第23話 東京へ

 付き合ってほしいと言われて承諾したばかりなので驚いてしまい、彼女は顔を上げてまじまじと秀真を見つめた。


「ほ、本気ですか? まだ一か月も付き合っていませんよ?」


「本気だよ? 花音には他の人に感じなかった感覚を得ている」


「……というと……」


「……とても直感的で、……よく、『ビビッときた』っていうのがあるだろ。アレだから、花音を納得させるには足りないかもだけど」


「ふふ……っ、確かに感覚的ですね」


 それでも自分などに、運命的なものを感じたと言ってもらえるのはありがたい。


「梨理さんのピアノを弾いたお陰でこうしていられるのなら、きっと出会うべき運命だったと思うんだ」


 秀真は花音の髪を撫で、顔に掛かった黒髪をサラリと耳にかける。


「花音は、俺の事をどう思う?」


 甘い声で囁かれ、花音の腰の辺りがゾクッと震えた。


「……秀真さんの事は好き……」


「結婚できる?」


 その問いに、花音は小さく頷いた。


「まだ、出会ったばかりで分からない事が多いけれど、きっと。……でも、その前に一緒に時間を過ごして、もっと仲を深めたいです」


「……ん、そうだな」


 秀真は花音を抱き締め、しばらくしてからさらに尋ねる。


「結婚したとして、札幌を出て東京に来られる?」


「…………」


 秀真が結婚と言い出す前から、二人の未来を想像した時には、いずれそうしなければいけないとは感じていた。


「会社の重役をしている秀真さんに、仕事を捨てろなんて言えません。音大に通っていた時は東京で一人暮らししてしましたし、大丈夫です」


「分かった、ありがとう。今住んでいる街から引っ越しても、俺が絶対に守るから」


 背中をさすられ、トントンと軽く叩かれると気持ちが落ち着いてゆく。


「……はい」





 その日、秀真はホテルに宿を取っているというのに、結局そのまま宮の森の家に二人で泊まってしまった。


 夜は近くにあるフレンチレストランまで行き、極上のコース料理をご馳走してもらった。


 帰りに円山にある商業施設に寄り、秀真が花音の着替えや寝間着を買ってくれた。


 コンビニで一泊分のスキンケア用品なども買って万全の準備をしたあと、花音は初めて秀真と一夜を共にした。





 その後、秀真はまた東京に戻り、また遠距離恋愛が始まる。


 毎日何気ない事でもメッセージをくれるので、秀真が今日はこんな事をして、何を食べたと知れて安心できた。


 あまり連絡が多いと煩わしくないかと最初は心配していた。


 だが秀真も同じ心配をしてくれていたようで、話し合いの結果「遠距離で会えない分心配になるのは当たり前。連絡がもらえるのは嬉しいから、何かあったら些細な事でも報告していこう」という流れになった。


 勿論お互い仕事があるし、花音は秀真が多忙な人だと分かっている。


 だから連絡をしても即の返事は期待せず、タイミングのいい時と割り切っていれば、気持ちが急いて疲れる事もなかった。


 毎週彼が札幌に来てくれる訳ではないが、飛行機代が掛かるし当然だ。


 七月、八月は何事もなく平穏に過ぎ、九月のシルバーウィークの時、花音は自分が東京に向かう計画を立てていた。


 金曜日に終業したあと、一度家に帰って纏めていた荷物を持ち、まっすぐ空港に向かう。


 夜に羽田空港に着いたあとは、本来ならホテルに泊まろうと思っていたのだけれど、秀真が「うちに泊まればいい」と言ってくれたので、好意に甘える事にした。





 シルバーウィークになるのを今か今かと待ち侘びて、とうとうその日が来た。


 不思議な出来事があった六月からもう三か月が経ち、あれほど考えていたピアノの事も頭から抜け、花音は普通に生活をしていた。


 今は秀真との未来で頭が一杯で、特にこの三連休は彼としたい事が沢山あり楽しみで仕方がなかった。


 JRに乗って新千歳空港まで向かうと、花音と同じように連休を利用して旅行に出掛ける人たちでごったがえしていた。


 目的の航空会社のカウンターまで行き、スーツケースを預けたあとは、空港内でお土産になる菓子などを買い、早めに保安を通った。


 やがて搭乗時間になり、花音はドキドキして飛行機に乗り込んだ。


 スマホを機内モードにし、席に置いてあったイヤフォンで思い切ってクラシックチャンネルを聴いてみた。


 秀真のピアノを聴いてから、何度かクラシックを聴いてみようと試みた事があった。


 彼の音色はやはり特別らしく、途中で苦しくなる事もあった。


 しかし前ほどの拒絶感はなく、花音は自分が少しずつ前向きになれていると自覚した。


 飛行機は離陸態勢に入り、滑走路を進んで体に後ろ向きに負荷がかかる。


 車輪と地面が擦れる振動がなくなったかと思うと、機体がフワッと浮き上がり、グングンと上昇していった。


 本来なら新千歳空港付近にある畑などが見られただろうが、時間が遅いので外は真っ暗だ。


 地上の光もそのうち遠くなり、機体が安定した頃になって花音は持ってきていた文庫本を開いた。





 約一時間四十分のフライトを経て、飛行機は羽田空港に降り立った。


 着いたのは二十二時近くになり、花音はやや疲れを覚えながらもスーツケースを引き取り、秀真を探して歩く。


 到着は第二ターミナル一階で、そこに着けば秀真が待ってくれているという話だ。


 機内モードを戻し、秀真に電話を掛ける。


 やや少しのコール音のあと、『もしもし』と彼の声がした。


「あ、秀真さん? いま羽田に着いたんですが……」


『ちょっと待って。待ってたんだけど、探してみる』


「ベージュっぽいカーディガンに、グレーのワンピースを着ています。スニーカーで、スーツケースの色は赤です」


 彼が探しやすいように自分の服装を教えていると、『あっ、いた』と秀真が言い、通話が切れた。


「花音!」


 声を掛けられ振り向くと、Tシャツジーパン姿の秀真がこちらに駆けよってくるところだ。

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