猫の森

猫の暮らす森。

そこは世界中から集まった猫たちが、平和に暮らす猫たちのためだけの楽園だった。

猫を狩り、捕まえ、殺し、売りさばく。

そんなことが許されているこの世にとって、これほど幸せな国はないと言える。

「今日もいい天気だにゃあ~」

我は城のバルコニーから城下を見下ろしていた。真昼の天気が良く、猫たちが家の屋根で日向ぼっこをしているのがよく見える。

我も屋根の上でぬくぬく出来たら、どれだけ気持ちよく喉を鳴らしていたことか。

バルコニーで、しかもすぐそこが仕事部屋だという景観が我の気持ちよさを半減させていた。

「陛下、お仕事はどうされましたか?」

だがそれを邪魔してくる猫が一匹。

ケットシーの秘書が、我の楽しみを妨害してくるのだ。

「何にゃ、シルバ。我は今ここで日向ぼっこをしているのにゃ。邪魔するにゃ」

「しかしです陛下。机の上にたまっているあの書類。一体どうするおつもりで?」

「うにゃ……」

そちらに視線を向けると、正面の扉が見えないほどに積まれた書類が山となっていた。四月のぽかぽか陽気に合わせて祝日を連続させて作ったというのに、我にその権利がないと申すか。

「嫌にゃ嫌にゃあ~。我もみんなと一緒に休みたいのにゃあ~」

「ダメです陛下。城下の猫たちが休んでいる間も、城の猫たちは皆、国のために働いておいでです。かく言う私も、彼らと同じく陽にのんびりと当たりたいと思っておりますが、そうも言ってられないのが政。私たちが仕事をさぼれば、この平和な森が、国が停滞なさってしまうのですよ」

「うう~……」

身体を伸ばしながら、陽の温かさに眠気を感じながら、それでも部屋の中の書類を見なければならないという仕打ち。たかが猫叉になっただけの我に、何故このような雑務をしなければならないというのだ。

「嫌にゃあ~」

「陛下、お気を確かに」

そう言って我の二つ尻尾を両手に持って引っ張るシルバ。爪を立てるもバルコニーから引っ張り出されて、抱え上げられて椅子に座らさせられる。

「うにゃあ~」

「この仕事が終われば、陛下は今日一日お休みなのですよ? 私なんて一日も休めた記憶がございません」

「にゃにっ? それは真かにゃッ」

「はい。かれこれ数年は休みを頂いておりませ――」

「お前の休みなんてどうでもいいにゃ。この仕事を終わらせれば、我も休んでいいのかにゃっ!?」

ビキッとシルバの表情が固まる。何故にそうなっているかは定かではないが、それが本当なら話は別だ。

「よーし。頑張るにゃっ」

にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃッッッ!

山と積まれた書類に目を通し、まとめ上げ、可決および否決を成すサインを一筆し、城下の猫たちの要望を吟味し、新たな法案を作り上げ、これまでの法と矛盾が無いかを精査しつつ、我は無我夢中に仕事をこなしていった。

「我はやればできる、我はやればできるッ」

「……何故最初からそうしないのですか……」

書類の山がみるみる減っていき、二時間かけてようやく終わらせた書類の整理。

「はあ……はあ……これで文句を言えまい」

「流石ですね」

我のまとめ上げた書類に目を通し、称賛の声を上げるシルバ。

「早急に資料を作成し、案の進行や、改善点を実施いたします」

「よろしくにゃ……伊達に我のお忍び散歩も悪くないにゃろ?」

「左様で」

城を抜け出して、自身を普通の猫と変わりなく変装させ、猫たちの声を収集していたりした。仕事をさぼっているだけじゃない。散歩がてらに、勿論そういったことは欠かさないのが我なのだ。

盗み聞きも存外楽しいし。

たまに我の悪口や不満が聞こえるときがあるが、耳を塞いで無視している。

人の話を全然聞かないですねっ、とシルバに説教される時の癖かもしれない。

でも聞きたくない。そんな辛気臭いもの。

「それじゃあ我は出るっ。さらばにゃっ」

「あ、陛下っ」

王の服を脱ぎ捨て、我はバルコニーから飛び出た。太陽が傾いた空を軽快に飛び跳ね、我は城下へと飛び下りる――。

「陛下っ、緊急事態ですっ」

扉を開け放って慌てて入室してくる警備猫の声に、我の身体は空中でピタリと止まった。

その場で腰を下ろしてストンと座り、首だけを動かして警備猫を見る。

「何だ? 我は今とても楽しい気分で遊びに行こうと思っていたところだ。どうでもよい話なら貴様の首を切り落とすぞ」

「ひにゃっ……」

ビクッと震える警備猫。縮こまる彼を見て、我はふっと自我を取り戻す。

「ごめんにゃ。どうしたにゃ?」

調子を戻してそう問いかけると、警備猫がたどたどしく言葉を口にした。

「にに、人間が……人間側が領内にっ――!?」

最後まで口にすることなく、我の殺気にあてられて警備猫は失神してしまった。

シルバがため息を吐いて、警備猫の傍にすぐ寄っては、彼を支えて床に寝かした。

「ダメですよ陛下、殺気を放っては」

と、警備猫の身なりを整えていった。

「人間だぞ? 人間は殺す。我が領内に入ったことを後悔させてやる……殺しても殺したりない害虫どもが」

魔力を放つ。

ここから数キロにも及ぶ範囲で、森全体を覆い尽くすほどの魔力を。

「いた……」

しかも猫が一匹囚われの身になっている。

人間はそこから一歩も動いていないが、猫の安否が不確かだ。

今すぐに救出せねば。

「出るぞ。そこの若いのは任せた」

「かしこまりました、陛下」

シルバが礼をした。

心なしか、身体をふるふると震わせている。

どうでもいい。

魔力を解放し、その場から移動した。

景色が横殴りにされていくのを気にも留めず、森の中腹当たりの場所へ数秒もかからずに。

人間を見つけた。

すぐ近くには声をあげる猫がいる。

「殺す」

目標を定め、爪を出した。

竜をも殺した我の爪だ。人間の首なんぞ砂のように消し去ってくれる。

「だめええええええっ」

ビタアアアアアアアッ、と。

猫が手を広げて立ちふさがるのを、我は寸でのところで止めた。

途轍もなく勘の鋭い猫だ。

「そこをどけ」

威圧する。

身体を大きく震わせて。明らかにガクガクと解るほどの振動をさせる彼女。けれど我を見て、射貫くような視線で。

「この人は私のお友達ですっ」

「……にゃに?」

ボロボロになった庶民の服の人間。

けれど小綺麗な髪と顔立ちが気になった。

空気中の魔力と、彼女、そして人間の小さなメスを見て。

「人間に魔法を使ったな?」

歯を鳴らす雌猫。

「それに友達だと?」

人間と関わるな、人間を助力する魔法は使うな、人間を領地内で見かけたらすぐ殺せ――。人間に関する法律は、猫たち全員で決めた厳然たる、そして重い法だ。子供だから殺さないなんて融通は利かせない。人間は等しく殺すのだ。

「罰として、お前には『爪とぎの刑』をやろう」

研いだ爪で受刑者を試し斬りする刑だ。人数は問わない。誰でも、誰もがやっていい、この国では一番重い刑。

「我の爪は特別だ。慈悲として一撃で仕留めてやろう」

近場の木を利用して爪を研ぐ。爪を樹皮に滑らせたと同時に、その木は容易く倒れてしまった。

「刑を執行する」

と、爪を彼女に伸ばした直後。

「なんだ?」

人間のメスが両手を広げて彼女の前に出た。

涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。粗相だってしていた。

「そうだな。まずはお前から――」

「王様やめて下さい、お願いです、やめて下さい……」

更に飛び出て我の腕を掴み、女を護る雌猫。

そして今度は人間が、雌猫をぎゅっと抱きしめる。

「……意味が解らない。何故人間を護る。して、何故その猫を護る」

我に視線を向けてくる人間。

雌猫よりも大きい身体。

我よりも小さい身体。

「人間は等しく殺す。生きる価値のない生物に慈悲すら必要ない。一瞬だ。一瞬で片を付けてやる――」

「この子はっ」

雌猫が叫ぶ。

「森で一人で孤独だったのっ。泣いてたのっ。とても悲しそうに泣いてたの。私たちみたいに涙を流して、孤独に泣いてたのっ」

「だから何だ?」

「私も一人だったから解るのっ、辛そうだったっ、苦しそうだったっ」

「我の国に孤独はあり得ない。皆仲良く暮らす。そういう国だ」

「毛色が変だからって、尻尾がないからっていじめられてたっ、いつも一人だったっ、でもこの子はこんな私を綺麗だって、可愛いって言ってくれたっ。嬉しかったのっ」

渦を巻いていた。身体の中心に向かって渦巻く波。まるで貝。そして尻尾もほんの数センチしかない。

そして。

肘から先が無い人間のメス。

「…………それで?」

「人間は皆が悪いばかりじゃないっ。ずっと思ってたっ。猫にも悪い猫がいるからっ」

悲痛な叫びだった。

「……………………」

我は耳を動かす。

この耳は飾りか?

「……そうだったかにゃ」

爪を引っ込める。

魔力を引っ込める。

二人が我から離れて、その場に尻餅をつかせた。

二人仲良く一緒になって。

「…………」

街の中心に意識を向けた。

そこには大きな像が立っている。

この国を作り上げた、初代の王を。

彼はもっともっと、我よりも凄かった猫だ。

「……少し興味が湧いたにゃ」

この猫と人間の関わりを。

少し見てみたいと思った。

我は国一番の変わり者。

オッドアイにゃから。

「我が面倒を見るにゃ」

「え?」

雌猫が目を点にした。

「我はお忍びが大好きにゃ。これくらいの事、どうってことないにゃ」

人間の腕の中で、ひっくり返って腹を見せる雌猫。

女児は今も、我を睨みつけていた。

「我の背に乗るにゃ」

魔力で身体を大きくして、彼らに背を見せる。

顔を見合わせる二人。

「さっさと乗るにゃ。それとも、ここで死ぬにゃ?」

そう言うと、雌猫が慌てて立ち上がって、我の背に女児を無理やり乗せて、自分も乗った。

「それじゃあ行くにゃ」

魔力で二人を護り、飛び上がる。

負荷がかからないようふわりと飛び上がり、森を見渡せるところまで上がる。

女児が叫んだ。

愉しそうに、楽しそうに笑った。

「……ふんっ」

気に喰わない。

けれど我慢じゃ。

この二匹の行く末が気になったのだから、少しは我慢するべきだ。

我慢するなんていつ以来だろうか。

少しワクワクする自分がいることに気づいた。

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