間にか花音はストレッチをやめ、床の上に座り込んで思考に没頭していた。


 その時、秀真と出会った頃、彼にピアノの事を相談したのを思いだした。


『迷うぐらいなら、話してみたらどうかな? 一人で悩むより二人で考えた方が解決する事もあるかもしれない』


「そうだ、秀真さんならそう言ってくれるはず」


 彼自身の言葉に勇気をもらい、花音はメッセージを打つ。


『秀真さん、こんばんは。いま電話しても大丈夫ですか?』


 思い切って連絡をしたものの、メッセージに既読のマークはつかない。


 金曜日なので、接待に行っている可能性も高い。


(すぐ返事があるとは期待しない方がいいんだろうな)


 自分に言い聞かせ、その日はなるべく考えすぎず、気持ちを落ち着かせて寝るよう心がけた。


(きっと寝る前になったら、メッセージに気付いてくれるはず)


 明日の朝、起きたらきっと秀真から返事がある。


 自分に言い聞かせ、その日はもう寝てしまう事にした。





 秀真は幸せな夢を見ていた。


 自分と花音が札幌か東京か、どちらか分からないが、どこかで幸せなデートをしている夢だ。


 都会であくせく働き、人の汚い部分を見てしまうのにも慣れてしまっていると、彼女の心の清らかさが際立って見える。


 花音といると、自分が浄化される心地になった。


 両親に花音の写真を見せ、洋子の孫だという話をし、「結婚したいと思っている」と話した時、母は良くも悪くも素直に「普通のお嬢さんね」と第一声に言った。


 けれどそのあと、「素直で純粋そう。繊細さも感じられるけれど、その奥にどっしりとしたたくましさも感じられる」とも言った。


 母は都会的な女性で、社長をしている父を支えながら会社で重役のポストに就いている。


 しっかり者で意見をハッキリ言うので、人によっては「きつい」という印象を与えかねないが、秀真は公平な人だと思っている。


 相手に媚びを売らない分、自分の事も偽らないのだ。


 父はそんな母を受け入れる度量のある、温厚な人だ。そして秀真もどちらかというと、父の気質を受け継いだと思っている。


 両親にも花音の事を話し、「気が済むまで二人の時間を過ごしたら、挨拶に連れてきなさい」と言われていた。


 年末には花音がまた東京に来てくれると言っていたし、クリスマスにプロポーズするつもりで、今からオーダーメイドの婚約指輪を注文していた。


 混雑するのを見越して、プロポーズをするレストランももう予約してある。


 今まで女性と付き合って、結婚を匂わされても何とも反応していなかったが、花音との結婚ならワクワクして考えられる。


 彼女のウエディングドレス姿を想像するだけで、どれだけ幸せな気持ちになるだろう。


 図々しくも、挙式の時に洋子に何か弾いてもらえたら……など考えてしまう。


 花が綻ぶような花音の笑顔を思い出し、眠っている秀真は微笑んだ。


 だが夢は予告もなく終わりを告げ、彼の意識がフ……と現実に戻った。


「……あぁ……」


 目を開けると、無味乾燥な天井が視界に入る。


 少し視線を動かすと、ホテルにも似た病室が目視された。


(……早く退院しないと)


 秀真は数日前に倒れ、医者に過労だと言われて数日間入院する事になっていた。


 その前からとある事情で多忙だったのだが、連日ほぼ眠らず、食べずに仕事に対応していたからか、体に障ってしまった。


 花音には最低限「おはよう」と「おやすみ」ぐらい言いたかったのだが、それも叶わない。


 事情を説明しようにも、仕事関係だとどこまで話せばいいか分からず、説明に困っているうちにどんどん忙しくなってしまった。


 彼女が自分に心配を掛けないように、いつも通りに振る舞ってくれていたのも分かっていた。


 そのうちスマホのメッセージアプリを確認する暇もなくなってしまい、赤いバッヂがどんどん堪っていく。


 きちんと説明しないとと思うのに、秀真の時間を奪うようにとある人物がやって来ては応対を求める。


 ――こんな事をしている場合じゃないのに。


 ――花音に事情を話して謝って、また彼女に会える日々を取り戻したいのに。


 そう思っているうちに秀真の体は限界を迎え、ある日バタンと倒れてしまった。


 小さい頃から家族ぐるみで世話になっている医者にしこたま怒られ、強制的に入院になってしまった。


 医者いわく、『一人で頑張らなくても優秀な部下がいるだろう』らしい。


 確かに……と思い、今は湖の底の朽ちた木のように、黙って横になるしかなかった。


 医者に言われた秘書に、仕事用のスマホとタブレット、ノートパソコンを取り上げられた。


 入院二日目の夕方に、私用スマホを確認しようと思ったのだが、どうも見つからない。


 そのあとも眠ったり起きたりを繰り返し、ようやく普通に過ごせるようになって花音に連絡しようと思った。


 が、おかしな事に秀真の私用スマホは見つからないままだった。

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