第4話 不思議なピアノの話

『私はよく、亡くなった娘――梨理りりの気配を感じていました。あの子は教室に来る沢山の生徒たちの存在を、喜んでいた。あの子は小さいままだから、怖がってしまった生徒たちには申し訳ないけれど、生徒たちを驚かせて喜ぶ時もあったかもしれないわ。』


 確かに、小学生の時に祖母のピアノ教室に通っていた友達の中には、「あそこ、オバケがいるからもうやだ」と言って辞めてしまった子もいる。


『梨理は花音をとても気に入っているように思いました。だから、花音には私の秘密を教えます。』


「秘密……?」


 思わず呟き、花音は次の便箋を捲る。


『練習室にある黒いピアノは、かつて梨理のために買った物です。あのピアノを弾いていると、私には梨理の姿が見え、彼女の声が聞こえました。』


 何も知らずにこの主張を聞けば、とうとう祖母も寄る年波に勝てなくなったのか……と思っただろう。しかし遺書に妄言を書くとは思えない。


(お祖母ちゃんにとっては〝本当の事〟だったんだ)


 いま一つ現実味がないが、花音はなるべく手紙に書かれてある事を素直に受け取ろうとした。


『梨理は自分と同じように事故にあった花音を、〝可哀想〟と言っていました。あの子は交通事故で亡くなったからです。』


 その文章を見て、ひやりと背中が寒くなった気がした。


 紛れもない、祖母が相手をしているのが死者なのだと思い知らされたからだ。


『そして花音なら、〝お願い〟を叶えてあげてもいいと言っていました。練習室にある黒いピアノに、願いを託してみて。きっと梨理が叶えてくれると思います。』


 練習室のアップライトピアノは、一台は黒で、もう二台は木目調のブラウンだった。


 その内の黒いアップライトピアノは、音の響きが好きで花音もよく利用していた。


 また、子供の頃に祖母がよくそのピアノを弾いていたのも目撃していた。


 もっと音のいいグランドピアノを弾けばいいのに……、と、何度思ったか分からない。


(あれには〝理由〟があった)


 子供の頃に不思議に思っていた事に理由がつき、手紙に書いてある内容に真実味が増す。


「あのピアノを通して……願いを叶える?」


 あまりに現実離れした話に、花音は手紙に書いてあった言葉を口に出してしまう。


 そしてしばらく、洋子の手紙から目を離して呆けた。


(お祖母ちゃんの空想なのか、〝現実〟なのか……)


 七十七歳と高齢ながらも、祖母は背筋をまっすぐ伸ばし、健康的にウォーキングし、ピアノも毎日弾いていた。


 あまりに矍鑠とした印象が強いので、祖母がボケたという可能性は低い。


「……子供の頃、友達がオバケを見たって言っていたし、私も見た事がある……気がする」


 独り呟き、花音は一体洋子が何を訴えたかったのか考える。


 ひとまずオバケがいたという事実はあったのだし、〝不思議な事はある〟と仮定しておく。


「……梨理さんが〝願いを叶える〟存在なら、どうして……?」


 神様ならともかく、死者が願いを叶えるというのは、あまり聞かない気がする。


 お盆になってお参りをする時、手を合わせて成仏を祈り、近況報告や「家族を見守ってください」と願う事ならある。


 守護霊というものはあるが、その効果のほどは分からない。


 母に手紙について聞こうと思ったが、中身が荒唐無稽な話なだけに、どこか話題にしづらい。


 それこそ、「今忙しいの」と言われてしまいそうだ。


「『内緒の話』……か」


 溜め息をつき、花音は残っていた数行に目を落とす。


『梨理とあのピアノを、宜しくお願いします。お願い事は三回まで、ね。そして花音自身の幸せも祈っています。花音が自分の幸せを見つけられますように。 洋子』


 最後にピアノの事も、結婚しろとも書かなかったのは、気を遣ってくれたのだろうと思った。


「……どうであれ、これがお祖母ちゃんからの最後のメッセージか……」


 花音は最後の便箋を一番後ろに回し、折り畳んで溜め息をつく。


「……頭ゴチャゴチャになるから、もうちょっと経って冷静になったら読もう」


 どうであれ、緊急の話ではないのだ。


「あそこの神社はご利益があるから、行ってみてください」と言われたのと似たようなものだ。


「はぁ……」


 とりあえず今は手紙の内容より、葬儀に遅刻してしまった申し訳なさで一杯だ。


「……お祖母ちゃん……」


 最後に話したのは、正月だった。そのあと、病院にいつもの検査に行ったら「少し気になるから入院しましょう」と言われ、そのままになってしまった。


 見舞いに行く猶予は、十分あった。

沢山の「たられば」の可能性があるからこそ、悔やまれる。


「……ごめんなさい」


 何もかも遅いのに、「ああできたら」「こうしておけば」が頭をよぎる。


 重たい溜め息をつき、花音は一筋の涙を流した。





 祖母の葬儀から一週間後の週初め、花音は仕事終わりに友達と札幌駅の北口にあるイタリアンバルで食事をし、軽く飲んだ。


「ねぇ、もし願いが叶うとしたらどうする?」


 酔い半分で友達に尋ねると、彼女は「えー?」と笑ってから考える。


「石油王と結婚できますように!」


「あはは! 確かに」


 思わず納得するも、あのピアノはそこまでの事を叶える力はないだろうと思った。


 もし望んだものが何でも叶うのなら、それは願いのピアノというよりも、呪いにも似た力を持つ事になる。


 亡くなった梨理が祖母との対話を楽しむ程度に力を残しているのなら、相応のものと考えなければいけない。


 そして梨理が自分に同情していたと手紙に書いてあったように、身内だからこそ手助けしてあげる、という規模だと考えるのが妥当だろう。


「うーん、もうちょっとターゲットを身近に絞った感じで」


「えー? 会社のイケメン先輩が振り向いてくれますように、とか?」


 友達はあくまで、恋愛主軸の願いのようだ。


 けれどそのあと、不意に少しまじめな表情になると、ようやく真剣な願いを口にする。


「私、高校時代にお父さんが死んじゃったでしょ? あの時、学校にいて死に目に会えなかったんだけど、それに間に合えば良かったなぁ……なんて、思っちゃう」


 その言葉が、ぽつん……と心の奥に落ちた。


(そうか、〝願い〟ってそういう事なのかもしれない。私やお祖母ちゃんに関わっていて、皆を幸せな結末に向かわせる願い)


「ん? どした? 花音」


「ううん。ありがとう」


「変なの」


 友人にきっかけをもらい、花音は一刻も早くあのピアノの前に立たなくてはと思った。

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