ギャンブラー雪女
雪女。
雪の多い東北に現れる妖怪として知られる。身体は氷のように冷たく、相手の精気を奪って凍死させる恐ろしい妖怪だ。
だがあつさにめっぽう弱い。風呂に入れば一瞬で溶けてなくなる。
だから夏の季節は、雪女は涼しい場所の、それも日に当たらない場所で過ごすことが多い。
「よっしゃ、差せ、差せえ!」
テレビ競馬を見ながら、翔子が叫んでいた。片手には馬券を映したスマホ、片手には新聞紙。客観的に見れば明らかにおじさんおばさんである。けれど彼女は綺麗だった。どこぞのモデルよりの、何なら外国人よりも整った容姿。そして長い白い髪の毛。癖のない真っ直ぐなストレートだ。触ってみても、その滑らかさには驚く。身長はまあ平均的だ。日本人女性の平均値。ボクよりも背が低く、それでいて綺麗とか、まあ可愛いを通り越して尊ささえある。そりゃあ勿論、彼女は人間じゃないのだ。尊崇しても当然だろう。
「ああああ、負けたあああっ」
馬の順位が決定した。
彼女の反応から駄目だと解る。
「私の一万円ガアアア」
「一万っ!?」
皿洗いをする手を止めて、僕は振り返る。
「一万使ったのっ!?」
「そうなの、今回は勝てると思ったのにい」
「ちょ、冷たい冷たい」
外からの熱が入り込まないよう換気扇以外を締め切っている。しかもエアコンはガンガンに十八度設定。僕は夏なのに長袖を着こんでいるという状況。
でも仕方ないではないか。
好き同士になっちゃったんだから。
「でも一万はまずいってっ」
「大丈夫。いつもの収入のほんの一パーセントくらいだから」
「い、一パー? 一体いくら稼いでるの」
「うーん。百万くらい?」
「……僕の月収を軽く超えている……」
「いいじゃない。何かあっても余裕があって」
「そうじゃない。僕のプライドの問題なんだ」
「プライドでご飯食べられないじゃない。そんなものはゴミ箱にポイよ」
「く、さすが三百歳。これが歳の経験か」
「何か言った……?」
「いえ、何でもないですッッ」
部屋全体がピキピキと音を立てて凍り始めたのを察して、僕は慌てて頭を下げる。
「あ、いけない」
そして力を押さえて元の温度に戻る。
彼女を本気で怒らせたらそれこそ死ぬ。
「寒い……」
「ちょっとやりすぎちゃった。でもコウ君も悪いからねっ」
そしてプイッとそっぽを向く。
「ごめんごめん。言い方に気を付けるよ」
上着を着て寒さ対策。
「さて、それじゃあ次のレースを」
そしてスマホの画面を切り替える翔子。
遠目で見ても、次なるレースの馬券が現れているのが見えた。
「え、それいくら賭けたの?」
「五万」
手を拭いて、無言で彼女のスマホを取り上げた。
「ちょ、何すんのっ」
腕を高く上げて、彼女のピョンピョン飛ぶ姿を拝む。けれどそんなことをしたいわけではない。
「ギャンブルも大概にしてって言ったよね?」
「仕方ないじゃん、楽しいんだもんっ」
「勝ててるの?」
「うーん。八割くらい」
「へえ、すごいね」
「負けが」
「禁止にするよ」
「そ、それだけはああ~」
目をウルウルさせる彼女。ウッと僕は胸を押さえた。かわええ~。
「って、そんなんで赦されると思ったら大間違いだよっ」
「……ッチ」
「舌打ち駄目、癖になるよ」
「かれこれ何十年ってやってるよ」
「じゃあ今から治して」
「スマホを返してくれたら」
「それだとまた競馬やるでしょ」
「じゃあ舌打ちする」
連続して、ッチッチッチと舌打ちを始める翔子に、僕はため息。
「そもそもそのお金は、アイス製造業で私が稼いだものだし、社長だし、借金してるわけじゃないんだから別にいいじゃない。ちゃんと貯金だってしてるし。ギャンブルに対する偏見じゃない?」
「それは……」
「コウ君に迷惑かけてないじゃん、違う?」
「親父が、ギャンブル中毒だったから……」
手を下げて、スマホを返した。
「翔子もそうなるんじゃないかって不安だっただけ」
キッチンに戻って皿洗いを始める。
この家はなんなら翔子が買って出て購入してくれた家だ。7LDKの二階建て。一部屋も十畳以上と結構広い。先を考えて、広い部屋と部屋を多く作ったって言っていた。何千万したとも。
勿論、お金を稼いでいる翔子だ。お金の運用だってしっかりしている。税金だってその他諸々のお金もきっちしている。ただ僕が敏感になっているだけ。それだけなのだ。
「考えすぎねえ、コウ君って」
そして後ろからぎゅっとしてくれた。
「私が養ってあげようか?」
「十分養ってもらっているよ」
「じゃあコウ君は何もしなくていいよ」
「それだと僕がダメになる。それだけは嫌だ」
翔子は家事が下手だ。だから代わりに僕が家事を率先してやっている。
普通のサラリーを貰っているけれど、それをほとんど貯金や生活費に充てている。少しでも翔子の役に立ちたくて。
「真面目だよねえ、コウ君って。だから好きになったんだけど」
「ありがとう。それを聞けただけでも十分だよ」
「じゃあどうする? 仕事辞めてニートする?」
そう言ってニヤニヤする彼女を見て。
「からかうの止めて」
「面白い仕事があって、コウ君に適当だから任せたいなって思ってるんだけど」
そう言ってくる言葉は本心だろう。三年も一緒に居れば彼女のあれやこれやも解ってくる。
「今はこっちの仕事に集中したい」
「でもしんどいんでしょ?」
「しんどいけど、やりがいはあるよ」
「搾取?」
「他の会社ではまあもらえない額と、多くない仕事時間だ。それはそれで充実しているよ」
「じゃあ兼業すればいい。社長とか個人事業しながらサラリーマンやってる人なんて今どき珍しくないし」
「でも大変でしょ?」
「合間合間にできる仕事だからそう難しくないよ? 考えていて欲しいなあ~」
そして僕の手を握ってくる。
「それとも、それもプライドが許さない~、とか言うつもり?」
「それは……言わないけど」
「じゃあやってよお」
「……解った解った……」
「やったっ」
背中に飛び移ってくる翔子。軽かった。
「調整しておくから、今度の休みの時に詳細を話すねえ」
「はいはい。翔子には敵わないなあ」
「コウ君がおバカなだけですう~」
丁度よいタイミングで皿洗いが終わった。彼女を背負ったまま、リビングのソファへ。
ソファの上に振り落として、上から覆いかぶさる。
「怒るよ?」
「怒っても全然怖くないもの」
「じゃあいじめる」
思い切りキスをした。
何度も何度もキスをした。
「それでいじめてるつもり?」
ニヤニヤ笑う彼女。
けれど顔が赤い。
「そうかな? 今すっごく恥ずかしいでしょ? 顔真っ赤だよ」
「……ばーか……」
そう言うと、彼女は顔を逸らした。
彼女は体温が上がるとすぐに顔を赤くするのだ。恥ずかしくなってもそうなる。彼女はある意味解りやすい。
身体を合わせるときは、やっぱり部屋の温度を下げないといけないけれど。
「僕だって結構頑張ってるよ」
「私から見れば頑張りすぎな気もするけれどね」
キスされた。
「私にお世話されるの嫌?」
「僕がお世話するのはどう?」
「別に気にしない。だって家事してくれてるでしょ? 致命的じゃない、雪女が家事出来ないとか」
「だからまあ、それで男を捕まえられなかったって言うね」
「凍らせるよ」
「冗談だよ」
「ブラックジョークは嫌い。一気に冷める」
スンとなる彼女。
熱くなるのも早ければ冷めるのも早い。
「ごめんって」
「コウ君のごめんって、今日一日で何回も聞いた気がする。そこは治してほしいなあ」
「ぐうの音も出ない」
ソファと僕の間からスルリと抜ける彼女。そしてソファに座り直して。
「もうそろそろ終わるよ。ラストスパートだね」
競馬だった。
それも彼女の賭けた馬が一位に躍り出ようとしている。
「最高に熱い展開ねっ」
新聞紙とスマホを握りしめ、彼女はワッと盛り上がり始める。
完全に甘い雰囲気ではなくなってしまった。僕が言うのもなんだけど。
僕も画面を見た。
競馬なんて何が面白いのかさっぱりだが、それはもう口にしない。
ごめん、ってあんまり言うのあれだし。
「アアアアアアアッ負けたアアアアアアアッ」
二着に沈んだ。
彼女の負けだ。
「五万か」
「大丈夫、次で取り返すわ」
そしてポチポチ操作し始める彼女。
スマホを取り上げる。
「だーめ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけよっ」
立ち上がる僕。
ソファに立って取ろうとしてくる翔子。
こんなことを、僕たちはずっと続けている。
けれどこれはこれで楽しい時間だと、そうも思っている。
「もう一回だけえ~」
「ダメだってばっ」
楽しい限りだった。
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