みんな仲良くやあーれ
人は人を理解できない。当然のことである。
自分の感情や思考すらも理解できないのに、他人のそれらを理解することは到底不可能だ。しかし唯一、経験と体験、そして知識からくる理解は可能だ。失恋の痛みを理解できるのは、失恋した人間だけ。高所恐怖症は、それを体感した人間にしか解らない。宇宙を知らない人間に宇宙の知識を話しても、何を言っているのかちんぷんかんぷんだ。
巷で言う、無知ほど怖いものは無いというのはそういうことである。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
学校の教室。
沈黙だった。
今は授業の時間。
けれど先生は話をしていない。
黒板にモクモクと書いているだけで話をしていない。
ノートを書く音が聞える。けれどごく少数だ。
「……ひまだなあ」
私はそう言った。
沈黙の中に響いた。
けれど誰も反応しない。
近くの人が私に視線を向けただけで、それ以外は何もなかった。
先生も注意するわけでもなく、ただ作業をこなすだけ。
誰かが携帯をいじっているが、それを目にしても先生は注意しない。
けれど誰も話をしようとしない。興味が無いかのように、ただ黙々としているだけだ。
「……はあ」
私だけが口を開いている。
私だけがそう言っている。
とりわけ話をしなくても、コミュニケーションを取らなくても、この世界では理解することに努める必要はない。
私にはつまらないことだったりする。
だって、話をすることが好きだから。
けれど周囲はおろか、学校、家、町まで、そうした会話という会話が無い。
話す必要が無い。
相手を見れば、相手をおおよそ理解できてしまう今の世で、そうした言葉を使ったコミュニケーションは意味を為さないからだ。
授業が終わると、先生が無言で教室から出ていく。しかし、頭の中には先生の言葉がはっきりと聞こえていた。
【授業は終わりだ。みんな復習しておくように。はあ、やっと終わったよ】
【復習なんてする意味ねえよ】
【先生の考えてることも全部わかるし、そもそも勉強する必要なんてないしー】
【先生の考えていることが間違ってるかもしれないから、自分で勉強はしておいて損はないと思う】
【お偉いさんを生中継で見るだけで大体の知識が手に入っちゃんだから、やっぱり学校って言うのはもう必要なくない?】
【今の総理大臣とか大統領も、このままでやっていくって言ってたし、それでいいんじゃね?】
【戦争すらする必要のない世の中だもんねえ。喧嘩とか、事件とかあんまりないし】
【ほのぼのとした、ペット特集とか多い】
【昔の報道は汚いって言われてたみたいだけど、今はもうなんか毒がなくて平和だとか】
【そうそう、それそれ。私もそれ理解して吐き気したよ】
【一歳くらいでそれ理解したんだ。早いなあ】
【早いって言うなら、あそこにいる早川さんだね】
【生まれてすぐなんでしょ? すごいな】
と、私に視線を向けてくる一同。
「やめてよ、みんなしてこっち見るの。何か恥ずかしいよ」
【恥ずかしがってる。かわいい~】
【だよねえ。注目されるのって、なんか恥ずかしいよねえ】
【教室の前に出て問題を形式的に解くときとかそうじゃない?】
【それそれ。解るう】
【てか早川さん、口で話する癖いらなくない?】
【まあ口で言葉にするってのは好きみたいだし、それでいいと思うぞ】
【なんだか昔の人みたいで面白いよね】
【なんか不思議ちゃんみたい】
【それ考えちゃダメでしょ】
【みんな考えてることだし】
【声帯が退化してきてるって論文見た】
【へえ、なるほどねえ。勉強する必要が無いってのはほんと楽でいい】
【でも、それ知ってるのが佐々木さんだったから知れたこと。感謝】
【だなあ。佐々木さん、サンキュ】
というのが、この世界での普通。
半世紀前に、突然として起こった現象。
全世界共通思考現象。
もはや隠蔽や犯罪の証拠隠滅すらできなくなったこの世界では、言葉すら不要になった。だから黙々と、でも彼ら彼女らの思考や知識を理解できるという摩訶不思議。
私は生まれた時からもう理解できていたし、おじいちゃんおばあちゃんの世代の考えも環境も解ったから、すぐに彼ら同様に相互理解し合えることができた。人によっては、遅くても五歳からとかあるみたいだけど、ほとんどの人はこの、【思考サーバー】の中で会話をしている。
私は発声が好きだし、言葉で話をするのが好きだから口に出しているけれど、まあ周囲からは変人扱いである。私がこういう人間だってのは解ってもらえているけどね。
前時代では大混乱が起きて、この現象の解明と解決を図ろうと躍起になっていた時期があったけれど、その糸口は見つけられず、三年もたてば今の環境が便利・安全という方向になって、この在り方が当たり前になった。
《個》の時の方が良かったって言うのが前時代の人たちの考えだけれど、その考えも理解できる。だって四六時中他人に自分の考えや記憶、知識が共有されるんだから、恥ずかしいし怖くて当たり前だ。私は生まれた時からすでに【思考サーバー】に接続されてしまったせいで、訳も分からずその負荷と衝撃、感情と思考に押しつぶされ、一日中、そして一週間は起きては泣き、起きては泣きを繰り返していたのだ。まるで自分じゃないみたいで。
他人の考えや思考が頭に一気に流れ込んで理解することを【波】と呼んでいる。膨大に一挙に流れてくるからそう名付けられたのだ。その【波】を受け止めるには、赤ん坊の脳では耐え切れない。だからこそ、【思考サーバー】に接続されるのは一年以上の期間が開く。自身を防衛するための本能的働きという研究結果だ。
しかも、その【思考サーバー】での情報は常に開示的で、常に残り続け、誰でも閲覧できるという暴れもの。天才がこの世に生まれ、テレビ等で生中継されればその天才的流れは加速する。
今も国同士の競争があるけれどかなり難しいという。だって一人が知り、一人が外に出れば一瞬で広がるから。まるで感染するみたいに。
地球の裏側に居ても、その人のことを知ってしまえるほどに、この世界は圧倒的に狭くなった。
【そういえば、田中はどうなった?】
【ああ、佐藤さんと付き合うことになったって】
【へえ、他クラスだったのに一瞬だな】
【そりゃあそうでしょ。田中君優しいし、佐藤さんもそうだから似た者同士のお似合いのカップルって感じ】
【田中、幸せになあ】
【う、うん】
顔を赤くする田中君。
廊下を歩く誰かがそれを見た、それを誰かが見て、それを、それを、と伝播していき、隣の隣の隣のクラスの佐藤さんにそれが伝わったみたいで。
【あ、佐藤さん恥ずかしがってる】
それをたまたま知ったクラス内の一人がそう思考し、クラス内の全員が知る。
田中君は余計に顔を赤くしていた。
可哀想である。
【可哀想じゃないぞ。可愛いだ】
と、真顔でそう言う隣の席の山田さん。
【私も彼氏欲しい】
だがそれに名乗り出る人はこの教室にはいない。
【何でかなあ】
と、肩を落としている。
そしてみんなが笑った。愉しそうに。
私はそれが逆に怖いと感じてしまうのは、私が異質だからだろうか。
【別に異質でも何でもよくない】
【半径十メートルの人を全員理解できるとかチートでしょ?】
【誰もが、相手を見ないと理解できないことを、一ノ瀬さんはすぐ解るんでしょ?】
【いいよなあ。歩くだけで何でも理解できる女】
【かっこよ】
【考えてることは解るけど、それカッコいい?】
【ちっちっちっ、女には理解できないことだぜ】
【だから解るんだってば。女の生理の痛み、男どもも解るでしょ?】
顔を赤らめる女子がちらほらいた。
今どき性に対する隠し事は無意味である。
子どもですら、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるなんて話は信じない。
【まあ解るけどよお、あの痛みはなあ】
【だったら男象徴であるの玉の痛みを思い知れい】
【ぎゃあああああ、やめてやめて】
そして【サーバー】内がカオスになる。平和である。
「じゃあ今ここで、斎藤君の金玉を蹴って、皆でその痛みを共有しよう」
【何でおれっ!?】
「言い出しっぺだから」
【く、仕方ない……女子たち、突撃っ】
【のおおおおおおお】
連携を取って斎藤君を羽交い絞めにする女子たち。そして脚を浮かせて、脚を開かせる図。
どこぞの集団プレイみたくなってしまうそれを、だが何の関係もなく、狭間さんが脚を振りかぶって、そして蹴り上げた。
そして数秒後。
クラス内の全員が悶絶。
まあカオスである。
とまあ、こんなことが世界中でも行われているのだから笑えない。
下らないを通り越して逆に馬鹿である。
【お、お前がそう言わなけりゃあなあ……】
直接金玉を蹴り上げられた斎藤君。
脚を内股にしてピクピク痙攣していた。
そして廊下でも何人かが同じくして痙攣。
そして他のクラスでも。
嗚呼、くわばらくわばら。
【な、なんの騒ぎだっ】
先生が教室に突撃してくる事態。
内股で、股間を抑えながらの図。
何ともシュールだった。
勿論、私もあまりの痛みに椅子に座っていることが出来ず。
嗚呼、世界は何て残酷なんだ。
と。
【一ノ瀬が、一ノ瀬のせいで】
と、事態を把握した先生は、私を見て歩み寄ってくる。
床に転がる屍を越えて、教室の隅にまでやってきた。
【ほ、放課後、一人で掃除しなさい】
今どき体罰とかするのはあまりに残酷な仕打ちであるため、こうした小さな物事でしか出来ないという。私は上体を起こして、涙目で頷いた。
【これは擁護できない】
【仕方がない】
【やっていいこと悪いことがある】
【じゃあどうしてお前たち女子はそれに加勢した】
【【【ああ~】】】
【馬鹿かお前ら】
「これが、若気の至りと言う奴ですよ、先生」
【悟ったような口を利くなっ】
「みんな悟ってますから。悟り世代ですから」
【馬鹿野郎っ】
と、頭を小突かれた。
私は一人、ケラケラと笑った。
世界は今や、こんなにも平和である。
良い時代になったものだと、皆がそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます