雷神の気まぐれ

風神雷神。

災いや災害をもたらす神として恐れられていた神様だが、今では恵みの雨風をもたらす神様として深く信仰されている。

日本でとりわけ有名なのは、三十三間堂。

千一の千手観音様と、風神雷神様、そして二十八部衆の眷属様が立ち並ぶ姿は圧巻である。

国宝として認定されたこの三十三間堂。

しかし、今ではもはや聖地として、いや聖域として全世界から崇め奉られる場へと昇華していた。

「お、今日も大盛況じゃん」

三十三間堂の屋根の上から、いつもみたく見下ろすオレ様。

下界の人間どもがオレ様を見ては写真を撮ったり、膝をつく姿を見て取れた。これほど愉快な気分はない。下界へ降りて来たんだとより実感する。

『ヴァルナ、千手様の言いつけを忘れてはいけませんよ』

「わーってるよ。力を無暗に使うなだろ? それと好物のわらび餅。っけ、使い走りもいいところだぜ」

『下界は、我々神が気軽に下りられる場所ではありません。間違いを犯せばそれこそ世界が崩壊しかねないのですから』

「わーってるよ。千手には耳に穴が開くほど聞かされたからな」

『千手様ですっ。不敬ですよっ』

「不敬もクソもあるか、たかが菩薩だろ? だったらオレ様はアスラやアーディティヤの最高神――つまりトップだ。なのに『天』っつう格の低い位置に配属されたのは気に喰わねえ。嗚呼、ミトラや阿修羅と共に戦ったあの頃が恋しいぜ」

『それ以上千手様を愚弄するのは許しませんよ』

「頭がかてえなあ、ヴァーユ。んな形式ばった姿勢や態度がオレ様の性に合うと思ってんのか? 戦いに敗けたとはいえ、オレ様達に勝った奴らだ。敬意くらい抱いている」

『それをしっかりと示しなさいと言って――』

「ああもううっせえなあっ。どうでもいいだろうがそんなことはよお」

『どうでもよくありません。千手様、ひいては如来様方の品位を疑われしまうのです。仏界に身を置くものとして、それ相応の姿勢を示していただかなくては困るのですよ』

「だからかてえって言ってんだよ」

下の奴らに手を振ってやると、人間どもが歓喜の声を上げた。

「なあ? オレ様はオレ様として、こいつらに認められてる。それだけで十分だろ」

屋根から飛び下りて軽々と地に降りた。

オレ様との距離がさらに近くなったことで、信仰心を持つ奴らは涙を流し、そうでない奴らも、えすえぬえす? とかいう立札や旗みたいに周囲に情報を伝える技術で、オレ様の姿を示しているみたいだ。こういう時はノリに合わせて目線を向けてやればいいんだよ。

オレ様の存在そのものが神なんだから。

『はあ~……彼らが作った御神体がもったいないですね。もう好きにしなさい』

ヴァーユの応答が途切れた。しかしその視線は俺に向けられたままである。静観を見守るらしい。そっちの方がオレ様は好みだ。黙って見てろ。

砂利を踏み鳴らし、オレ様は敷地を出ていく。

オレ様を見るや否や、頭を垂れたり更なる歓喜の渦が巻き起るのだ。オレ様に興味のない奴らであっても、その視線はこちらに釘付けだ。これこそが神たるオレ様という存在力。嗚呼、最高じゃねえか。

みるみる人でごった返していく道中で、オレ様を中心に人だかりができていく。建物の中にいる奴らも、廊下に出てオレ様に機械を向けていた。

どこもかしもこ人だらけ。道行く人間がオレ様に興味を惹かれて集まってくる。

「あの、撮影いいですか!?」

と、若い女のグループが集まって飛び出てきた。がくせいふく、を着た修道生みたいな奴らが目をキラキラさせている。周囲を見ると、逆に目をギラギラさせてこいつらを睨んでいるが気になった。そんな下らねえ嫉妬を抱くなんて冗談じゃねえ。こっちを見ろ。

「ああいいぜ、どうせなら全員そうしてやる。希望のある奴はきな」

キョトンとする一同。

そして更なる歓声。

嗚呼、なんつう心地の良い空気だ。

この場に集まる人間どもと写真を撮りまくった。求められるがままに、写真を一緒に取り、一人でポージングもして撮らせてやった。頬に口づけだってしてやった。どんな奴らだろうが関係なくだ。

オレ様は人間が大好きだ。こんなにもおもしれえくらいに反応してくれるんならいくらでもやってやろう。

顕現したのは朝。そして今も続く集まりに昼を越す。それでも冷めやまぬ熱狂に、オレ様は最高に良い気分だった。

だからこそ、道端で俺に一瞥だけして通り過ぎていくあの女が気に入らなかった。

「おい、そこの女。オレ様を無視するんじゃねえよ」

他の奴らも一斉にそちらに向いた。

黒一色の洋服を着た女。きっちりかっちりとしたその服装。そして死にそうな顔をするそいつを。

「……私……?」

「ああそうだ。オレ様を無視するとはいい度胸じゃねえか」

「あなたなんて知らない。どうでもいいでしょ? 私、仕事なの、放っておいて」

「……あ?」

ふっと顔を逸らして歩き去ろうとするそいつが無性にムカついた。一瞬でも抱いた殺意を抑えた自分を誉めてやりたい。

オレ様が歩き出すと、人間どもがサッと離れて一本の道ができる。

女の肩を掴みこちらに向かせて顎を上げた。

「もっぺんいうぞ。無視すんなやクソが」

バチバチとイカズチが走る。

慌てて機器を片付ける一同。

何処かで悲鳴がいくつか聞えたが、そんなのはどうでもいい。

「言ったでしょう。私にはどうでもいいの。放っておいて」

手を払われた。

そして背を向け歩きだそうとする女。

イライラする。

このオレ様を差し置いて仕事だと? ふざけたことを抜かす女だ。

バチイッとイカズチを光らせて、女の身体に襲わせた。

ビクンと痙攣し、その場に倒れる女。

息を呑む音が聞えた。どうでもいい。

ぐったりとして、必死に息をする女。

「思い知ったか? カスが」

と、髪を掴んで上を向かせる。

だが驚いた。

敵意。

そして怒り。

オレ様に向けたそれを、けれど他の別に抱いたそれを。

「言いたいことがあるんなら言えや」

イカズチを弱めると、小さく咳き込んでからオレ様を再度にらんだ。

「なんで、なんで、私ばっかり……」

「あ?」

「上司も先輩も後輩もみんなクソだっ、みんな嫌いだっ。何もかも消えてなくなればいいのにっ」

と、涙をボロボロ流して罵倒した。

オレ様にではない、別の誰かだ。

そのかいしゃというものが、この女をこうしているのだろうか。

「へえ、じゃあお前の言う上司や先輩をぶっ殺せば、てめえはオレ様に目を向けると、そう言いたいんだな?」

「意味わかんないこと言わないでっ。できもしないのに善人ぶって私を見るなっ」

嗚咽交じりにそう言った。

悲痛に歪む声。

オレ様に相対してきた神どもが抱いてきた、怨嗟の声。

嗚呼、これはこれで心地が良い。あの頃を思い出す。

「じゃ、そうさせてもらうわ」

「やれるもんならやって……え?」

ようやっとオレ様を見た。

その視線がオレ様に釘付けになる。

髪を手放し、指先にイカズチを集める。

「さて、こいつの抱く怨嗟は……これか。はは、なかなかにぶっ飛んでんなあ」

このかいしゃは随分と穢れのたまった場所だな。これじゃあ一気に吹き飛ばすのが手っ取り早いほどだ。

「んじゃあ、やっちまってもいいよなあ?」

ニヤリと笑うと、女は血相を変えた。

周囲もまた、何かを期待するように、そしてまた畏怖するようにオレ様を見る。

「ま、お前らの持つ機械類を全部やっちまうだけだ。これだけでもう機能しねだろ?」

機械に依存する今の人間だ。全部の機械をパアにしちまえば、仕事仕事という暇もなくなる。

「ピンポイントだ」

パチンと指を鳴らすと、ここからほど近い場所に小さな雷がズドンッと落ちた。

一迅の光が建物を貫通し、中に存在する機械類を全て破壊しつくした。

周囲から聞こえる悲鳴。

そしてかいしゃから聞こえる混乱と怒号。

スッキリした。気分爽快だ。

「さて、これでかいしゃは仕事どころじゃなくなったな?」

手を差し伸べる。

髪をクシャクシャにした女がその手を取り、俺は彼女を立ち上がらせた。

「悪かったな。髪、こんなにしちまって」

イカズチを使い、髪を整えてやる。これで綺麗スッキリだ。黒髪のストレートってのは中々に美しさを感じるのが神秘だな。

「ああ、壊れた機械を直してやる」

神の手に掛かれば、壊れたものくらい簡単に修復できる。

新品同様になった他の奴らの機械を尻目に、俺は目の前の女の髪をかき上げた。

「結構綺麗な顔してんな」

「は、はひ……?」

顔を赤くさせていた。可愛い奴め。

「こいつはちょいとした罰だ」

額に口づけをしてやる。

ビクッと震える女。

これで加護は十分だ。

「くはは」

トンと飛んで、俺は宙に立つ。

「俺はヴァルナ。ミトラに並ぶアスラの最高神。これより、至極真っ当に愉しい断罪を開始しようっ」

穢れがそのかいしゃと同様に溜まりきっている場所を探し当てる。その数、数十以上――数百以上。

「もっともっと面白い世界へと変えてやる」

パチンと指を鳴らした。

各所に落ちるまくる無数の小さな雷。

混乱と怨嗟と怒りと――嗚呼、これこそがカオス。

懐かしい。

「ヴァルナッ、やりすぎですッ」

と、堂からヴァーユが飛び出してきた。

更なる歓声。

「ああヴァーユ、待ってたぜ」

「貴方という神は……今日こそは許しませんよッ」

「おいおい、こんなところでどんぱちしてもいいのか?」

「しませんッ、是非ともこの拳で殴らせてくださいッ」

と、突き出された拳を避ける。

「避けないでくださいっ」

「やだね。いてえじゃん」

そして天界から聞こえるゲラゲラと笑う声。

少しは他の神々も楽しませることができているだろう。

ま、接待という奴だ。これで十分だろう。

至る所で雷が落ちる中、オレ様とヴァーユは下界の宙で殴り合いの喧嘩を始めた。

下界で言うぼくしんぐって言うスポーツだ。しかもこれほどの大衆の目前でやる最高のスポーツ。展開も下界も大盛り上がり。

最高の演出じゃねえか。

「おらあッ」

「げふうッ」

腹を殴ってやると、面白いように九の字に体を折り曲げていた。が、そこは風の神。

即座にカウンターでオレ様の顔面を叩きに来やがった。

「真面目ちゃんってのはほんと扱いやすくて助かるぜえっ」

と、チラリと女を見てウインクしてやる。

ありゃあ堕ちたな。そういうのも悪くない。人間と神の火遊びってのもな。

「何をよそ見しているのですか!?」

「今後のデートプランを考えててよッ」

拳と拳がぶつかった。

風と雷が辺りに迸り、空気を切り裂く。

今や街中は巨大な会場だ。

誰もが足を止め、オレ様達の喧嘩を眺望してやがる。

神々も首を揃えてオレ様達を見てやがる。こりゃあ後で観戦料を払わせてやらねえとな。

熱狂熱狂熱狂。

最高じゃねえか。

「もっと暴れようぜ、ヴァーユッ」

「冗談ではありませんよっ」

と、彼女は叫んでいた。

のちに天界では、この戦いを『ヴァルナユの開戦』と名付けられた。

さらに今の天界ではぼくしんぐが流行りである。

だがその先駆けをしたオレ様とヴァーユは、罰として下界での修行刑を科せられた。要は、神の力を封印されての期限付きの追放である。

ヴァーユは毎日文句を垂れながら人間の仕事に勤しみ、オレ様はというと、あの女の家で居候しながら適当に仕事をしている。

人間の寿命は短い。少しの間のごっご遊びくらい別に構わないだろう。

「ヴァ―君、今日は何食べたい?」

「んー? カツカレー」

「はーいっ」

彼女の元気な声が、この部屋に響いた。

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