我が家にエルフがやってきた
エルフ。
イメージとしては、眉目秀麗で、長寿で、森と共に生き、果てる。そんな感じだろう。
しかし、そのエルフが現代の世界へと迷い込み、人間とともに共存していたとしたら、どうだろうか。
夏休み。
「幸助、夏休みの宿題終わったの?」
「まだ~」
僕たちの家に住んでいる一人のエルフの少女。
その容姿は漫画の中でも表現されている通りの綺麗な姿だった。ひとめぼれだった。
年齢はすでに百五十年を生きているという。
千年生きられる彼女にとって、僕の百年以下の時間なんてなんてあっという間だろう。
「小学校なる学び舎の宿題でしょう? やっておかないと、大人になったとき苦労するよ?」
この世界とは別の世界から飛ばされてきた彼女。
裏山で気を失っていたところ僕が見つけて、お母さんに言って家に連れて行ったのだ。
初めは警戒されてちゃんと話が出来なかったけど、今では僕とすっかり仲良しだ。
「長く生きるエルフに言われてもあんまりぴんと来ないなあ」
人間でいう十五歳の年齢だ。
それこそ少女に相応しい年齢だというのに、大人になるというのがあまり想像できない。
「中学生になったとき、授業がチンプンカンプンになって落ちぶれちゃうよ? 私、頭のよくない人って嫌いだから」
「じゃあこれ解るの?」
算数の問題集を手渡した。正直、すでに僕にはよく解らない。
「うーん、円の面積を求める問題ね。それなら――」
そしてすらすらと解いていくエルマ。
「これでいい?」
答えを確認してみると、正解だった。
「じゃあここは?」
「これは……こうね」
そしてサラサラ解いてしまう。
「せ、正解……」
「私も地球の知識を勉強したからね。向こうには無い知識ばかりで楽しくて仕方ないわ」
と、目をキラキラさせてそう言う彼女に、僕はたじろぐ。
「そ、そうなんだ」
「中学校とか高校の教科書も漁って勉強してみたけど結構楽しかったわ。でも難しかったわね。小学生の問題をしっかり解いておかないと全く解らないわ」
と、ボクを見てくる。
「今はまだ簡単な問題ばかりだけれど、中学生になると一気に難しくなるから、やっておかないと本当に大変よ?」
じっと見てくる彼女に、僕は頭を抱えて。
「…………わ、わかったよっ、やればいいだろやればっ!」
と大きく声に出して、勉強机に向かった。
椅子に座って、鉛筆を持つ。
問題集と教科書を開いて、最初の問題から解いていく。
既にちんぷんかんぷんだった。
「ほらね、言った通りでしょ?」
「そ、そうだね……」
「私が教えてあげるから」
「う、うん」
すぐ隣にいるエルマにどぎまぎした。花の香りが彼女から漂ってきて、ついバレないように嗅いでしまう。
「幸助はまず面積って解る?」
「うん、縦×横の事でしょ?」
「じゃあ体積は?」
「高さがあるってことだけど、面積もよく解んない」
「一言で言うと、面積は広さ、体積は大きさね」
「広さ? 大きさ?」
「そう、ここに四角を書くでしょ?」
ノーとの開いたところに二つの四角が描かれる。
「こっちとこっち、どっちが大きい?」
「こっち」
「じゃあ何で大きく感じるの?」
「見たら解るじゃん。こっちが大きいもん」
「じゃあこれがどれだけ広いんだろう?」
「わかんない」
「じゃあこうしよう」
小さい方に縦横一メートル。
大きい方に縦横二メートルを書き込んだ。
「これでより大きい方が解るね」
「うん、解る」
「この時の、この四角の中はどれくらい広いかな?」
「どれくらい?」
「そう、この部屋の床を見て、この部屋って少し広いけど、見た目だとどれくらい広いのか解らない。この部屋の広さを誰かに伝えるとき、『大体これくらい広い』なんて言い方しても伝わりにくい。そういう時に、数を使って伝えると解ってもらいやすいってわけ」
「数字を使う?」
「そう、一メートルってどれくらい長い?」
「僕の身長と同じくらい」
「それが一メートルなら、他の人もイメージしやすいでしょ?」
「うん」
「じゃあこの床の広さや、この絵の広さを伝えるとき、どれくらい広い床なのか解るでしょ」
「うん」
そして答えを出す。
「これとこれ、どっちがより大きいのか解りやすくなったね」
「一と四……三くらいこっちの方が大きい」
「比べやすくもなったね。これで他の人は、この絵がどれだけ大きいかイメージしやすくなったね。少しは解った?」
「うん」
「じゃあ今度は体積――」
と、さっきと同じ要領で説明してくれた。
お母さんやお父さんみたいに、こうなってこんな感じ、みたいな説明ではない。
頭の良いクラスメイトが、理解すると頭がパッと閃くようにサッパリする、なんてことを言っていたけれど僕にはそれがない。他の人と比べて頭が悪いんだなあって、つくづくそう思う。
「算数なんて、口で説明できるほど便利なものじゃないわよ? 解らなくて当たり前だし」
「ええ?」
僕は自分の耳を疑った。
「だって数字だけみても、この部屋ってどれくらい広いって、見てみないと解らないもの。解らなくて当然なんだよね」
「わ、解らなくて当然って」
「一とか二で表現して伝えるのが算数だけれど、実際に見てみないと解らないのが想像だから、一言で算数とか数字とか、それこそ面積とか体積って言われても解るはずがないもの」
そしてケラケラ笑うエルマ。
「だから無理に解らなくていい。こういうのがあるってことを解ってさえいればそれで十分よ。不意に訪れるものよ? 理解ってのはね」
トンとおでこをつつかれた。
おでこに触れて、僕は顔を赤くさせる。
「じゃあ、何処から勉強すればいい?」
「そうねえ……小学一年生位からやり直したらどう?」
「ええ……」
「解るところはサクサクッと解いて次に行けばいいのよ。解らない所は、解るまでやるか、それとも時間を置いてからやるか。それでも全然違うし。詰め込みは駄目よ、頭パンクしちゃうから」
「う、うん」
「ちょっと休憩しましょうか」
僕の手を引いて、リビングへと連れられた。
「エルマちゃん、幸助の宿題はどう?」
皿洗い中のお母さんが振り返って言った。
「頑張ってますよ。まだまだ山盛りですけど」
「そうなのよお。この子極度の勉強嫌いというか」
と、小馬鹿に言うお母さんに僕はカッとなって――。
「勉強嫌いではないですよ? 詳しく説明したら、あれは何とか、これは何とか色々訊いてくれるので興味はあるんだと思います」
エルマが間に入りそう言った。
僕の手を握って。
たちまち怒りが落ち着いていくのが解る。
「そう? ならエルマちゃんに先生として任せちゃおうかしら」
「任せてくださいっ。テストで百点を量産させちゃいますよ」
と、小さな胸を張ってそう言うエルマ。
自信満々な言葉に、僕は少し不安になる。
「あ、そう言えば、冷蔵庫にプリンがあったわね」
「プリン? って何ですか?」
「ふふっ、食べて見たら解るわよ。幸助、出してあげて」
「はあーい」
冷蔵庫を開けて、引き出しからプリンを取り出した。そして小さなお皿を二つ、テーブルに並べて、そこの針と折ってプリンをお皿の上に落とした。
「わあ、プルプルしてるっ。スライムみたいっ」
可愛い♪ とプリンをつついては、上に乗ったカラメルを指で上品に食べていた。
「あまっ、おいしっ」
「これを一緒に掬って食べるんだ」
スプーンを手渡す。
エルマはそれを器用に使って、プリンの山を掬ってちゅるんと口に含ませる。
「んんっ~~ッ!」
そして顔をアニメの絵文字みたいにしてプリンの味に堪能していた。
二口目を口に運んで、カラメルがない分甘味は控えめになっているが、それでも美味しそうに食べている。
そして次々と掬っては、すぐに空にするお皿。
「これ、何が入ってんだろうっ!」
机に置いた空の容器を手に取って、まじまじと商品欄を見ている。
「加糖練乳、砂糖――」
一通り読み終えると、エルマは冷蔵庫を漁りだす。
「練乳は無いから牛乳でえ、砂糖とお、卵、塩~……」
と、意気揚々と準備を始める。
「えっと、エルマちゃん?」
「はいっ?」
「もしかしてプリン作ろうとしてる?」
「そうですけど?」
「作れるけど、すぐには無理よ?」
「大丈夫です。完璧に再現できませんが、似せるなら簡単ですから」
「か、簡単?」
そして材料を机に並べるエルマ。
一張羅を汚さないようお母さんからエプロンを借りて、彼女は何かを呟き始める。
「~~~~、~~、~~~」
彼女から放たれる不思議な力。
目には見えないけれど、それがそこには『在る』と思わせられるには十分すぎる。
そして材料の周辺に、魔法陣が浮き出て。
「~~~~ぷりん」
最後のだけは日本語でしっかりと聞き取れた。
そして必要量で作られたプリンが、お皿の上にちょこんと乗っていた。
「うそお~」
お母さんは目を点にして声を上げていた。
反面、僕はワクワクした気持ちでエルマを見ていた。
「すっげえ~っ」
全く同じの色合いと形をした、正真正銘のプリン。
「一口だけもらっていい?」
「いいよ。後で幸助の分も作ってあげる」
食べてみると、味もそのままでそっくりだった。
「おいしいっ」
「でしょお? 食べたとおりの味をそのまま再現してみたからね。まんまその通りってわけにもいかないけど」
「でも全く一緒だよっ!」
エルマもプリンを食べた。
「やっぱり違うわ。味が薄いもの」
「それはそうよ。それは店で買ってきた加工のプリンだもの」
「かこう?」
「普通の手作りとは違うやり方で作られていることよ」
「それは素敵ね。また今度調べてみますね」
ニコリと笑った。それを見て、お母さんの顔が少し引きつっていた。
エルマはそれに気づかず。
「おいしっ♪」
と口にしていた。
「ねえエルマ」
「うん?」
エルマがプリンを口元に付けて振り返る。
「僕も魔法使えるかな?」
「無理ね」
「ええっ」
「だって魔力を持っていないんだもの。でも尽力するわ、勉強を頑張ってくれたご褒美に」
「じゃあやる、絶対にやる。やりきってやる」
「その意気よ。私が元の世界に帰るまでに習得できるといいわね」
「え?」
それを聞いて、身体が固まった。
頭が真っ白になり、胸がぎゅっと締め付けられる。
「や、やだあ」
「ん?」
涙がポロポロと出てきた。
「エルマとずっと一緒がいい~」
ぎゅっとエルマに抱き着いていた。何処にも行かせないと言わんばかりに思い切りぎゅっと。
「駄目よ幸助。エルマちゃんにも帰る場所があるんだから」
「いやだあっ」
「幸助っ」
「良いんです、お母さま」
エルマが僕を抱きしめてくれた。少しだけ安心する。
「幸助が大人になるまでに帰れなかったら、ちょっと考えてあげよっかなあ」
「じゃあ変える方法を考えるのを遅くして、絶対に遅くして」
「あはは~、エルフは基本ゆっくりだからね~。多分向こうも私が居なくなったことに気づくまで結構時間がかかると思うよ? 時間に対する認識がおかしいからね。そもそも帰る方法が見つかれば御の字くらいだし」
「エルマが居なくなるの寂しい」
「じゃあその時はその時で考えようかなあ」
お母さんがため息を吐いて頭を掻いていた。
僕が落ち着くまで、しばらくの間エルマはそうしてくれていた。
「ねえ、エルマ」
「なあーに?」
僕のベッドの上でポテチを食べる、少し太り気味のエルマがいた。
あれから五年。
エルマは人間に扮して資格を取ったり、創作を始めたりして――今では彼女の漫画はSNSでバズって人気を博していた。
僕はというと、絶賛テスト期間中で机にかじりついていた。
「いつ頃元の世界に帰るの?」
「もう少ししたらねえ」
そんなやり取りがもう半年近く経過している。
というのも、半年前には元の世界への通路を完成させたエルマ。すでに世界の先への大地を確認している僕も、エルマと離れ離れになるんだと怖かった。エルマはこの世界の住人じゃない、帰る場所があるんだと、割り切るしかなかった。
そう覚悟していたのに。
何故か今もここに住み着き、こうしてベッドで菓子を食べるという体たらくを見せている。
あの頃の一張羅ではなく、兎の耳が付いたフードのピンクの普段着で。
「少し痩せたら?」
「それは行っちゃダメなやつだよお?」
僕のクローゼットに収められた、異世界の服。
あの時のスリムだったエルマの姿は今はない。
少々肉のついた体型である。
「僕、エルマの事好きだよ?」
「私も~」
想いはすでに告げている。半年前には。
取り合えず受け取ってもらえたけど、付き合ってはいない。
どうもその感覚がエルフにはズレが生じているらしく、僕を気にはしていても異性として好きかどうか曖昧だそう。異世界人に恋愛するんじゃなく、この世界でやれ、という返答さえもらっているくらいだ。
曖昧なまま、曖昧な関係を続けている。
「じゃあ率直に言うけど、エルマって太ったよね」
「言わないでって言ったよねっ」
キッと視線を向けてくるエルマ。
僕と初めて会ったときは四十六、七キロくらいだった体重も、今では六十五から七十の間を行ったり来たり、無駄な贅肉が随分とついてしまっていた。
「あの頃の細くてきれいなエルマが見たいなあ」
と、勉強の片手間にダイエットプランを書き込んでいる。効率的な体重減と食事制限を考えていた。始めるのは僕のテスト期間が終わった後だ。大学受験のための勉強もあれだが、エルマに教わっているのあって随分と余裕を持てている。
「今この中にプランを作っててさ」
ノートを見せた。
端から端までびっしりと書き込まれた文字を見て、エルマは嫌そうにしていた。
「別にいいじゃない。今の体型になっても、エルフの美しさはそうそう変わらないわ」
「ふーん」
ノートを閉じて、ベッドに座った。
「今のエルマは、人間と照らし合わせたら大体十五歳、身長は百五十三センチ、体重は六十八キロ。同年代の女性と比較しても、太ってる方だよ。しかも最近ほとんど運動してないよね? このままだと太る一方だよ?」
「別にいいでしょ? 見せる相手がいるわけでもないし」
「僕がいるじゃん」
「うーん、弟って感じ?」
「せめて恋人って言って欲しかったかも」
「付き合ってないじゃない。好きと言っても家族愛みたいな感じだから、恋愛じゃないわよ」
「ときめいてほしい。もう同年代みたいなもんじゃん」
「私よりも年下じゃない」
「くっ、年増には勝てないか」
「なんか言った?」
「何にも」
ギロリと向けられた視線。そして漫画とポテチに視線を戻して、ゲラゲラ笑っていた。
太った。
とはいえ、僕にとって可愛いには変わりない。
脚をぶらぶらさせて寝転がる彼女。
上から覆いかぶさって抱き着いてみた。
「……なあに?」
にっこりと笑うエルマ。
そこまで怒ることないじゃん。
「別にいいじゃん。減る物でもないし」
「私のリラックスメーターが減っていくわ」
「それは残念だ。僕の男気メーターが上がっていくよ」
「変態、死ね」
「辛辣になったねえ」
指先を振るい、ポテチと漫画を机の上に動かす。ベッドの上に転がる少しの食べこぼしも風で飛ばしてゴミ箱の中へと放り込んだ。
「ちょ、何すんの」
「甘えてる」
背中に張り付いてぎゅうッと抱き着く。エルマはバタバタ暴れて僕を引っぺがそうとするが、絶賛身体強化中である。エルマも身体強化しているが、これに関しては僕の方が上手い。
「ほんっとやめて、うざいから」
ぐいぐい押して僕を離そうとするエルマ。
「……じゃあもういい」
拗ねることにした。
「家出する」
「はいい?」
クローゼットから荷物を取り出して、服を入れ込んでいく。
「ああもう」
そう言って、僕を後ろから抱き着いてきた。
「私、あなたのことが好きよ。大好き――これでいいかしら?」
投げやり気味にそう言う彼女に、僕はとりあえず頷く。
「うん、それでいいよ」
と、彼女の手を掴んだ。
「…………」
しかし、彼女から反応がない。
「エルマ?」
後ろを振り返って彼女を見る。
「えっと……」
そして顔を赤くさせている彼女がいた。
「ど、どうしたの?」
「な、何でもないわよっ」
僕から慌てて離れると、ベッドに潜り込んでしまう。
お腹のあたりをもぞもぞさせてもいた。
「エルマ?」
ベッドに座って、布団の中から聞こえる彼女の声に耳を傾ける。
「な、なんで今? てかなんでこんなにもドキドキするの? え、おかしいよね? そんなことないわよね? だ、だってあの子は今も子供で、世話の焼く人間で……好きとかそんな、え、え?」
そして、顔から少し顔を出して僕を見ては、またも顔を赤くして布団に潜り込んだ。
「ダイエットする」
「ん?」
またも布団からひょっこり顔を出して。
「ダイエットするから手伝って」
そう恥ずかしそうに。
「勿論」
僕は即座に答えた。
彼女の『返事』は、そう遠くないかもしれない。
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