第27話 闇の中

 室内は薄暗く、暖色の照明に照らされていて落ち着きがある。


 掘りごたつに座った視線の先には、床の間のようになった空間に生けられた花があった。


 楚々と咲いている竜胆を見ると、東京ではまだ暑さが感じられても今はもう暦では秋なのだと思い知る。


 ――と、秀真が話を切り出してきた。


「さっきは嫌な思いをしただろう? 悪かった」


「いいえ。……ただきっと、愛那さんは秀真さんの事が好きなんだろうな、と思いました。ポッと出の私が側にいたのが、気に食わないのだろうな、と」


「花音は気にしなくていい。俺が好きなのは花音なんだから」


「……はい」


 そのあと、有田焼の器に先付が出され、二種類のウニの食べ比べ、お造りの盛り合わせなどが出される。


 どれも美味しくて舌がとろけるほどなのに、花音はずっと愛那の事ばかり考えていた。


 コースの最後に寿司六貫と季節の果物――シャインマスカットとピオーネを食べたあと、秀真が溜め息交じりに笑った。


「気になってそうだから話すけど、愛那さんとは本当に何もないんだ。取引先のお嬢さんという事で、確かに父から紹介された機会はあった。でも縁談でも何でもなくて、父の知人であり取引先の……という体だった」


 秀真が愛那について話し始め、花音は気にさせてしまう顔をしていたのかと反省する。


「すみません、私……」


「いや、いいんだ。さっき中途半端にしてしまったのは、俺にも責任があるし。あんな形でチクッとした事を言われて、気にしないという方が無理だろう」


 理解を示してくれた秀真に花音は礼を言う。


「そのあと、愛那さんと約束を取り付けて会った事はなかった。けど、趣味が似ていたからか、都内の演奏会を聴きに行った時、偶然会うという事が何回かあったんだ。その帰り、せっかくだから……と食事には何度か行った。誓ってそれだけで、愛那さんに告白されてもいないし、親から結婚の話も聞いていない」


「……分かりました。ありがとうございます」


 愛那とは本当に何もないと説明され、花音は安堵する。


(じゃあ、愛那さんの片思いなのかな。秀真さんはこんなに素敵な人だし、惹かれるのは分かる)


 同意しながらも、花音は「絶対に渡したくない」と愛那に対抗意識を燃やしていた。


「まぁ、今後も愛那さんと何かが……というのはあり得ないから、安心して」


「はい」


 落ち着いたところで店を出て、帰りに翌日の朝食やスイーツになる物を買ってマンションに戻った。


 風呂に入ったあとはまた秀真といちゃつき、翌日月曜日は札幌に戻る日だが、午前中一杯はマンションで秀真とのんびり過ごす。


 午後の飛行機に合わせて彼はまた羽田空港まで送ってくれ、家族や友人、会社の人に土産を買うのに付き合ってくれた。


 そして時間が迫り、秀真は保安検査場の前でギュッと抱き締めてくる。


「また会いに行くから」


「待ってます。私も、連絡しますね」


 固く約束してから、花音は飛行機に乗る。


 フライト時間になって飛行機が離陸し、眼下に東京のビル群が目に入ると、あそこに自分がいたのが嘘のように思えた。


(またね、秀真さん)


 心の中で呟き、無事に新千歳空港に着いたら彼に連絡をしようと思い、目を閉じた。






 その男――金田かなだまさるは、とある会社の総務部で働いていた。


 家族経営のその会社は全国的に名を轟かせ、就職するにはいい環境だった。


 大企業なだけあり、仕事はハードだが給料もあり、仕事環境も悪くない。


 合コンで勤めている会社の名刺を出せば、大抵の女性は「すごーい」と言って金田を羨望の目で見てきた。


 そのお陰で、今まで何度もいい思いをしてきた。


 だが金田自身に惹かれる女性は少なく、ワンナイトラブの関係はあっても、なかなか結婚には至らなかった。


 金田はキャバクラに通い、女性からリップサービスを受けて自己肯定感を高めていた。


 キャバクラの女性に甘えてあわよくば……と考えつつも、「自分はこんな場所で終わる訳がない」という思いも抱いていた。


(俺は顔だって悪くないし、仕事だってできる。なのにどうしてパッとしない同僚が先に結婚して、可愛い奥さんの写真を見せてくるんだ!)


 それは明らかな嫉妬なのだが、自分に実力があり、魅力があると信じて疑わない金田は「あんな奴が結婚できたのにどうして……」と日々イライラしていた。


 おまけに勤めている会社の副社長は、経営者一族のボンボンでイケメンだ。


 女性社員からも人気が高く、同僚が副社長の話をしているのを聞くだけで胸くそ悪い。


(いい家に生まれた奴はいいよな。人生ガチャの勝者だ)


 自分の親が聞けば嘆くような事を考えていると、荒みきった金田は気付いていない。


 そんなある日、金田は目も眩むような美女と出会ったのだ。


 たまには気分を変えてバーで水割りを飲んでいた時、隣のスツールに美女が座ってきた。


 座り姿から、横顔から、金田の知っているすべての女性と一線を画した存在だった。


 ストレートのロングヘアはサラサラと肩を滑り、睫毛は長くクルンと天を向いている。



 彼女を呆けて見ていたからか、目が合い会釈をされた。


 その微笑みは女神のようで、大きな瞳の細め方も、唇の間から見えた歯列の白さも、何もかも完璧だった。


(この女を手に入れたい)


 今まで感じた事のない欲望が沸き起こり、金田は必死になって女性に話し掛けた。


「あの、僕はこういう者です」


「あら、ご親切にありがとうございます」


 女性は金田の名刺を受け取り、「凄い企業にお勤めですね」と微笑んだ。


(掴みはいい。話し掛けまくって、もっと好感度を上げなければ)


 そのあと金田はがっつかず、けれど持つ限りのモテテクを発揮して女性に話題を振り、興味を引く話を掴んだ。


 会話の途中で冗談を交えると、女性は聞いていて心地いい声で笑ってくれる。


「本当に面白い方ですね」


 涙を拭う仕草すら見せる女性は、金田に完全に心を開いているように見えた。


 話をするのに夢中になり、気が付けば時刻は深夜になろうとし、バーの客も帰り始めている。


「私、そろそろ帰らないと」


 女性がスツールから下りたので、金田も慌ててそのあとを追った。


「僕が支払いますよ」


 会計の時に格好付けて彼女の分もカードで支払うと、女性は「ありがとうございます。ご馳走様でした」と丁寧に頭を下げた。


 店の外に出たあと、九月も終わろうとする涼しい外気が頬をかする。


「僕はもっとあなたと一緒にいたいんです」


 彼女の手を握ると、女性ははにかんで頷いてくれた。


 金田はすぐにタクシーを拾い、近くにあるホテルに向かう。


(万事上手くいくぞ! こんな上玉とヤれるなら、これからの運気は上がってくに決まってる!)


 酔っ払ってか、訳の分からない理屈で金田は奮い立ち、彼女を伴ってホテルの一室に入った。


 彼女は清楚で品のある印象とは裏腹に、金田が思っていた以上の反応を見せてくれた。


 忘れられない夜を過ごしたが、女性は一泊する事なく「帰らなきゃ」と言う。


(……なんだ、やっぱりワンナイトラブなのか)


 そう思っていたのだが、女性は思わぬ提案をしてきた。


「これ、私の連絡先です。もし良かったらまたお会いできませんか?」


「喜んで!」


 かくして、金田は麗しい女性との付き合いを始めた。


 付き合いをと言っても、彼女から好きだと言われた訳ではない。


 だが仕事が終わったあとに時々会って飲み、週末はホテルに行くデートを繰り返す。


 美しくて、自分の話に絶妙な相槌を打ってくれ、欲しい反応をくれる彼女に、金田はどんどんのめり込んでいった。


 金田は大企業に勤めているので、貯金はそこそこある。


 将来のためにと思っていたそれを切り崩し、金田は彼女にジュエリーなどを貢ぎ始めた。


「嬉しい、どうもありがとう」


 華奢な首元で輝く宝石は、彼女のために売られていたと言っても過言ではないと金田は想った。


 彼女とは、沢山の話をした。


 金田の仕事の愚痴を聞いてくれ、ときたまアドバイスまでしてくれる。


 女性の言う通りにすれば、万事上手くいった。


 彼女とデートしていた時に、「あのご老人、困ってそうですね」と言われ、格好付けようと思って老人を助けたら、あとから数万円の謝礼をもらった事もあった。


 身も心も女性に満たされ、金田は彼女に心酔していた。


 ――あぁ、彼女は俺の運命の女神なんだ。


 ――彼女の言う通りにすれば、何でも上手くいく。


 ――ここから俺の人生は、大きく変わっていくぞ。




 そう信じ込んだ金田は、彼女に〝ある頼み事〟をされても、疑いもせず実行してしまった。

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