第26話 嫌な女
「何か……、照れますね。本当にデートみたい」
「ん? 今までデートって思ってなかった?」
「いえ、そうじゃなくて」
照れ笑いを浮かべてごまかし、花音はポツリポツリと話し始める。
「私、以前にも言いましたけど、学生時代は音楽一本でした。周りは女友達ばかりで、元彼と出会ったのも合コンです。なので他の女性ほど、男性に慣れていないっていう自覚がありました」
片側には東京湾が見渡せ、反対側にはレインボーブリッジの七色の光が見えた。
「元彼の事も、好きで堪らないっていう程じゃなかったんです。けど秀真さんの事は、一目見て『素敵な人だな』って思いました。……そういう、外見だけ見て好きになるとかを、秀真さんは好まないっていうのは分かっていますが」
花音の言葉に、秀真は緩く首を左右に振る。
「この年齢になるまでほぼ男性とご縁がなくて、たまに『このままずっと一人なのかな?』って焦っていました。デートも人並みにした事がなくて、同年代の女性より自分が劣っているように感じていました」
秀真は正面で「そんな事はない」という表情をしていて、花音も彼に苦笑いしつつ頷いてみせる。
「秀真さんとお付き合いするようになってからも、『本当にこれは現実なのかな?』って何回も思いました。……でもきっと、本当の幸せってこういう風に、『信じられない』って最初は思いながら、徐々に実感していくものなんだと思います」
「俺もそう思うよ。こんなに可愛い彼女ができたのが、いまだに実感できないでいる。まだ遠距離恋愛だから、東京で一人で過ごしている時は『あの幸せな時間は、夢なんじゃないかな』って思ってしまう」
秀真は、向かいの席から花音の隣に座り直し、言う。
「そんな……。私は、……ちゃんと、秀真さんの彼女です!」
彼の手を思わず握り、花音は訴えかけた。
「俺もそう思ってるよ。遠距離って常に側にいられない分、お互いを信じる気持ちが必要だと思う。……そのうち一緒に暮らせるまで、お互い不安だろうけど信じ合おう」
「…………はい!」
秀真も同じ気持ちだったのだと知り、花音は「私だけ」と思っていた気持ちを恥じる。
彼は花音の手を握り返したまま、しばらく眼下に広がる夜景を眺めていた。
「……ホント、初めてだよ。こんな風に自分でデートプランを練って、花音が来るのを今か今かと待ち侘びていたのも、観覧車に乗ろうって思ったのも」
しみじみと言われ、花音は頬を赤らめて俯く。
「梨理さんが引き合わせてくれた運命だと思おう。花音が時を戻ったのは、俺と結ばれるためなんだ。…………なんて、キザっぽいけど」
最後は少し冗談めかして言う秀真の言葉に、花音は幸せに笑った。
「そう思うようにしたいです!」
ギュッと秀真の腕に抱きつき、花音は「綺麗ですね」と夜景を見てうっとりと溜め息をついた。
その後、品川にある完全個室の料理店に向かった時、秀真の名を呼ぶ者がいた。
「秀真さん?」
駅前ビルに入ろうとした時、雑踏の中で女性の声がする。
思わず足を止めた秀真につられ、花音も彼と手を繋いだまま立ち止まった。
「
秀真が女性の名前を口にし、花音はドキッとする。
視線の先には、洗練された品のいい女性が立っていた。
愛那と呼ばれた女性は、黒字に花柄がプリントされたワンピースをエレガントに着こなしている。
まだ残暑が感じられる時期なのに、ロングヘアを下ろし、ハイヒールを履いた立ち姿は暑さや疲れなどをまったく見せず、涼やかだ。
(お嬢様っぽいな)
花音は彼女の姿を見た途端、無意識に劣等感を覚えてしまう。
パンプスにスカート姿とはいえ、動きやすい格好をしている自分と愛那とでは、天と地の差が感じられる。
(お知り合いなのかな?)
そう思った時、愛那が同じ事を口にした。
「秀真さん、その女性はお友達?」
手を繋いで歩いているというのに、わざわざ「お友達?」と尋ねてきた時点で、彼女が自分に良い感情を抱いていないのが分かった。
「愛那さん、突然ですね。花音、この女性は
秀真が愛那の態度をやんわりと制した事に、花音は安堵を覚える。
それから改めて愛那の説明をされ、秀真の世界にいそうな女性だと思った。
「あら、すみません。見た事のない可愛らしい方とご一緒だったので、どなたかしら? って焦ってしまったのです」
愛那は動揺すら見せず、にっこり笑って言いつくろう。
「こちらは美樹花音さん。現在、札幌にお住まいの海江田洋子さんの、お孫さんです」
「まぁ……! あの海江田洋子さんの? 花音さんもピアニストなんですか?」
愛那の邪気のない言葉が、チクンと花音の劣等感を刺激する。
「いえ……。私はピアニストではありません。普通の会社員です」
「そうなんですね。海江田洋子さんの娘さんもピアニストと窺ったので、つい……」
「…………」
花音は何も言えず、苦笑いをして誤魔化す。
「僕と花音さんは、現在遠距離恋愛をしています。いずれ結婚したいと思っている仲です」
「そうなんですね」
秀真がハッキリ言ったからか、微笑んだ愛那の目からスッと温度が下がった気がした。
細められた目は笑っているように見えるのに、能面のような恐ろしさがあり、花音は背筋を震わせる。
「それで、連休を利用して花音さんが東京にいらしたんですね?」
「はい」
愛那に言われ、花音は頷く。
「秀真さんと一緒にいると、時が過ぎるのが速く感じますよね。連休もあっという間に終わってしまいますが、どうぞ東京を満喫してくださいね。それでは」
愛那は上品に頭を下げ、立ち去ってゆく。
(何気ない言葉の中に、沢山トゲのある人だったな……)
つい、「東京のお金持ちって皆こうなのかな」など、偏った事を考えてしまう。
「花音、とりあえず予約があるから店に入ろう」
「はい」
気を取り直してビル内に入り、二人は懐石料理店の個室に通された。
コース料理はあらかじめ秀真が寿司懐石を注文していたようで、好き嫌いやアレルギーがないか確認したあと、飲み物を頼んだ。
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