市役所員だって人間です。

私は姫宮京子。

市役所勤めの二十二歳だ。

けれど私は他の人と違って内気な性格だ。

地味で、面白くなくて、何の特技も得意なこともない陰キャ。

来られた人とも目を合わせてまともに話すこともできない。よくこれで市役所員として採用されたなと自分でもそう思うほど。

ここに来られたお客様が、私をじっと鋭い目つきで睨みつけていた。

仕事を退職したことで健康保険の切り替えに来たのだが、手続きが若干ながら滞ってしまったのだ。

「どんくせえなあ、ほんと。これだから市役所の人間はよお」

「も、申し訳ありません」

そして面倒くさそうに帰っていく男性のお客様。

「はあ……」

窓口にいるにもかかわらずため息を吐いた。舌打ちが聞こえてそちらを見ると、そこには別のお客様がいた。

「す、すみません」

そう言って、自分の席へと戻る。

時間を見ると、ちょうど休憩時間になったので、私は荷物を整理して席を離れた。

休憩室と言えば聞こえはいいが、ワンルームよりも小さい部屋だった。

作ってきた弁当を机の上に広げて、私は手を合わせる。

「あ、飲み物……」

おかずに手を付ける前に給湯室へ行く。茶葉やコーヒーの粉は自由に使ってもいい。カップに茶葉を入れ、ポッドからお湯を注いで少し待つ。

「あら、姫宮さん」

急に名前を呼ばれてビクッと震えた。振り返ると、そこには私の苦手な人の若槻さんがいた。冷蔵庫から自分の水筒と思しきそれを手に取って、蓋に注いでごくごく飲んでいる。

「またあんた客に怒られてたわねえ」

「はい……」

「何であんたみたいなコミュ障陰キャが市役所員になれたのか不思議だわあ」

「はは、私もそう思います……」

「ほんとあいつらって自分勝手で面倒よねえ。税金泥棒とか高給取りとかわけわかんないこと言ってさあ。自分のこと棚に上げる馬鹿どもに、何で住民サービスなんて名前で相手しくちゃならないのよって感じ」

「はは、そうですねえ」

「なのに、赤城ときたら、あいつらに余計なことを教えるわ、手助けするわでほんと下らない。それでちやほやされてるとかほんと幸せ者よねえ」

「……頑張ってるんだと思いますけど……」

「頑張ってる? あいつが? 住民どもに媚び打ってるだけの売女でしょ。そうやって周囲にちやほやされていい気になってるだけのお調子者よ」

「あははっ……」

「あいつが持ってくる仕事のせいで仕事が増えちゃうっての。私がどれだけ適当にあいつらをあしらって残業せずに帰れているか、その努力を知らないのよ」

「そうですね……」

「ほんと早く死ねって感じ」

そう言って、若槻さんは愉しそうに笑った。

人を馬鹿にしておいて何が面白いのかは解らないけれど、やっぱりこの人は苦手だと、そう思った。

「ちょっと失礼するわね」

「げっ……」

「ッ……!?」

当の本人のご登場だ。

ニコリとこちらに微笑んで、冷蔵庫から自分の水筒を取り出していた。

「ふん、いい御身分ね」

「そう……そこで聞いてたけど、相変わらずね」

「何? 文句でもあんの? あんたみたいなお節介焼きのせいでこっちが迷惑してんの。やめてくんない? あいつらとバカみたいに話すの」

「仕事をしているだけよ。あなたはどう? 所長からお願いされた仕事、終わったかしら?」

「ええ勿論、誰かさんと違って、ダラダラと話す時間はないので」

「そう。それは大変ね」

そう言って、彼女は手を洗って手持ちのハンカチで拭いた。

「お先に失礼するわ」

そして給湯室を出ていく荒木さん。

若槻さんは顔を赤くして地団太を踏んだ。

「何あの態度、ほんっとムカつくんだけどっ」

これでもかと言わんばかりに悪態を、悪口を吐いた。誰が聞いても汚らしい口調で、彼女のことを罵った。

「あなたも、あいつのこと屑だと思わない?」

そう睨まれながら言われて、私はとりあえず頷いた。

そして頭を下げて給湯室を逃げるように出ていく。

「どいつもこいつもバカにしやがってえっ!」

廊下にまで響いてくる彼女の声。

私と荒木さん以外に人が居なくてよかったと思った。

「あの、荒木さん……」

「……何かしら?」

そう言って振り返る彼女。

「あの、私……」

「気にしていないわよ。別にあなたに興味も無いもの」

「え?」

「あんな人と話を合わせて会話する人に、自分なんて無いものね。卑屈になって自分を貶めていればいいのよ」

「そ、そんな言い方」

「ごめんなさい、言葉を変えるわね。自分を変える努力もしない人間に興味がないの」

そう言って歩き去ろうとする彼女。

私は何故か沸々と上がってくる感情につい。

「わ、私だってっ、好きでこんな自分になりたかったわけじゃないっ」

歩みを止めて、再度振り返る荒木さん。

「なんだ、言えるじゃない」

「え?」

「少し話をしましょうか? 時間大丈夫?」

「え、あ、はい」

給湯室のお茶はそのまま、休憩室に置きっぱなしの弁当。ほんと駄目だなあ、私って。

荒木さんの後を付いて行く。

裏口を抜けて、非常階段を上ったあたりで止まった。

「ここに座って」

そう言われて、私は荒木さんの座る隣にしずしず座った。

人ひとりくらいの間を開けて。

「あんな人間より、あなたは何倍もすごい人よ」

「え?」

急にそう言われた。

「確かにあなたは仕事もできないし人間関係もままならず、口下手で勉強不足で何もかも足りない人間だわ」

「あ……はい……」

全て言われて私は心がズタズタになった。

「でも、思いやりはある」

「え?」

「まだまだ捨てたもんじゃないってことよ」

「……そ、そうですかね?」

「だって、あんな民度の低く、しかも人格が破綻した女よりは、気遣いのできる人間であるもの。少なくとも」

「か、顔色を窺っているだけですけどね……」

「顔色をうかがうって言っても、暗い意味ででしょう? 明るい意味で言えば、相手の意志を汲み取ることのできる人間と言い換えられるでしょうに」

「そ、そうですけど……」

私は俯く。

「……この仕事って何だと思う?」

「え?」

「公務員よ。地方公務員だろうが、私たちは民間ではない。国家に属しているの。だから税金で支払われる給料でご飯を食べている。だからそれ相応の仕事をしなければならないの」

「す、すみません。わたしはその……」

「入って一年も経っていないのに、思い上がりも甚だしいわ」

「お、思いあがっていません」

「思いあがっているわよ。この程度の仕事って考えてる。みんなできて当たり前なのに私はできないとか、悲観的に考えているとことか特に」

「すみません……」

「そのすみませんは何? 誰に対して謝ってるの? 自分? 私? それとも市民に足して? あなたはいつも誰に謝っているの?」

「えっと……」

「解っていないんでしょう? 何も考えていないんでしょう? とりあえず公務員になっておこうみたいな考えでここに来たんじゃないの?」

「その……」

「昔、公務員は民間に比べて低い給料と地位だった。けれどバブル以降それが徐々に逆転した。給料はそこまで良くはないけど、他に比べたらくいっぱぐれることのない仕事だから、楽だと捉えられてもおかしくはない。でも実際はそうでもない。解っているでしょう?」

「……はい」

税金、制度、選挙、法律、公共管理、事務作業に接客、お客様からの苦情やその対応。やることは遠目から見てもごまんとある。

「けれど根本は住民との意思疎通。彼らの情報や街町の管理を行うこと、それが大前提。つまり彼等とのコミュニケーションや信頼関係は必須なの。でないと仕事もクソもありゃしない」

「信頼関係ですか……」

「当たり前じゃない。民間でも顧客との信用で成り立つ。紙幣や硬貨だって、その信用性があるから効力がある。不正や災害が起こればたちまちその信用性は地に落ちる。だから信頼関係は壊してはいけないしこれからも築いていかないといけない」

そして荒木さんは一呼吸置いた。

「なのに来た人に面倒だなんだと言い、来た人は皆私たちに対してやれ責任だなんだという。信頼関係もありゃしない。だから民度が落ちる。品位が落ちる」

「民度? 品位?」

「ええ。国は人よ。人との繋がりや信頼が無ければ成り立たないのは当たり前。何故、日本がここまで落ちぶれた国になっているのか。それは、日本の政治家と国民が手を取り合って進んでいないからよ」

「国は人……」

「信頼関係が無ければ不平不満が出てくる。任せられなくなる。そうなると陰口や悪口が増える。それを皮切りに余計に関係が悪化する。その悪循環。だから国民は政治に興味がないし信用もしていない」

「そう、ですね」

「だから私は話をしてる。制度だって何でも話をしてる。私たちの仕事はこういうものですよ。あなた達を支える『人』ですよ、って言い続けてる。行動してる。それで初めて彼らは話を聞いてくれる。国に属している以上、地方公務員だろうが権力が発生する。だから嫌われるし、忌避される。だから私たちは彼らに寄り添わないといけない」

「……はい」

「あなたはどうして公務員になろうと思ったの? 嘘やめてね」

そう言われて、私はたじろぐ。

けれど。

「その、安定を求めて……」

「不安だった? 自分の生活や人生が」

「……はい」

「じゃあ今は何をしているの。仕事? それとも私事? 若槻さんみたいに」

そう言われて、私は首を横に振る。

「じゃあ今よりもっと勉強して、学んで、考えなさい。そんな将来の自分が怖くて嫌だから公務員になったのなら、その考えた考えを、気持ちを伝えなさい。それはここに来る人たちも抱えている悩みだから」

私は自然と首を縦に振っていた。

「人が変わるなんてのは案外、その辺にきっかけが転がっているものよ。気づいていないだけでね」

そう言って、彼女は立ち上がって階段を下りる。

「そうそう。私、今度の市長選挙に立候補するつもりなの」

「……へ?」

私は目を点にした。そんなの初耳だ。

「だからその時は、私に投票してくれたら嬉しいわ。このことは他の人には内緒よ?」

そう言い残して、荒木さんは中へと戻っていった。

「すごいなあ」

そろそろ休憩時間が終わりそうなので、急いで休憩室にどもって弁当を片付けた。

自分の席に戻り、書類を手に取る。

その時、お客さんが来た。

若い人だった。

身分証明証を確認すると、換算して三十手前だ。

内容は、仕事を病気で辞めなければならず、その手当に関する相談だった。

失業手当等はハローワークだ。

ウチではない。

「あの……」

ここが受付ではない、と口にしようとして、私はその言葉を飲み込んだ。

不意に気づく。

その人の不安そうな顔を、今にも消え入りそうな雰囲気を。

「大丈夫ですか?」

「え? ああ、うん。大丈夫」

と、笑顔で応えてくれたが、少々ぎこちない。

「お話があれば聞きますので、遠慮なくおっしゃってください」

自然とそう口にしていた。

相手は少し驚いた顔をしていたが、少しはにかみながら。

「えっと……そうだな……」

さっきまでの硬い表情が和らいだ。

そして口にする今後の生活。

両親とは離れて暮らしており、援助を求めにくいこと。病気になったことを報告しにくいこと、お金が無くなって生活できなくなったらどうしようという悩みだった。

私はそれを静かに聞いていた。

話が終わると、私は妙に嬉しい気持ちになっていた。

「話してくれてありがとうございます」

そして失業手当はここではないことを、言葉を選んで伝えた。彼は恥ずかしそうに、そして少々の不機嫌さを露にしていたが。

「大丈夫ですよ。また何か解らないことあれば来てください。保険や税金でなくて大丈夫です。またお待ちしております」

ニコリと、笑顔で対応していた。

そうすると彼も、落ち着いたのか礼を言ってくれた。最初にここへ来た時とは打って変わった落ち着いた顔で、彼はここを後にした。

「…………」

何となく、腑に落ちた気がした。

少し離れた窓口で、荒木さんはお客様と話をしていた。終始その相手は落ち着き払っていて、荒木さんに信頼をもって話をしていた。

荒木さんがこっちを見た。小さく笑っているような気がした。

「……頑張ろう」

荒木さんが市長選挙に出た時は必ず、彼女に投票しようと心に決めた。

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