ドッペルゲンガーにご用心

ドッペルゲンガ―。

同じ人間が別々の場所に同時に現れる、ダブルとも呼ばれる怪現象。出会えば次第に衰弱、もしくは突然死してしまうその現象。怪談話としてしばしば用いられるが、あくまで一種の幻覚作用として認知されており、いわばただの見間違いという話に納まる。

けれどその見間違い。

当人たちにとっては大問題であった。

「え?」

「え?」

街を歩いていると、信号の向かいで俺にそっくりな奴がいた。そいつもこっちに気づき、まるで幽霊でも見たかのような目で俺を見ていた。

信号が青になり、人々が交差点を歩いていく傍らで、俺たちは微動もできずに互いを見つめ合っていた。

動いたのは同時。

すれ違ったのも丁度交差点の真ん中。

視線を交差させたのも同時だった。信号を渡り切って振り返ると、そこには同じく振り返る俺。意味が解らなかった。

急に恐ろしくなる。

ドッペルゲンガー。

目にしたり、ひょんなことから出会ってしまうと、死に至るという話。

そんなわけないだろう、と友達と鼻で笑っていたのが昨日の話。話を振ってきた奴はオカルト好きの友達だったが、そんな迷信存在するわけがないと、そう思って話を聞いていた。

けれど今、その現実が目の前にある。

目を丸くしてこっちを見てくるドッペルゲンガー。

けれど向こうも同じような反応をしているのだ。

どっちが本物だ?

勿論俺が本物だ。

道路沿いに歩き始めると、向こうも同じように歩き始める。

誰かと肩がぶつかった。少し遅れて向こうも別の奴とぶつかっている。

T字路に差し掛かり、信号を待つ。どっちもお互いを見たままだ。

信号を渡り、歩道の真ん中で出会う。

顔も、服も、髪形も、姿勢も、立ち姿も、すべてが全く同じだった。

「「お前は誰だ」」

同時に口にしていた。

「「俺が本物だ」」

またも言葉が被る。

「「……」」

静かになるタイミングも一緒。

歩道の脇で同じ顔が見つめある構図。

周囲は俺たちをどう見ているのか。

視線を向けると、時たまこちらを見てくる通行人。

笑いだす人もいた。

視線を戻すと、向こうもそうしていたよう。

困惑と不安、そして恐怖を抱いて、互いを見ていた。

俺が口を開こうとして、向こうが先に口を開いた。

「俺が本物だって言ってんだろっ」

そして殴りかかってくる。頬に痛みが走り、周囲がどよめく。

「ふざけんなクソがっ」

俺も殴り返していた。

歩道の上で突如始まった喧嘩。

傍から見れば双子の兄弟が突然喧嘩を始めた、そう思われても仕方ないのかもしれないが、そう言うレベルの話ではない。

頬が腫れ、唇が切れ、眉辺りから出血する。

血みどろの喧嘩が切って落とされた。

誰かが連絡する声が聞こえたが、そんなのはどうでもいい。目の前の敵を排除する。それ以外を考えることが出来なかった。

道端に転がっていた小さな石を取っていた。思い切り投げる。当たる、その隙をついてタックル。こかして馬乗りにして殴る。けれど向こうも態勢を変えて、俺のバランスを奪って、殴りかかってくる。互いにボコボコになるまで殴り続け、フラフラになるまでやり続けた。

「お前ら、何しているっ!」

警察が来た。

けれど殴り合いは辞めない。

そう言うレベルで止めていいものではないのだ。

それこそ、相手を殺すまでやり続けなければならない。

警察二人が割って入って、俺たちを羽交い絞めにする。地面に組み伏せられ、身動きを取れなくされた。それでも俺たちは互いににらみ合い、殺意を漲らせる。終いには手錠をかけられる始末。

「「ぶっ殺してやるっ」」

互いに言葉を発していた。

もう一台パトカーがやってきて、警官二人が降りてくる。

俺は最初のパトカーに乗せられて、事情を聴かれた。

「何故喧嘩をした」

至極真っ当な質問だった。

「あいつは俺の偽物だ。消さなければならない」

困惑する警官二人。理解してくれとは思わない。

「何を言っているんだ」

「それがすべてだ」

「兄弟だろう?」

「違う。敵だ」

二人が顔を見合わせる。困惑していた。

「まあいい。取り合えず署まで行こう」

そして最寄りの警察。

俺たちは別々の部屋にいた。

母さんが部屋に入ってくる。

「な、何がどうなっているの」

その言葉で、警官がより困惑した。

兄弟ではない。ではこの二人な何者のか、と。

少ししてメガネの警官が現れた。

「ドッペル現象だ」

その一人の発言によって、その場がより混沌を極めた。

「世界で稀にある現象だ。どちらかの死によって、この混乱は収束する」

「何を言い出すんだ、お前はっ」

「信じられないのも無理はない。だが現実にそれは起こっている」

俺は気が気でなかった。

ここにはいない別の俺。

その気配がする方向へと視線をやって、今にも殴りかかりたい気持ちで一杯だからだ。

「この二人をどれだけ距離を離したとしても、磁石のように引き付け合う。どちらも本物で、どちらも偽物。どちらかが消えなければ、解決しない」

「そんな……」

母さんが崩れ落ちる。

「でしたらどちらも連れて帰ります。我が子としてどちらも世話しますから」

「それで納得できるか?」

俺にそう問いかけてくるメガネの警官。

「……解らない……善処する」

俺はそう答えた。

「二人を連れて帰ります。ですからどうかこれ以上恐ろしいことを言わないでください」

「解った」

そう言うと、メガネの警官は部屋を出て行った。

涙を流す母さん。困惑に困惑を上塗りする警官たち。

「仕方ない」

そして俺とドッペルゲンガーは、母さんと共に署を出た。

「何かあればすぐにご連絡を」

警官たちに見送られ、俺たちは家に帰った。

帰ると、父さんと妹が俺たちに驚いていた。

二人の俺、そして傷ついた俺たち。

事の成り行きを説明する母さん。警戒を露にする父さん。妹は震えて怖がっていた。

「とりあえず、母さんと桃花はホテルへ行っておいで。おれが二人を見ておこう」

「嫌、何かあっても私は誠也の傍にいたい」

「わ、私もっ」

「何かあってからでは遅いんだぞっ」

話に熱が増す。

「いや、別に家族には何もしないし」

「俺が相手したいのはこの偽物だけだ」

そしてにらみ合う。

「解ったから。もうやめてくれ」

父さんは頭を抱え、母さんはまた涙を流していた。

夜になると、俺は父さんの部屋に、ドッペルゲンガーは俺の部屋で寝ることになった。

俺が本物なのに、俺を偽物扱いするとかどうかしてる。けれど俺はあいつを必ず殺さなくちゃならない。

父さんの部屋からボールペンを手に持って、暗くなった家の廊下を歩く。

俺の部屋に入ると、ドッペルゲンガーはベッドで寝ていた。俺はゆっくり奴の所へ近づくと、その首元へボールペンを突き刺した。

「?」

突き破ったのは枕の感触。

そして俺の首元から溢れ出る血液。

「この偽物めっ」

血が噴き出て、力なく俺は床へと倒れた。

その音に気づいて父さんと母さんがやって来る。俺はそちらへと手を伸ばして、だが力が抜けてそのまま意識を手放した。


「俺が、俺が本物なんだ」

そしてスッと色あせて消えていく偽物。まるでプロジェクターで映し出していたかのように途切れていくそれを見つめながら、俺は手に持つボールペンをゴミ箱へと手放した。返り血や床に広がった血さえも消えてなくなっていく。まるで夢物語。

「あら誠也、どうしたの? こんな夜中に」

「いきなり大きな音がしたからびっくりしたぞ」

「兄ちゃん?」

何事もなかったかのように。

彼等は俺の様子を訊いてくる。

何を騒いでいるんだ夜中だぞ、と。

「何でもない。ベッドから転げ落ちただけだ」

「そう? そんなふうには見えないけど」

「大丈夫、すぐに寝るから」

「明日学校なんだから、寝坊しても知らんぞ」

「兄ちゃん、どこか打ってない? 痛くない?」

「ああ、大丈夫だ」

そして部屋を出ていく家族。

枕に刺さったボールペンを抜いて、ベッドに入り直した。

「俺が本物だ」

偽物は目の前で消えた。それに関する記憶も、何故か家族の中から消えた。

「俺は勝ったんだ」

まだ手に残る、人間の肉を突き刺す感覚。

けれど悔いはない。俺は俺として今ここにいる。

「俺は、本物だ」

そう、思って目を瞑る。

本当にそうだろうか、という感覚がまだぬぐえなかった。

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