お金はいかが?

「今日は何をしよう」

金を生み出す力。

比喩ではなく、正真正銘紙幣や硬貨を無限に生み出せる能力。

理由は解らない。

夢の中でお金を生み出すそれを見てから、現実でもそれができるようになっていた。

お腹が減れば好きなものを何でも食べた。

欲しいものがあれば好きな時に何でも買った。

やりたいことが思い浮かんだら、やりたいことは何でもやった。

したいことをしたいだけやった。

持ち歩くのは財布と携帯。それくらいだ。着替えは現地で買って、現地で捨てた。

洗うのも面倒で、脱いでは捨てた。

それくらい、俺は何でもできた。

で、最近暇になった。

「何しよっか」

東京の街をぶらぶらしていた。この街なら何でも手に入る。世界にだって行ける。超便利。

「けどなあ」

むしろお金がある分、やりたいことを探すのが難しい。

興味のあることは片っ端からやり尽くし、目についたものは何でも手を出した。だからこそ、逆に好奇心が少なくなり、満足した気持ちを、今度はどうやって退屈しのぎをするかで頭がいっぱいになった。

「……」

退屈は人を殺すと言うが、まさに脳みそが退化するような感覚で、全身もまた一切機能していないような錯覚にさえ陥る。

「はあ……」

こんな退屈な人生をこれからも続けていかないといけないと思うと、心底生きるのが面倒だと思ってしまう。

「すみません……」

歩いていると歩行者と肩がぶつかった。

「んだてめえっ」

目つきの鋭い男だった。

それこそ刃物を取り出して突き刺してきそうな印象を抱いてしまう。

「どうした、なかっち」

男の後ろから二人、新たに現れる。

どちらも目つきが悪い。服装も、喧嘩上等と言わんばかりのいかついものだった。

「こいつがぶつかってきやがってなあっ」

わざとではない。避け切れなくて不意に当たってしまっただけだ。

「んじゃあ、慰謝料でも貰えばいいじゃねえか」

と一人が言い、俺は路地裏へと連れていかれる。

最初の一人が、それこそナイフを取り出して、俺の頬にナイフの腹をぺちぺちと当ててきた。

「んじゃ、さっさと出せや」

身体が震える。恐怖が勝る。

生きるのが面倒だとは言え、死にたいわけではない。

震える手先でポケットから財布を出し、それを奪われる。

「んだよ、しけてんなあ」

財布の中身は千円札が三枚。

財布をその辺に捨てられて、さらに詰めてくる目つきの悪い男。

「なんかムカつくなあ、その眼」

その眼ってどの眼――。

と疑問を抱く暇すらなく、腹を思い切り殴られた。

息が出来なくなり、身体から力が抜けてその場に膝から崩れ落ちる。

「柔な奴だなあっ」

顔面を蹴られた。後ろへ大きく吹き飛ばされる。

痛みと混乱、そして恐怖で身体に全く力が入らない。

死ぬ。

そう思った。

ウーッ。

唐突に鳴るパトカーのサイレンの音。

「なかちゃん、やばくね」

「っち」

男たちが明らかに顔色を変えて、路地裏の奥へと消えていった。

一人放置された俺。

起き上がろうとするが腹筋に痛みが走って倒れた。

「大丈夫っ!?」

女性の声。

そちらに目を向けると、学生服を着た子が駆け寄ってきた。

「たぶん……」

「早く行こ。あいつら戻って来るかも」

俺の腕を肩に回して起き上がらされた。腹と顔の痛みは継続中。

けれど支えてもらっているおかげで歩くことはできる。

「災難だったね」

近くの駅前の休憩所に座る俺たち。

「サイレンって君?」

「うん。咄嗟にね。あいつら馬鹿で良かった」

血の滲むおでこをハンカチで拭われた。

「いてて」

「ごめんっ」

少し弱い力で拭ってくれる。

「ありがとう、助かったよ」

「どういたしまして」

ハンカチを俺に手渡して。

「家に帰れる?」

そう心配そうに言って来る。

「家は遠いから無理」

「タクシーは?」

「住んでるの九州だし」

「観光?」

「うーん、一人旅かな」

口の中で血の味がした。

切れているらしい。

「まあ、ちょっと休憩したら帰るよ」

そう言って、路地裏から出る際に拾った財布を取り出して、中で一万円を作り出してそれを彼女に渡す。

「え?」

「お礼」

「要らない。そのためにあなたを助けたわけじゃないし」

普通なら受け取ると思ったんだけど、彼女は違うらしい。学生ならお金を使いたい年頃だと思うのにね。

「もしかしたら殺されてたかもしれない」

「そんな大げさな」

「ただのヤンキーならそれでいいけど、平気でナイフを取り出す頭のねじが飛んだ奴だ。命の恩人だからさ。これくらいはね」

食い下がる俺。

けれど彼女も頑なに受け取ろうとしなかった。

「……じゃあご飯奢ってよ」

「ご飯?」

機転を利かした返答だった。

「そう。一万円くらいの美味しい奴」

「うーん。君が好きなの知らないし、何が食べたい?」

「回らないお寿司」

それって一万円では済まないよ。

食べ盛りなら猶更。

「結構食べる方?」

「運動してるし」

確定。一万は超える。

「……じゃあ食べログで調べるからちょっと待って」

少しひび割れたスマホ。

ネットを開いて、近辺を探す。

「見つけたよ。行こうか」

「やったっ」

と声を上げる少女。

「そう言えば名前聞いてなかったね」

「葵って言うの」

元気そうな彼女にピッタリだった。

「苗字? 名前?」

「名前」

「俺は幸人だ。葵ちゃんって呼んで――」

「気持ち悪い。普通に葵で良い」

顔を歪ませてそう言った。そんなに嫌なんだ、ちゃん付け。それとも俺だから?

「てか俺、普通に二十歳なんだけど」

「何? 敬語でも使えっていうの? 命の恩人に向かって?」

やはり肝が据わっていた。末恐ろしい子だ。

「その前に絆創膏買いに行こっか」

「はい」

そして有無を言わせぬその顔に、俺は自然と頷いていた。

「――ご馳走様っ」

そして回らない寿司屋から退店して、葵はお腹をさすった。

消えた諭吉は四枚。

俺は魚が好きじゃないからあまり食べていない。

なのに四万円。食べ過ぎである。

まあ、お金に困ることはないけれど、お礼の一万円を優に超えている。遠慮のない子でびっくりだ。現金を貰うことには遠慮を抱えても、奢られることにはそれがない。今時らしい。

「これから幸人はどうするの?」

呼び捨て……まあいいけどさ。

「うーん、適当に街を回って、ホテルに泊まるかな」

「じゃあさ、私とどっかに行かない?」

「どっかって、今日は平日だよ? 葵、学校は?」

「幸人、仕事は?」

「……今日は休み」

「ほんとにい? 何その間」

「図々しいなって思って」

「それが私の取り柄だから。ちなみに学校はサボりでーす」

「じゃあせめて制服着替えなよ」

「持ってるわけないじゃん」

「うん、それもそうだね。鞄とかは? 置き勉?」

「当然じゃん」

「はあ……」

彼女の手を取って、服屋に向かう。

「何か買ってやるから。目立つ」

「やりい」

ほんと図々しい子だ。けれど不思議と嫌な気がしない。

「可愛い♪」

フリフリのスカートを着た葵が店から出た。

飛んだ諭吉は二枚。

彼女の屈託のない笑顔を見れたら、何となくその金額が安く思えた。

「袋持って」

当然とばかりに荷物を手渡してきた。もはや遠慮もクソもない。

「はいはい」

それを断らない俺も俺か。

「――時の流れは無情に~♪」

そして俺たちはカラオケに来ていた。

もはや観光ですらない。完全な娯楽である。

「~錆びついていく~♪」

それでも、葵が楽しそうに歌っているのならそれでいいか。

「ああっ、惜しいっ」

九十九点。

ほぼ百点をたたき出している葵。俺はさっきから彼女の歌声に聞き入りっぱなしである。

「さて、今度は俺だな」

テーブルのマイクを取って、イントロが始まった。

音楽が途切れる。

「おいっ」

「だって、幸人下手だもん。聞いてるこっちが不快」

「うっは……」

たしかに、さっきから出している点数が平均を大きく下回っているし、俺自身歌が上手じゃないってのは知ってるけど、それでも十八番を持っていてだな。

「十八番の一つなんだあ、って息巻いてたけど、そこら辺の小学生の方が上手いから」

鳩尾を殴られた気分っ。

そして葵が選曲した曲が流れだす。

「ざ~ん~こ~く~な天使のテエーゼ~」

先ほどうたった俺の十八番である曲を、彼女は音程を一つもずらすことなく、ビブラートを使いこなし、こぶしまで演出するという綺麗な歌声を放っていた。

そして曲が終わり、百点満点を出す。

「さいっこうっ」

と、俺を見る葵。

「このっ、じゃあ今度は俺がっ!」

そして曲が始まると、またもイントロから停止させられた。

「おおいっ」

「金切り声、変な地声、おかしなサイレンみたいなビブラート、聞いてられないから」

「それ以上止めて、ほんと言わないで……」

家族や友人からは、歌が上手いと言ってくれていたのに、ここまで現実を見せつけられると心が折れるっ。

「だっさ」

ソファに突っ伏して泣いた。

「――あーっ、楽しかったっ」

「……そうだねえ……」

俺のライフはすでにゼロだ。

お菓子やスナックをこれでもかと注文したせいで、一万円は超えた。

完全に俺を財布扱いである。

「幸人ってほんとお金持ちねえ。その財布にいくら入ってるの?」

と、ポケットをまさぐってくる彼女を、俺は必死に止めた。

「さすがにそれは駄目だ。人として駄目だ」

「ええー」

不満を露にする彼女だが、流石に空っぽの財布を見せるわけにもいかない。

正真正銘、無の財布を。

そして。

他にもショッピング――俺が出した。

食べ歩き――俺が出した。

最後にまたカラオケ――俺が出した。

「はあ~、満足満足」

荷物を持つ俺。色々な意味で限界だった。

「葵、お前ほんと元気だな」

「若いから?」

と俺を見る彼女。その視線が何ともうざい。

「お前なあ、少しくらい自分で持てよ」

「重いから嫌~」

そして道を歩いていく彼女。

しかしその足取りが急に止まる。俺の元へ走ってくる。

「ねえ何も言わずにこっちに来て」

「はい? 何で?」

「お願いだから、早くして」

「いや、だからなんで」

「おお、葵じゃないか」

「……っち」

らしからぬ舌打ち。

そこには四十代くらいの男がいた。

「今日は若い男を相手にしてんのかあ。ちょっとデート気分を味わいたいってか?」

ゲラゲラ笑う小太りのおっさん。

葵は視線を鋭くしてその男を睨んでいた。

「もう終わったはずよ」

「そう冷たくするなよ~。パパ活を買って出てやった仲じゃないかあ~」

「パパ活?」

葵の顔を見る。

彼女は俺をチラリと見ては視線をすぐ外した。

「何言ってるの」

「俺から金をせびったくせに、まだそんなことしてんのかあ?」

「……意味わかんない」

「とぼけんじゃねえよ、借金の為だろお? その服と、男の荷物、どうせ転売でもすんだろ?」

俺を見る小太りの男。

「そんなに金が欲しいなら、俺がまた相手してやろうか? なんなら関係を持ってやってもいいんだぜ? その時は金を弾んでやる」

そして葵の身体をじろじろ見る。

葵は身体を震わせた。

「馬鹿なこと言わないで。終わったって言ったでしょ」

「俺の玉を蹴って逃げたこと、忘れたとは言わせねえぞ?」

「今度は玉だけじゃ済まないわよ」

「なんだあ? じゃあナイフでも何でも持ってくるってか?」

ゲラゲラ笑う男。

葵はぎゅっとこぶしを握っていた。

「関係を持つだけで借金をチャラにしてやるよ。代わりに俺の女になれ」

「いやよ。気持ち悪い」

「その威勢、どこまで続くか楽しみだぜ」

そして葵に手を伸ばす男。

けれど俺は咄嗟にその手を掴んでいた。

「なんだあ? てめえはすっこんでろっ」

街中でよくもまあこんなにも騒げるものだと、俺は感心した。

「こいつを相手してるのは俺なんだ。その借金とやらが残ってたならまた相手してやればいい」

「んだてめえ、じゃあてめえが払うってのか? すんげえぞ、こいつの借金っ。なんたって一千万だからなあ――」

「一千万か。じゃあいけるな」

「あ?」

ポケットに手を突っ込む。

中で小切手を作り、それを取り出しては男の前で金額を書き記す。

「ほれ、これを渡せば完済だ」

「ああ?」

男は俺の小切手を見る。

小切手は本物だ。全く同じように作ってあるから。

「てめえ……」

そして憤慨する男。顔が真っ赤だ。

「悪いな。今日のパパ活は俺が引き受けてるんだ。部外者は黙ってな」

葵の手を取ってその場を離れる。

後ろから男の叫ぶ声が聞こえた。

「…………」

「…………」

夕暮れの街を歩く。

荷物の袋が鳴る音と足音が聞こえてくる。

「ごめん……」

「何が?」

「だますつもりじゃなくて、ただ、その……」

「いいよ。何となくそうなんじゃないかって思ってた。あの最初の男どもは?」

「あ、あれは違うっ。ほんとにただの偶然……でも、お金持ってそうだなって」

「まあいいよ、別に」

立ち止まって、俺は振り返る。

「どこに借りてるんだ?」

「……ちょっと善くないとこ」

「何でそこから?」

「クソな父親が借りて、勝手に死んで、私の所に来た……」

「お前の借金じゃないんだから放棄すればよかったのに」

「え? 何それ?」

「相続放棄だよ。まあ、今となっては手遅れだが」

「……」

「ま、出会ったのも何かの縁だ。俺が何とかしよう」

我ながらほんと甘ちゃんだなって思うよ。

「よくない所なら、まあ現金で準備した方がいいだろ」

「でも……」

「乗り掛かった舟だ。さっさと終わらせるぞ」

頭をポンと撫でてやった。

俯いて、うっすら涙を浮かべているのを見る。

「ごめん……ごめん……」

ポロポロと涙を流していた。

俺が金を作り出す力を得たのも、一つにこういうことの為なのかもしれない。

そう思うと、偽善にも彼女を助けようとしている自分だが、ほんの少し誇りに思う。

まあ、俺の金じゃないんだけどね。人のためにできるか否かで言えば、俺はできる人間なのだろう。

「――あっさりだったな」

「……うん」

彼女の住むアパートに行き、彼女には家で待ってもらい銀行に行く振りをして、借りた鞄の中に現金を創り上げた。

そして善くない人に連絡して赴き、記載された借用書の額面通りの金額をきっちりぴったしに払ってやった。目を丸くしていたのが笑えた。我慢したけど。

その建物から出て、夜の街を二人で歩いていた。

傍から見たらどう見えるだろうか。

デートの帰り、って見てくれるのかな? それとも兄妹? 従妹とか?

「ありがとう……」

俯いて表情は解らなかったが、隣を歩く葵に視線を向けた。

「もうあんなことしなくて済むだろ」

俺が言うのもなんだけど。

色々と。

そもこの力だって。

「うん……疲れた」

元気のあった葵とは違い、まるで別人のように静かな彼女がそこにあった。

「無理してた?」

「かなり」

「母親は?」

「出て行った。私は置いて行かれたの」

「そりゃあ気の毒に。これからどうする?」

「とりあえず学校に行く。ぼっちだけど」

「ふーん、じゃあ歌でも歌えば?」

「……私程度のそれでやれるわけないじゃない」

「やってみればいいじゃん。まあでも、あの豚男みたいな奴らがまたお前に付きまとってくるかもしれないから、顔出しNGで活動すればいい」

「だから私は――」

「すっげえ綺麗な歌声だったぞ?」

「え?」

「魅了された、惚れ惚れした。それこそ、俺の歌よりも何千倍何万倍も上手な歌だった」

「……私には無理だよ」

「もう一回言うぞ。やってみろ。今じゃあ配信なんてあるんだ。やりようはいくらでもある。お前ならやれる。絶対だ」

「でも」

「もし嫌な気になったときは、俺に連絡すればいい」

スマホの電話番号を見せる。

「掛けて」

「……うん」

バイブで通話が来た。彼女の電話番号が表示される。

「何なら俺がまたパパ活相手になってやるよ」

「……冗談なら引っぱたくよ」

「ははっ。お前はそうでなくっちゃな。図々しくて強いお前がさ」

「……わかった」

顔をパンと叩いて、振り向いてくる。頬が赤くなっていたが、その顔は元気いっぱいの葵のそれだった。

「今度連絡するとき、また今日みたいに色々奢らせてやるから」

「それはいい。楽しみにしているよ」

ニッと笑う葵。彼女にはその笑顔がお似合いだ。

――俺になぜこんな力が宿ったのかは解らない。

けれどまあ、こうやって人助けできるなら、少しは人生に楽しみが見いだせるかもしれないと。

そう思った。

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