第7話 祖母とまた
「お祖母ちゃん」
「花音」
祖母が入院している部屋は二人部屋だ。
病院側が祖母に気を利かせたのか、タイミングなのか隣のベッドはなかった。
「急にどうしたの? 仕事は?」
「仕事は終わった。……たまに顔を見ないとって思って」
これまで正月と盆以外は避けてきたのに、何を今さら……と自分でも思うが、他に言いようがなかった。
「急になぁに? おねだりでもあるのかしら」
祖母は特に具合は悪くないようで、いつもと変わらず柔和な笑顔を見せている。
六年前の事も祖母からは気に掛けていないという様子を貫き、それが今はありがたかった。
「デパ地下で大福を買ってきたよ」
「ありがと。ここのお餅、柔らかくて餡子も上品な甘さで好きなのよねぇ」
プラスチックのパックには、期間限定で売っている特濃草大福と、花音用の胡桃大福が入っていた。椅子を引いてベッド脇に座った花音は、まじまじと祖母を見る。
「どうしたの?」
いつもと変わらない祖母が、あと少しで棺の中に入るなど信じられない。
急に涙がこみ上げ、花音は祖母の手を握った。
「花音?」
尋ねられても、花音は何も言えずポロポロと涙を零すしかできなかった。
「どうしたの?」
「……何でもないの。……思いだし泣き」
祖母を心配させてはいけないと思い、花音は涙を拭う。
そして大福の入ったパックを開くと、粉を払って「食べよう」と微笑みかけた。
一緒に買ってきたお茶のペットボトルをお供に、しばし二人は無言になって口を動かす。
柔らかくよく伸びる餅と、程よい甘さの餡子、胡桃のコリコリとした食感に癒やされているうちに、気持ちが落ち着いてくる。
まずは、これまでの態度を謝らないとと思った。
ずっと避けて逃げていたけれど、祖母が亡くなる前にきちんと伝えるべきだ。
「……今まで態度が悪くてごめん」
その言葉を聞き、祖母は大福の最後の一口をきちんと噛んで嚥下したあと、笑い混じりに頷いた。
「私もごめんなさい。ずっと謝りたかったけれど、タイミングを逃し続けていたわ」
やはり祖母も、手紙に書いてあった通り、ずっと後悔していたのだ。
「私はあなたの祖母である前に、今までずっとピアニスト、教師でありつづけたわ。それを優先させて、花音が一番つらいときに寄り添ってあげられなかった。あなたが事故にあった時、どれだけ絶望したのかピアニストなら分かっているはずなのに、それよりも自分の感情を優先させてしまった。……祖母失格だわ」
洋子は溜め息混じりに微笑み、言葉を続ける。
「あなたの才能は本物よ。『この子なら私より遙か上をいくかもしれない』そう思ったからこそ、私も奏恵も期待してしまった。けれど自分たちが当たり前にピアノと共に過ごしていたからといって、私たちはその感覚を花音にも押しつけてしまった。学校の勉強や行事よりピアノを優先させて当然、友達と遊ぶ時間よりピアノ。普通の人と違った感覚のまま、あなたを育ててしまった」
一つ息をつき、祖母は悲しげに呟いた。
「花音が挫折する日がくるなんて思っていなかったの。必ずあなたは成功すると思っていた。……けれどあなたは私の心ない一言で心を折ってしまい、人生を変えてしまった。私さえあの時もっと励ましていれば、リハビリをして今もピアノを弾いていたかもしれないのに……」
花音は両手でペットボトルを持ち、手持ち無沙汰にそれをいじる。
やがて溜め息と共に首を横に振った。
「これは、私が選んだ道だもん。あの時どうしてもピアノを続けたいと思っているなら、リハビリをして引き続ける道を選んだよ。すべて、私の弱さが招いた事なの。確かに色々、自分の環境を『きついな』って思ってしまった事はあったけれど、結局いつでも選択権は自分にあったんだよ。空斗だってピアノを弾かない道を自分で選んだ。……私だって、選べたはずだったの」
口に出して初めて、花音は自分の本音を自覚した。
そうだ。自分自身で選択してピアノと別れた。
それを誰かのせいにするのは違う。
「話せてよかった。ずっとこのまますれ違ったままっていうのは、悲しいから」
「そうね」
微笑み合ったあと、花音はペットボトルを持った指を動かす。
(私は確かに、お祖母ちゃんの家で『別れの曲』を弾いた)
あの時の感情、鍵盤の感覚は確かに現実だった。
六年ぶりにピアノに触った生々しい緊張感だって、いまだハッキリと覚えている。
(お祖母ちゃんとは和解できた。次はあのピアノや梨理さんについて聞かないと)
しかし突然「あのピアノを使って時戻りをしました」など言う勇気はない。
ひとまず梨理の事を尋ねる事にした。
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