あいつのために
物事に取り組むとき、必ずと言っていいほど『才能』という言葉が付きまとって来る。スポーツや仕事に限らず、家事や趣味、果ては努力や忍耐といった精神論にさえ『才能』という言葉が使われる。
明確なほどにそれは顕著だ。
何かを極めたものほど、その人には才能がある。極めなくても、それが高水準なレベルに達していれば十分すぎた。かつそれほどの努力をしていなかった場合ほど悔しい物は無い。
状況や経緯は違えど、己が持たない才能をひしひしと感じてしまう時、それすなわち、劣ってしまっていると絶望するときである。
「くそっ……」
スマホの画面をのぞく。
そこには落選の二文字。
俺は大きくため息を吐いて、背もたれに体重を乗せた。
「はあ……」
俺は天才になりたかった。
物書きの天才として。
誰からも称賛され、誰もが楽しめる作品を作り出せる、そんな自分になりたかった。
ジャンルやテーマを問わず結果を残し、作品を残し、誰もはうらやむそんな自分に。
――惨めだった。
「俺には才能が無い」
筆を折ろうと何度も思った。
何なら折ったこともある。
けれどその翌日にはパソコンの前に座っている。
そんな胸糞悪い気持ち。
どうして俺だけ。
俺と同じ高校生の作家がバズり、商業化に成功している。趣味で始めたことが、ほんの一年で結果を出せたと、インタビューで語っていた。その作品は好きだったが、その現実を目の当たりにすると、劣等感が鬼のように噴き出てきた。
「……」
学校のパソコン室。昼休み。
自由に使っても良いパソコンに、持参したUSBを差し込んでいた。
データを開き、作成途中の作品を目の当たりにして、しかし――。
「…………」
その筆は止まっている。
頭の中では完成図を思い描いているのに、読まれないかもしれない、選考には通らないかもしれないという考えが頭を支配し、一万文字くらいを過ぎたあたりで止まっている。今日はまだ一文字も書いていない。
これでもう何度目の落選だよ、と。
適当に短編小説を三千文字くらいで作り上げてそれを投稿してはいるが、それもあまり読まれていない。投稿すればだいたい五十から百前後のPVが付くのだが、どうせなら千とかほしい。長編なら二千くらいで止まることが多い。
かれこれ二百ほどの短編と、二十ほどの長編小説をかき上げているというのに、そのどれもがバズった経験がない。
「小さいころから作っているはずなのにな」
背もたれに体重を預けて直して、書きかけの画面を呆けて見た。
聞くところ、物心ついた時からイソップ物語に夢中だったという。母親が読み聞かせれば、目をキラキラさせて耳を傾けていたらしい。イソップ物語だけでなく、他にも多くの物語に関心を持ち、それに熱中していたと。
小学生、中学生になっても、小説や漫画、詩といったストーリー性のある物には何でも興味があった。
中でも小説は、絵が無い分、様々な想像を掻き立てられたものだ。書かれた文章の裏を読んだり、こうかなああかなと推測や考察してみたりと、漫画よりもハマった記憶がある。
園児の頃には既に日記を、小学生になる頃には小説を書いていた。
誰よりもハマっていたし、誰よりも楽しんでいたという自負はある。
けれど大勢が面白いとは言ってはくれなかった。
親でさえ、口では面白いと言えど、その表情から察するに、面白くはないんだろうなと。
周囲に見てもらうことはそれ以降無かった。
結局、中学生からウエブサイトにちょくちょく載せ始めた小説だが、圧倒的人気を得るには至らなかった。
高校生になった今も、どうすればバズるんだと、そんな悶々とした日々を過ごしている。
「はあ……」
「どうしたの? そんな今にも死んでしまいそうなため息を吐いて」
「光里……」
ドアに寄りかかって、俺を見てくる幼馴染み。
パソコン室に入ってきては、ガランとした部屋の、しかも俺の隣の席に腰かけてきた。
「なんなの、その魂の抜け落ちた目。まるで死人よ、屍よ?」
「いや、まあ、小説がうまくいってなくて」
「壁にぶち当たってるの? カッコいいわねえ。その壁を乗り越えてこそだと思うわ」
「まあ、年がら年中三百六十五日二十四時間毎日ずっと考えてるからな」
「すごいことじゃない。普通の人ならそんなにも心中しない」
「でも結果が出ない。人気も出ないし、これじゃあ商業化なんて夢のまた夢だ」
「夢だからこそいいんじゃない。叶わない夢だからこそ、敵わないからこそ挑戦して、追い続けるんじゃない。その時の達成感は、きっと天にも召される気分でしょうね」
「召されちゃダメでしょ」
「死ぬ気でやってる証拠だって言ってるの」
「それならもう死んでしまいたいな」
「それは絶対にダメ。ぜええったいにダメっ」
「何ムキになってんだよ。冗談だって」
「冗談でも言っていいこと悪いことがあるんだよ? 今回はダメな奴」
「ダメなのか? 俺とお前との仲じゃん」
「だーめっ」
デコピンされた。結構痛かった。
伊達にスポーツで成績を残しているわけだ。
「もしかして、今も天才になりたいんだーとか言ってるの?」
「…………言ってる」
「ダッサ。そんなの言ってる暇ないじゃない。それなら集中することに時間を使いなさいよ」
「最近なんか怠い。書く気力が低い」
「高く持ってないだけ。あんたがやる気失くしたら、誰があんたの小説を完成させるのよ。自分でしょ? ふざけないで?」
「何だよさっきから」
「私が一番のファンだって知らないの?」
そんなの知らん。初めて聞いた。
「というか、自分が書きたいものだけ書いてるくせに、それが他の人に響くと思ってるなら大間違いだし」
「まあそうだけど、そこまで言う? めっちゃ傷つくんだけど」
「傷つけ。凹め。へこたれろ」
「キッツ」
まさか三連続で罵倒されるとは思いもしなかった。これは初めての経験だ。
いや違う。このやり取りは昔から変わらない。
「まあ、少し元気になったかな」
「少しじゃない。元気百倍になってもらわないと困るわけ」
「頭をとっかえたわけでもないのに」
「なんでアンパンマンは頭を入れ替えただけで元気百倍なんだろうね? じゃあバイキンマンに頭を濡らされる前は百倍じゃないってこと? 作り立てが一番良いなら、その頭をマネキンのそれに取り換えてあげる」
「怖い怖い怖い。目がガチじゃん」
「丁度そこに、何故か置かれた人体模型があるからね。それと交換してあげる」
「よせよせよせよせっ」
背後に瞬間的に回って、顎と首を完全にホールドされた。
殺される、と本気でそう思った。
「なんてね」
そう言ってパッと離れる光里。
心臓が脈打つ俺には、その笑顔が恐怖でしかなかった。
「どう? 死の恐怖の味は」
「か、弁してくれ」
ネクタイを震える手で締めなおし、乱れた衣服を整える。
隣にスッと座る光里。動きに無駄が無くてほんとこわい。
「天才になりたいって言って努力する晃はすごい人だと思う」
「ん?」
「元からそういう人よりも、人一倍頑張ってそうなろうとする人の方が、私は素敵だって言ってるの」
「あ、うん……」
そう言われて、俺は照れくさくなる。
「……晃のことは好きじゃないから、そこは間違えちゃダメよ?」
「厳しいなあ」
俺はポリポリと頬を掻いた。
「それに、そんなにうまくいかないなら、私の読みたいものを書いてよ」
「ええ~、お前の好きなジャンルって基本恋愛じゃん。それもファンタジー系の」
「悪役令嬢とかどう? 今の流行りよ? 私も好きだし」
「流行りとか、なんかダサくね?」
「流行りにものれないなら商業化はまさしく無理よ? 服だって一緒。一年前の服装が今は着られてる?」
「うーん、無いだろうなあ」
「今の流行りと前の流行りは違う。流行りはいくらでも移行する。その波に乗れる人だけが、前線で進み続けられる。それだけじゃない?」
「ははっ、痛いところを突いてくる」
「乗るっきゃないでしょ? このビッグウエーブにッ」
「ほんとにそれだな」
パソコンと向き直った。
画面はそのまま。
そこからまだ一文字も書いていない。
「…………じゃあお前だけのための小説を一つ書いてみる」
「そう来なくっちゃ。それじゃあ色々リクエストしてみようかなあ」
新たにページを開く。
そこに、光里の要望を書き連ねていった。
ご都合主義も甚だしい内容で、悪役令嬢なのに全然悪役令嬢じゃない設定。
本物の悪役には感情移入なんてできないからなあ。当然っちゃあ当然か。
「最後にこう言うの『貴方のことなんて全然好きじゃないわ』って」
「ツンデレ設定も甚だしいな」
「解りやすいからこその作品じゃない? 訳わかんない作品を見せられて、考えるな感じろとかダサいじゃん。興味のない作品なら猶更じゃない?」
「……まあ、それもそうか」
「私は晃の作品は全部好きよ? 程度はあるけど、基本的には全部好き」
「なんか含みある言い方で嫌だ。もっとわかりやすく、どれも好きだから気にするなって言ってほしい」
「何駄々こねてるの。無償の愛を信じる口? あり得なんですけどお」
「おま、それは失礼だろっ」
「助けたくて助けたからお返しは要らない。そうよ。助けたこと自体に自己満足があり、意味があるの。無償の愛なんてそんな詭弁。下らないにもほどがあるわ」
「時々お前が悪魔に見えて仕方がないときがあるよ」
「あら、それは良いわね。なんなら魔女でもいいのよ?」
と、椅子の上でポージングする光里に、俺は言う。
「そうだな。女神みたいで綺麗だよ」
「へ?」
目が点になる光里。
そして数秒。
くすくす笑い出す。
「急に何言いだすのよ。馬鹿馬鹿しい」
光里は立ち上がると、踵を返した。
「それじゃあ、私だけの小説。楽しみにしてるわよ」
「……はいはい」
そう言って、パソコン室を出ていく光里。
その後ろ姿の余韻を浮かべながら、天井を見上げた。
「ったく」
正直さっきの言葉は無いなと思ったが、本心だ。
小さいころから、俺はあいつをそう思っている。
けど、冗談だと思われたのは辛いな。
勇気をもって言ってみたのに。
なんか俺だけが意識しているみたいで恥ずかしい。
「……はあ、じゃあ始めるか」
気を紛らわせるように、パソコンに向かった。
休憩が終わるまであと十分。
五分もあれば導入部分は完成する。
初めが肝心だ。そこをミスれば創作そのものが悪くなる。
「なんか行けそうな気がする」
そう言って、筆を走らせた。
「――あいつ、急に何言いだすのよ」
ひと気のないパソコン室周辺。その入り口からは見えない廊下の角に入って、陰に隠れて――私は熱くなる顔を触りながら、ドキドキする心臓の音を無視することが出来なかった。
「早々に部屋から出て来て正解だったわ」
あのまま部屋にいると、気まずくなって居ても経ってもいられなくなっていたはずだから。そのせいで私たちの関係性が悪くなるかもしれない。それは避けたかった。
今は幼馴染の関係。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「今度は絶対にあいつをドギマギさせてやる」
負けず嫌いの性格が難を示してしまう。
今も告白できずに、ああして馬鹿話するしかないのが何とも悔しいところだが、それでもいつか絶対にこの想いを告げて、あいつをぎゃふんと言わせてやるのだ。
「全然、好きじゃないんだから……」
溢れ出るこの気持ちが爆発しないか。正直抑えられる自信が無い。
いつもあいつの前に出るときは、こうして「落ち着け、落ち着けえ」と言い聞かせて、試合みたく気持ちを切り替えている。
「よしっ」
足先を変えて、教室に向かった。
その足取りはえらくご機嫌だったと思う。
まだまだ先になりそうだと、将来に期待した。
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