呪力と呪術師

言霊。

その言葉を口にすると、あたかも意志を持ったかのように言葉の通りに物事が進むことを意味する。極端に言えば、自分はバカだと言い続ければ、本当に馬鹿になってしまうような感じだろうか。必ずしも起こるとは限らないが、日本では古来よりその言霊の力が信じられてきた。

オカルトや宗教、占いやスピリチュアルが否定的に捉われる反面、肯定的にもそうした力が存在することは認知されているのも事実。

そんな曖昧で、あるかもないかもしれない霊的なもの。

言霊。

彼女にとっては、それは不幸でしかなかった。

「……」

私は一人だ。そう独りだった。

私には友達が居ない。知り合いもいない。誰もいない。

私の周囲には誰もいない。

帰りのホームルームが終わり、全員が各々帰り支度をする中で。

私は一人、窓の外を見ていた。ゆっくり帰ろうが早く帰ろうが私には関係ない。別段私を気にする人間は誰もいないから。

だって、私がそうしたから。

「ねえねえ、今日は何処へ行く~?」

クラスメイトが別のクラスメイトに話しかけては教室から出ていく。

少しずつクラスから人が減っていくのを、私は観察していた。

腹の中では何を考えているのかも解らない相手を、そうやって馬鹿みたく信じている彼ら彼女らを見ていると笑えて来る。この高校生活の三年間を終えれば、私たちはほぼ全員全く違う道を歩み始めるのだ。仲良しこよしをしたところで何の価値もない。

「……」

がらんとした教室内。

此処に居るのは私だけ。

誰もいない教室で、私一人だけが残っている。

鍵は開けられている。

あくまで私に対する関心を捨てさせただけだ。

「……」

もう一度窓を見た。

少し赤らむ外の景色。

日の入りが早くなってきたせいか、暗くなるのも早い。

けれど私には関係ない。

襲われることも連れ去られる可能性も万に一つないのだから。

「……」

少しだけボーっとしてから、荷物を片付け始める。

正直勉強をすることすら意味があるのかと言わんばかりの私の力。

口にするだけで何もかもを操ることのできる力。

言霊、なんて仰々しい言葉は使わない。

悪魔の力。

私はそう呼んでいる。

「……」

静かだった。

けれど、私が一言「音よ鳴れ」と言えば。

校内放送が少しして突然始まり、校長先生の当たり障りのない独り言が始まり、そして最後には適当なクラシック音楽が鳴り続けるのである。

「五月蠅い、静かにしろ」

と言えば、一気に放送が鳴りやみ、外から聞こえていた若干の生徒たちの声も消えうせる。話し声が消え、皆黙々と学校の敷地外へ歩き、私には確実に聞こえない所まで行ってようやく話し始めるのである。

「……」

こんなの何がいいというのだろう。

こんな規格外の寂しい力。

生まれた時から身に備えたつまらない力。

こんな大層なもの、こんな重苦しいもの、私は要らない。

要らないんだ。

「あの」

突然声を掛けられた。

振り向くと、そこには一人の男子生徒がいた。メガネをかけた、いかにも真面目そうな生徒が。

「……何?」

必要最低限の言葉を投げかける。

「あの、その……」

歯切れの悪い生徒だった。

どれだけ家に帰る必要が無かったとしても、私はあの家に帰りたいのだ。それを邪魔するのは許せない。

けれど言葉にはしない。

早くしろとか言いたいこと言えとか絶対に口にしない。

こんなことで力を使いたくない。

「……」

「えっと、その……」

「うん」

「だからあ……」

「うん」

「えっとお……」

「うん」

「そのお……」

「うん」

「……好きです、付き合ってくださいっ」

「……うん?」

言われて、首を傾げた。

いきなり何を言い出すんだろうか、と。

私とこの人は初対面だ。私は彼に会ったことも話したこともない。興味抱くことも興味を抱かれることもない。なのに彼は私に好きと言った、付き合ってほしいと言った。

意味が解らない。

「……何故?」

これは訊く他なかった。

何故好きになったのか、何故私と付き合いたいのか、何故興味を抱いたのか。

そもそも何故。

私の力の影響を受けていないのか。

「一目ぼれで、ずっと見ていたというか」

「……うん……それで?」

正直気持ち悪かった。

「この気持ちを抑えきれなくて、あなたに告白しましたっ」

と、全力投球で告げてくるその理由。

ずっと見ていたというのが何とも気持ち悪い。それなら私に声を掛けるなりすればいいのに、ただ見ているだけとか、私はフィギュアか何かだろうか。会話すらしたことない相手にいきなり告白とか、むしろ失礼ではなかろうか。

「その想いに応えられないわ」

正直に言った。

「もう私のことは好きにならないで。そして二度と関わってこないで」

そして唐突に、赤らめていた頬から色を抜いて、顔から表情が無くなっていく。

「解りました」

冷たい表情。

私が言うといつもこうだ。

そしてそのままこの場から離れていく男子生徒。

私は俯く。

「ほんと、最悪」

「そうだな。ほんとに最悪だ」

「っ!?」

声が聞こえたが、そちらに振り向く前に、身動きを封じられてしまった。

唐突に、突然に、私の身体が何か光り輝くロープによって首元から足先まで拘束されてしまったのだ。口も塞がれ、私は成すすべもなく囚われてしまう。

「これは本当にすごい力だ」

ふっと、私の背後から歩いてきた男が一人。

この学校の制服を着た、私のクラスメイト。

「今日一日、お前の様子を見ていたが、まさかここまでとは思いもしなかった」

その顔が崩れ、知らない青年の顔へと、身体へと変化していく。

意味が解らない。

何故こんな状況になっているのか、何故私は狙われたのか、、成り代わった彼は何処にいるのか。

「ああ、顔を借りたこの子は家にいる。熱を出しからな。タイミング的には良かった、とはいえ僕の仕業だけど」

青年が自慢するようにそう言った。

そして私を見る。

「それにしてもすごい力だ。言葉を発するだけで発現する呪力なんて初めてだよ」

じゅ、呪力? 何それ。

「僕も相当力を使わないと簡単に君の力に蝕まれていたよ。防御術式を使用したにもかかわらずだ」

一体彼はさっきから何の話をしているのだろうか。

「君は危険な存在だ。ここで消しておかなければ世界が破滅する」

目を開き、彼を見た。

身体に力を入れ脱出を試みるも、身体に巻き付くロープはビクともしない。

あまりの恐怖に涙が込み上げてくる。

「死ね」

いきなりの死刑宣告。

私はぎゅっと目を瞑った。

ロープのしまりが強くなるのを感じた。

「ちょいちょい、気が早いよ佐藤君」

パチンと弾ける音と共に拘束が無くなる。口のロープはそのままだが、自由に身体が動かせるようになった。

「佐藤君はいっつもせっかちだねえ」

佐藤と呼ばれた目の前の男。

そして教室の外からガラリと入ってくるもう一人の男。こちらは佐藤と比べて中肉中背だった。

「途轍もない呪力をもった女ですよ。今すぐにでも殺すべきです」

「殺すだの滅ぼすだの、君は何処でそんな物騒な言葉を学んできたのかな?」

「どうでもいいでしょう彼女は死んで当然です」

「彼女は別に悪いことはしていないと思うんだけれど」

そして私と佐藤の間に入り込んでくる中肉中背の男。

「やあ、ボクは一条。しがない呪術師をやっていてね」

「しがないって、あんたほどの人間がそうなら、世の中の呪術師は全員ゴミですよ」

「五月蠅いよ」

「んぐ」

視えない力によってか、彼の口がチャックのように閉められて、一切話せなくなってしまった。口を必死に手でこじ開けようとしていたが、それには至っていない。

私を見る一条さん。

「うーん。傍から見て思ったが、やっぱり君はすごいねえ」

壁際に背中を預ける私。覗き込んでくる彼に、けれど顔を背けることしかできない。

「言葉で相手を操る、か。君、宝くじとか当てたことある?」

「……」

「そっかー、あるんだあ。でもあんまり使ってないみたいだね。募金しちゃったのかな?」

「……っ」

「別に悪いことじゃない。むしろ良いことだ。大金を得た人間はもれなくおかしくなる。お金の呪力ってのは恐ろしいものでね。簡単に人を狂わせるんだ」

「…………」

「世の中の全てはそうした力で働く。感情、思想、思考、性格、性質、様々な力によって世界が成り立っているわけだけど、とりわけ恐ろしいの人間が作り出す呪いの力さ。憎しみや怒りほど恐ろしい力は無い」

口元のロープをちょんと触る一条さん。

ロープが粉々に砕けて、口の自由が利くようになった。

「あなたは――」

「まだだーめ。君の力を抑えるための術式がまだ完成してないんだ。あと一分はお口チャックね」

私は小さく頷いた。

「よし」

そうして、姿勢を正して指を動かす。

途端に、私の周囲に広がる紫色の光。いや、すでに形としてほとんど出来上がっているのを見ると、ただ私が見えなかっただけか。

「へえ、見えるんだ」

一条さんが意外にもそう言った。

そしてパンと手を叩くと、紫色の光が私の中に溶け込む。

「ハイ終わり。もう喋っても良いよ。佐藤君もね」

ぷはあっと息を吐く佐藤。

そして一条さんに文句を言い始める。

けれど私は、緊張した面持ちで、言葉を口にしようか迷っていた。

「大丈夫大丈夫。何かあっても、ボクら、対処できるから」

微笑みかけてくれる彼に、何故か落ち着きを取り戻していく。

「え、あ……その場にしゃがみこんで」

そう告げた。

けれど、一条さんと佐藤は私の言葉を聞くことなく、その場で立ち尽くしている。

「あ、あ……」

初めてだった。

私がまともに言葉を発して、何も起こらないことが。

「よかよか」

一条さんはにこりと笑っていた。

不意に、涙が流れ出てくることに気づく。

「あ、ありがとう……ありがとうっ」

抑えることが出来ず、ボロボロ泣いてしまった。

「ね? 今回は悪い子じゃなかったでしょ?」

私の背中をさする一条さん。

温かい手だった。

「そんなのは結果論でしかないでしょうが」

「事前調査では何の問題なかったんだから、その通りだったでしょ」

「でも――」

「ボクの弟子が悪いことをした。謝罪するよ」

私は首を横に振った。

顔を上げることが出来なかった。

彼等に私の泣き顔を見られるのが恥ずかしくて。

「君さあ、ボクたちと来ない?」

「え?」

その誘いに言葉を失った。

「ちょ、一条さんっ!」

「最近呪術師の界隈も人手不足でねえ。でも問題は山積み。君みたいな優しい人が来てくれると嬉しいよ。それに、助けてみない? 君みたいに苦しんでる人」

「………え、えっと」

「別に今すぐじゃなくてもいいよ。明日でも一週間後でも。ボクは待つのが得意だし」

そう言って、私に名刺を渡してきた。

奇妙なマークの描かれた、黒い名刺。

「この界隈じゃあ、ボクって結構有名人なんだあ」

ヘラヘラと笑う一条さん。

立ち上がって、佐藤の所へ行く。

「じゃ、返事待ってるねえ」

そしてふっと消える二人。

「あ、え?」

そして気づく。

いつの間にか教室が元に戻っていたことに。

さっきまでは違和感にすら思わなかったが、教室が何か不思議な力に覆われて、聖域みたいな、神聖な場所へと変わっていたことに。

「な、なに?」

夕日が教室を照らしていた。

右手に視線を落とすと、そこにはあの黒い名刺がある。

「音楽鳴らせ」

しん。

校内に放送が流れることはなかった。

「近くにいる誰か一人、教室に来い」

けれど足音も何もしない。一分立っても誰も来ない。

「本当に、本当の……」

また涙があふれてきた。 

「……」

涙をぬぐい、名刺を見る。

そしてポケットからスマホを取り出した。


「あー寒、なんでこの場所なんですか」

学校の屋上。貯水タンクの上。

「いいじゃん、なんか雰囲気があって」

ボクは脚をぶらぶらさせながら、寒さ対策に呪力を発する。身体がポカポカしてきて温かい。

「ほんとに引き入れるんですか?? 僕は反対ですよ。あんな素人」

「君だって素人だったじゃないか。身体の異常な回復速度。そして視力の発達による目に見えないモノを見る力――ボクが助けてあげなかったら、今頃死んでたでしょ?」

「む、昔の話です」

「昔って、まだ二、三年前の話じゃないか」

「それでも昔は昔です。もう過去の話なんですから」

「カッコ悪いねえ、君は。そういう素直じゃない所が、ボクは好きなんだけれどね」

「な、何言ってるんですかっ」

「あの子もこっちに来るよ。痛みを知る者同士、仲良くしてくれると嬉しいな」

「だ、だからあ」

「ほら来た」

プルルルと鳴り響くスマホ。

佐藤君はそっぽを向いてしまう。

「はいはーい。こちら呪術師専門窓口、一条守の受付電話番号でございまーす。探し物から暗殺まで何でも請け負う万事屋でございますので、気軽にご依頼をおしゃってくださーい」

『……赤嶺宮子、です。さっき助けていただいた人、です』

「はいはい、赤嶺ちゃんね。ご用件は?」

『一条さんと、一緒に行きたい、です』

「おやおや、熱烈ですねえ、いきなり愛の告白ですかあ?」

電話の向こうで吹き出す声が聞こえた。

そして咳き込む音。素直で誠実でよろしい。ボクには愉しい限りだよ。

「冗談だよ、冗談。勿論歓迎するよお。力の使い方から呪術師のお仕事内容まで何でも教えてあげるから、そこは心配しないでねえ」

「わ、私にもできるでしょう、か」

「それをできるようにしてあげるのが、これからのボクのお仕事なわけ。ま、こっちの界隈は世間一般と違って一癖も二癖もある人がいっぱいいるところだけど、どうせ慣れちゃうから」

「な、慣れです、か」

「そそ、まあやって見れば解るよ。じゃあこっちで段取り決めるから、終わったらまた連絡するねえ」

「はい、ありがとうござい、ます。精一杯、頑張り、ます」

「うんうん、こちらこそよろしくねえ」

そして通話を切る。

スマホを結界内に片づけて、佐藤君に向き直った。

「ほらね」

「何がほらね、ですか。はあ、また僕の負担が増える」

「増えない増えない。任せるのはほんの少しだけだから。基本は僕が教えるよ。一年、いや半年で君に追いつかせてあげるつもりだから、うかうかしてると後輩に追い抜かれちゃうぞ?」

「そんな短期間できるわけないじゃないですか。僕は一年以上かかったって言うのに……」

「彼女、結構素質あるからねえ」

「……それで、彼女に呪術をかけた人間の件はどうなんですか?」

「話を逸らさないでよお。ま、彼女の母親に恨みを持つ友達だろうねえ。女の友情って怖い怖いっ」

「呪い掛け。やはり無くならないですねえ」

「まあ、人がいる限り当然でしょ」

「それを少しでも無くすのが僕たちの仕事でしょう?」

「まあねえ♪」

高台にあるこの学校。街を見下ろす景色が綺麗だった。

「この街は少し異常だね。呪いに溢れている」

「シーカーの仕業でしょうか」

「彼はこんな太祖れたことはしない。おそらくどっかの組織だろうね」

「これだけ呪いがあるなら、他の呪術師も気づきそうなのに」

「短期じゃなくて長期的なデッサンをされているからね。彼女のように。それが当たり前になったならもはや異常は異常じゃなくなる」

「途轍もない仕事になりそうです」

「それは間違いない。けれど、愉しみだよ」

「出た……めちゃくちゃしないでくださいよ?」

「僕がいつめちゃくちゃした?」

「いつもですっ。それも毎回っ」

「当たり前すぎて気づかなかったよ」

「それは逆にヤバいですってっ」

佐藤君の不平不満文句を耳にしながら、もう一度街を見た。

この街に漂う腐りそうなほどの汚い呪力。

これから起こることを思うと、僕はワクワク感が抑えられなかった。

「それじゃあ、はじめよっか」

「絶対に暴れちゃダメですからねっ」

彼の言葉を聞きながら、ボクらはその場を後にした。

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