欲しいもの
命の価値は、当然ながら人によって異なる。金のため、友のため、家族のため、趣味のため――何を目的とするかによって、その命の使われ方は変わる。自身の命、果ては他人の命すらも、その価値は変化する。
では、この世界での命の価値はどうなのか。
結論から言うと、モラルが一つ崩壊した。
何故なら命、つまり寿命を通貨として使用することができるからだ。
世界では当たり前だった金銭の流れよりも、寿命の流れの方が往々にして活発である。
金に代わる通貨。
寿命を犠牲に大金を得ることもできるこのシステムは、初めこそ混沌を生んだが、やはり人間は慣れるもので、それが常態化すると、命の重さはそれこそ二十一グラムよりも軽い物へと変わってしまった。
「…………」
だからこそ私は、今こうしてグラスを片手に、バスローブを羽織って優雅に何十畳とあるリビングでワインを飲みながらくつろげている。
「こんなにも簡単に幸せになれるなんて、私はなんて幸せな人間なのだろう」
風呂上がりの一杯。
最高級のワインをこんなにも贅沢に飲める日が来るなんて、しかもたかだが寿命を大金に変えただけでこれほどの価値あるものを得られるなんて。
「ああ、もっと味わってみたい」
高級な家、高級な車、高級な身なり、すべてを高級なもので兼ね備えることを、さらにもっと。
「私の寿命はどれほどかは知らないけれど」
笑いが込み上げてくる。
私が望んだ生活がこれほどまでに簡単に手に入るという現実を。
楽しくて楽しくて仕方がない。
「ん?」
家のインターホンが鳴った。
画面を見ると、そこには貧乏人の満里奈がいた。
「またか」
服に着替え、扉を開けて、彼女の前に出た。
満里奈の服装は地味だ。というか古い。
使い古されたその印象を拭えず買い替える気もないのか、その服は数年前にも見ている代物だ。靴もボロボロで、髪も艶が無くボサボサ。肌も一概に綺麗とは言えず、女性としての魅力がこれ一つもなかった。
「何かしら?」
「紗耶香はいつもきれいだね」
「そんなつまらないことを言いに来たのかしら? どうせ金でしょ?」
「ち、違うよ。紗耶香、もうこんなことやめよ?」
「こんなこと?」
「うん、今も寿命を使ってお金を手に入れているんでしょ?」
「何? そんなことを言いに来ただけ?」
「だ、だから」
「アホくさ、帰ってくれる」
「紗耶香っ」
扉を閉めた。扉を叩く音が少し続いたが、しばらくすると静かになる。窓から見ると、馬鹿みたく項垂れて立ち去っていくあいつを見て、私は鼻で笑った。
「何であんな奴が私の幼馴染なのかしらね」
二十歳を越えた今でも付きまとって来るあいつが憎らしくて仕方ない。まあ別に、あいつの醜い姿を見るたびに私の今の生活が如何に恵まれているのかを見せつけることができるのだから、こんなにも幸せなことはない。
「さて、テレビでも見ようっと」
ドラマ。映画。アニメ。今日は一日そうやって過ごそう。見たいものがたくさんあるのだ。
仕事なんてする必要ない。
得たお金で投資もしているのだ。そのお金で楽に生活が出来ているのだから、こんなにも素晴らしいことはない。
大きなテレビの電源を付けて、ネットにつなげてサブスクを開く。このテレビに付けられるサブスクは全て契約済みだ。見れない物は無いと言っても過言ではない。
「どれを見ようかなあ」
と、リモコンを操作していると、不意に胸のあたりが痛くなるのを感じた。
「な、何? う……」
その痛みが徐々に、そして急激に増して胸を引き裂くような痛みへと変わってしまった。座っていられなくなり、ソファから転げ落ちて激痛に悶絶する。
「た……たすけ……」
近くにあったスマホに手を伸ばして、緊急通話ボタンを押した。コールが一、二回鳴ると、向こうからオペレーターの声が聞こえてきた。けれど声を出すこともできずに、私はスマホを叩くことしか出来ない。通話の向こうから少し焦るような声が聞こえたが、私の意識は激痛により朦朧としていく。
「紗耶香っ!」
そろりと扉を開けて中に入ってきた満里奈。私を見るや否や、大きな声を上げて私に走り寄ってきた。
私の意識は、そこで途切れてしまった――。
「…………」
目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
マスクを付けられ、点滴が腕に刺しこまれている。
「紗耶香っ!」
視線を向けると、そこにはあの馬鹿がいた。相変わらずダサい格好で私を見ていたが、この際どうでもいいという気持ちでいっぱいだった。
「余計なことを」
「何言ってるのっ」
「あたっ……」
デコピンされた。
弱い力でされたからそれほど痛みはなかったけれど、気遣いを感じられた。
「帰ろうと思ったけど、急に不安になってきてみたら、紗耶香が倒れていて、それで、それで……」
口元を覆って震える声を出す彼女に、けれど私は顔を背けた。
「だから? 私はあんたに助けてなんて言ってない」
またもデコピンされた。
今度は結構強かった。
「寿命が尽きそうだって、医者が言ってたっ」
「そうでしょうね。けれど私は楽しかったし幸せだった。それを邪魔したのはあんたよ」
「何でそんなこと言えるの。病院に運ばれているとき、助けてって、痛いって言ってたの、紗耶香なんだよっ」
「…………」
「それに、独りは嫌だってっ」
「……だから何よ。私は独りでも幸せだった。それがもうすぐ終わるってだけ」
「独りで死んだっていいってこと? 孤独に、誰にも看取られずに、広い部屋の中であのまま死んでいても良かったってこと?」
「……そうよ」
「紗耶香の母親みたいに――」
ギロリと睨んで声を上げた。
「あんな奴と一緒にするなっ」
ビクッと震える満里奈。
けれどこの場から離れようとはしない。
「……死にたかったの?」
「……あんたに何が解んのよ」
「解んない。でも、苦しそうなのは解った」
「…………」
「寂しいし辛いから、もう生きているのが嫌だから、寿命を使ってるんじゃないかって」
「…………」
「でも、本当は死にたくない」
「…………」
「ねえ紗耶香」
「もう黙って」
「紗耶香」
「黙れっ」
「…………」
「……もういいのよ。私は」
十二分に生きた。
このくそったれな世界を、私は十分生きた。
贅沢もした。旅行だって、欲しい物だって、男とだって、何でもほしいままにした。自分の命を使って、やれるだけのことを私は十二分に。
「もう疲れたから」
「だからって、自殺みたいなことをするなんてダメ」
そして私の前に出してきた拳ほどの透明の玉。
オーロラのような幻想的な光を放つ美しい珠が、目の前に差し出された。
「あんた、ほんとに馬鹿じゃないのっ」
「手術費用も、寿命の延長も、私の物を使ってる」
「……っ」
「それでも、ほんの束の間の寿命。これでもう少しだけやり直して――」
「どんだけ馬鹿だって言ってんだよっ」
「私はずっと、あなたを見てきたから。初めて私を友達だって言ってくれたあなたを」
「……ほんと、馬鹿だね」
顔を背けて、私は黙るしかなかった。
「私は貴方に生きて欲しい」
「また私が寿命を使って贅沢するっていう発想はなかったの?」
「その時はその時で、私があなたをお世話する」
「介護士かよ」
「私はあなたがくれた気持ちを、与えてくれた想いを返してるだけ」
「私が返す気なんて無かったら、お前はただのカモだ」
「それで友達を救えるのなら、私は寿命だってかけられる」
「…………」
「ごめん、言い過ぎちゃったね――」
起き上がろうとすると、満里奈は言葉を止めて私の身体を支えてきた。
「私こそ……」
「……っ」
それくらいしか言えなかった。
けれどそれで充分だったのだろう。
満里奈は首を振って、私を抱きしめてくれた。
「元気になったら、今度二人でお出かけしよ」
「……でももう少し身なりを整えて」
「……あ、うん、そうだよねっ」
と、少し恥ずかしそうに言う彼女に、けれど私は小さく笑った。
そして小さく、本当に小さく耳元で。
「ありがとう」
と、言った。
「うん」
と、満里奈は答えてくれた。
――でもね、紗耶香。私もそう長くないんだあ。
紗耶香に上げた寿命はそう多くないけれど、手術台がとんでもなく高かった。お金ならかかる保険も、寿命にはまだ適応されていない。
命には命を。
重いものを紗耶香に背負わせちゃうかなあと思いながら、変わってくれることを願って命を懸けた。
結果は上々。
ようやくだ。
「どこに行こうかなあ」
と、紗耶香に抱き着いたまま、私は言った。
どうせなら、一緒に時間を過ごして、一緒に天国に行けたらなあって思う。
私が先に死んでも、私はずっと彼女の傍に居たい。
彼女が先に死んでしまっても、私は彼女の後を追う。
寿命を全うして、私は彼女と共にありたい。
「ショッピングとか……」
紗耶香が小さく言った。
「じゃあ行こう。きっと愉しいよっ」
「……うん」
おそらくあの豪邸も、お金も、寿命に変えるだろうとは思う。そうなれば、紗耶香も私と同じ貧乏になっちゃうけれど、そこは二人で頑張っていけばいい。
「楽しみだねえ……」
私は薄く笑って――そう言った。
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